「ファースト・マン」 First Man 2018年・アメリカ |
○監督:ディミアン=チャゼル○脚本:ジョシュ=シンガー○撮影:rヌス=サンドグレン〇プロダクションデザイン:ネイサン=クロウリー〇音楽:ジャスティン=ハーウィッツ〇原作:ジェームズ=R=ハンセン○製作:ウィク=ゴッドフリー/マーティン=ボーウェン/アイザック=クラウスナー/ディミアン=チャゼル〇製作総指揮:ジョシュ=シンガー/アダム=メリムス/スティーブン=スピルバーグ |
ライアン=ゴズリング(ニール・アームストロング)、クレア=フォイ(ジャネット)、ジェイソン=クラーク(エド・ホワイト)、カイル=チャンドラー(ディーク・スレイトン)、コリー・ストール(バズ・オルドリン)、キアラン=ハインズ(ボブ・ギルルース)、パトリック=フュジット(エリオット・シー)、ルーカス=ハーズド(マイク・コリンズ)ほか |
「ファースト・マン」、直訳すれば「最初の人間(男)」である。人類で初めて月の上に降りた男、ニール=アームストロングの伝記映画にこういうタイトルをつけるにあたっては、「この一歩は一人の男にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな跳躍だ」という月面着陸時の有名なセリフを念頭にしているはずだ。 アポロ11号に乗ったアームストロングが人類初の月面着陸を果たしたのは1969年7月21日のこと。この映画のアメリカでの公開は昨年のことだが、まぁ大筋で「アポロ月面着陸50周年」を狙って製作された映画ではあるだろう。半世紀もすれば「歴史」の範疇に入って来ると僕の大学での恩師も言っていたから、アポロ計画映画も今や「歴史映画」なのだ。ついでに言うと「関係者がこの世から去ると『歴史』になる」という言葉もあり、アームストロング当人も2012年にこの世を去っている。聞けば映画の企画自体は当人の生前のうちに許可が下りて動き出していたそうだが(原作となった伝記本が出たことがきっかけ)、数年はかかる映画製作準備の間に当人が「歴史上の人物」になっちゃった形。まぁこの手の伝記映画みたいなのは、本人が生きてるといろいろ遠慮もあってフィクションがおりまぜにくくなるということもあるから、死後のほうが作りやすいのではないかと。 ところで僕は少年時代以来う「宇宙開発史マニア」という面もあった。まぁそれほど専門的に首を突っ込んだわけではないが、小学生の時に『月より火星へ』という児童向けの宇宙開発史本を読んですごくハマってしまい、以来その手の話には関心を抱き続けてきた。「アポロ13」の公開時は、少年時代に本で読んだ話がそのまま展開されてるんで、えらく感激したものだ。その後DVDでアポロ計画前史ともいうべき「ライトスタッフ」も鑑賞し、やはり好きな一本となっている。「ファースト・マン」もその系譜上にある作品で、この3本立て続けに見るとアメリカの宇宙開発史、厳密に言えば月面着陸実現までの苦難の道のりが通して学べるわけだ。 だがこの「ファースト・マン」、他の2作に比べるとだいぶ性格が異なる。宇宙開発という未知への挑戦、「プロジェクトX」的な大プロジェクトの成功譚といったものではなく、人類で初めて月に立つことになってしまった男・ニール=アームストロングの人生や人間性を描くことに重点が置かれているのだ。 この映画を見る以前から、アームストロングという人物の人となりについては聞いたことがあった。それこそ人類史に名を遺す超有名人なのだが月に行った後は宇宙飛行士を引退、英雄ともてはやされはしても当人はいたって地味にふるまい、いつしか公の場に出ることすらなくなってしまう。スペースシャトルの事故時にその調査委員会に名を連ねることがあった、という程度だ。またそもそも沈着冷静な人が多い(というか、それでなくてはつとまらない)宇宙飛行士仲間の間でも、特に彼は感情を表に出すことなく、日常でも趣味等がある様子もなく、一言で言ってしまうと「つまらない男」だった…という話だった。たぶん亡くなった時に一部で報じられた話ではないかと思う。 そういう人の人生を映画化するとなると、なかなか難しいのではないかなぁ…とは思っていた。確かに月面着陸は大きなハイライトではあるが、主人公となるご当人のキャラがどうやっても面白くなさそう。映画にするの大変じゃないかと、そして映画が実際に航海されて僕は絶対見るぞとワクワクしたのだが、スケジュールの都合で少し日が経つと、どうも興行的に当たってなさそう。いつも利用しているシネコン複数で明らかに扱いが悪いのだ。こりゃ早くいかないと見逃すぞ、と予定より前倒しで見に行った(僕には珍しいことに「女王陛下のお気に入り」を見た翌日すぐに行った)。そのシネコンでも一日一回上映してるだけだったなぁ。 映画は冒頭、アームストリングが実験機のテストパイロットをしているところから始まる。「ライトスタッフ」でも描かれていたが(あちらの主役の一人チャック=イエーガーも顔見せ程度に登場する)、このテストパイロットから宇宙飛行士になった人は多い。アームストロングは実験飛行のなかで宇宙空間すれすれの高度まで飛び、そこから制御不能になって急降下、危ういところで塩湖に胴体着陸して命を拾う(調べて見るとこれは彼が起こした複数の事故を合成したみたいね)。 のちのちまでその「強運」がついてまわる彼だが、同時期に幼い娘が脳腫瘍を患い、放射線治療なども試みるも話すことも動くこともできなくなってしまう、という状況に苦しんでいた。とうとう娘は2歳で亡くなり、葬儀・埋葬となるがアームストロングは人前では例によって無表情。しかし一人になると悲しみをこらえきれずに静かに泣く。以後、この映画の中のアームストロングはあらゆる時、あらゆる場所で娘の幻影を見るようになり、実はそれが彼にとっての月へ行く動機となる。 娘の死は史実だが月へ行く動機と本当に結びついていたかは当人の内面の問題なので結局分からないのだろうが、この映画ではそのアイデアが全編にわたるテーマとなっていて、なんというか、冒頭からラストまで、「お葬式状態」みたいな雰囲気の映画となっている。うーん、あまり客を呼んでないのも無理ないのかなぁ。 娘の死を気遣って周囲もアームストロングをパイロット任務から外そうとするが、逆に彼は積極的に飛ぼうとする。おりしもケネディ大統領の「60年代のうちに月に人間を送る宣言」が出て(もちろんソ連に先を越されたことへの焦りからである)、月面着陸という当時としてはかなり無茶な巨大プロジェクトが動き出し、アームストロングはその宇宙飛行士に志願、選出されて猛特訓を例によって無表情な顔のまま受けることとなる。 この映画のもう一人の主役はニールの妻ジャネット。劇中で彼女は学生時代にニールと知り合って結婚を決めた理由について「安定してるように見えたから」と言い、あくまで平凡ながら安心した暮らしを送りたかったのに、どういうわけか夫は危険なテストパイロットからさらに宇宙飛行士へと突き進んでしまい、日々夫の無事の帰宅をハラハラと待つ人生になってしまった、と愚痴ってもいる。彼女以外にも宇宙飛行士の妻たちの交流が描かれ、いわば「宇宙飛行士の銃後の妻」みたいな感じで、この辺も「ライトスタッフ」と似てる。こっちの映画の場合はニール・=アームストロングという男が家族にも仕事のことをろくに話さず、表面的には無感情で妻も困ってしまうというのが特徴だ。 1966年にアームストロングはスコット飛行士と共に「ジェミニ8号」で宇宙に出る。これはアポロ計画のための練習を兼ねていて、本体より先に打ち上げた宇宙船とのランデブー、ドッキングの実験が予定されていた。かねて練習していた通りアームストロングは例によって冷静沈着にドッキングを成功させるが、その直後にジェミニ8号は猛烈な回転運動を初めて制御不能に陥ってしまう。この大変な事態にアームストロングは予定されていたスコットの船外活動を含めた計画を一切中止、大気圏突入して無事に生還する(ほぼ史実の通りらしいが映画では明らかに冒頭のテスト飛行事故と重ねている)。 この場面で、妻ジャネットは自宅にいて通信回線でやりとりを聞いているのだが、危険な状況になるとNASAの司令官がその回線を切ってしまうのも凄い。まぁ「悲劇」を聞かせまいという配慮なんだろうけど…ジャネットも直接乗り込んできて「聞かせろ」というから凄いけどね。 生還は良かったのだが莫大な予算をつぎこんだ計画のかなりを無駄にしてしまい、宇宙計画そのものへの批判も強くなる。この世間の批判が高まる場面は見ていてアニメ映画「王立宇宙軍」を連想してしまったのだが、確かにあぽろにいたる宇宙計画って、今聞くと信じられないほどの予算食いで、当然税金を使うわけだから民主国家では議会を通さなきゃいけない。ソ連との競争という冷戦構造があったからこその無茶ぶりだったのだが、当時だって「なんで税金大量に使って月へ人を送らなきゃならんのか」という声はあった。いわゆる「アポロ陰謀論」で「50年前に行ったのに、なんでそれきり行ってないんだ?」という疑問を出す人がいるが、はっきり言って「お金」の問題なのだ。 映画ではこうした批判世論も描いているが、あとでアームストロングたちが月へ行くということになると、アメリカどころか世界中が「全人類の偉業」として盛り上がっちゃう様子もそれとなく描いている。アームストロング自身思うところがあったのか、月面着陸時に「人類」という言葉を使うなど「アメリカ」を前面に出すことは避けている。この映画はその趣旨をさらに汲んでか、有名な月面に星条旗を立てるシーンを描かず、それがまた叩かれる、という事態にもなった。あれ、深読みすると「星条旗がたなびいてる!」ってネタでアポロ陰謀論者が騒ぐのを嫌ったのかもな。この映画の月面着陸シーンだって「うやっぱりスタジオで撮影できるじゃないか!」とか言われそうだが。 話が先に進みすぎた。とにかくそういう状況なので宇宙飛行士たちも政治外交イベントに引っ張り出される。そして1967年4月5日アームストロングたちがワシントンでパーティーに出席している最中に、あのアポロ1号訓練中の火災事故が発生する。「アポロ13」の冒頭でも描かれた事故で、訓練用の本物そっくりのシミュレーターの中で出火、酸素100%の船内はたちまち爆発、火の海となってしまい、宇宙飛行士三名が命を落とす。この映画ではそのうちの一人エド=ホワイト(演:ジェイソン=クラーク)がアームストロングの数少ない親友として描かれ、その事故死が強烈に響く。この映画では船内の火災を直接は写さず、船外にカメラが出たところで「ドンッ!」と音が冷たく響く。その怖いこと、怖いこと。 話が前後するが、前年にも宇宙飛行士仲間のエリオット=シー(演:パトリック=フュジット)が事故死していて、ほんとこの映画、次々と葬式ばかり出てくる印象。そうした場でアームストロングは悲しいのだろうけど、それを感情には出さず、いたたまれずにその場を去って一人になりたがる。そしてまたそこで娘を思い出し、月を見上げ…ということで、お葬式ムードが非常に濃い映画なんだよな。もちろん狙ってやってることなんだが。 このアポロ1号の事故により、結果的にアームストロングが最初の月面着陸する人間になった、とも言える。何かで読んだ話で、他にも当然候補はいたのだが、決め手はアームストロングの冷静沈着もさることながら「強運」も大きかったという話だ。結果から言えばそれは本当だったわけで。kの映画でも描かれてるが、月軌道に乗るところまではともかく、月面着陸は燃料問題も含めて結構きわどく、アームストロングの操縦と決断によるところが大きかった。 月への旅に出かける前夜、アームストロングはまるで普通の出張にでも行くかのように準備に淡々といそしんでいて、ついにジャネットをキレさせる。「生きて帰れるか分からないんだから、息子たちに覚悟を言いなさい」と、寝ていた息子二人を起こして父子の対話を始める。ここでアームストロングの口から出るのが、月面着陸に至る技術的説明ばかりでジャネットを呆れさせる、というあたりがイカニモ彼のキャラで面白い。 宇宙ロケットの打ち上げ、月への旅、そしてスリリングな月面着陸…という描写はさすがのリアリティなんだけど、リアルすぎて盛り上がらないというか、まぁそれも狙ってるところだろう。「アポロ13」じゃあまりに淡々としてちゃ面白くないと飛行士たちのケンカシーンなんか創作して入れてたけど、こっちは完全にストイック。 人類の偉業である月面着陸も、本当に淡々とやってて…星条旗を立てるシーンがないことはすでに書いたが、この月面でアームストロングが「あること」をするのが、この映画の見せ所。未見の方は見て確かめてほしい。ちゃんと伏線が張ってありましたから。 地球への無事帰還もあっさりしたもので、そのあとアームストロングたちは安全確認のための検疫(当時は月面に未知の微生物などがいる可能性も考えられていた)で隔離されたまま、妻ジャネットとガラスごしの対面をして映画はいきなり終わる。その後彼には一連の顕彰イベントがあったはずだが、それらに触れることはない。そういうことを喜ぶ人でもなかったろうし、実際その後は表舞台に全く出てこなくなるわけで、この人の伝記映画としてはこれでいいのだろう。 ライアン=ゴスリングがこのなかなかとっつきにくい人物を、実にそれらしく演じて見せたし、わざわざ当時の記録映像っぽくなるようにしたという撮影もリアルさに貢献していた。内容的にえらく暗い…とは確かに思うんだけど、映画としてのまとまりはすごくいいと思うし、宇宙開発ネタ大好きな僕としては大満足。日本では「宇宙兄弟」とのコラボでの宣伝があったりしたけど、内容的にはちと不似合いだったんじゃないかなぁ。 どんな映画を見てもついついパロディを考えちゃう僕だが、この映画を見ながら思ったのは、「最初にアフリカを出てアラビア半島あたりに一歩を記した『ファースト・マン』ってのもいるわけだよな」というものだった(笑)。ああ、あと最初に一塁を守った「ファースト・マン」もいるはずだとか(笑)。 ま、とにかくアポロ計画というのがいろんな意味で、「よくやっちゃったよなぁ」と思うばかりのシロモノであることを改めて思い知らされた映画でもありました。(2019/3/12) |