「決算!忠臣蔵」 2019年:日本 |
○監督・脚本:中村義洋○撮影:相馬大輔〇美術:倉田智子〇音楽:高見優〇原作:山本博文「『忠臣蔵』の決算書」〇プロデューサー:中居雄太/木本直樹〇企画プロデュース:池田史嗣/古賀俊輔〇エグゼクティブプロデューサー:吉田繁暁/片岡秀介〇製作総指揮:大角正/岡本昭彦 |
堤真一(大石内蔵助)、岡村隆史(矢頭長助)、濱田岳(大高源五)、横山裕(不数右和衛門)、荒川良々(堀部安兵衛)、妻夫木聡(菅谷半之丞)、大地康雄(奥野将監)、西村まさ彦(吉田忠左衛門)、木村祐一(原惣右衛門)、鈴木福(大石主税)、竹内結子(りく)、石原さとみ(遥泉院)、西川きよし(大野九郎兵衛)、阿部サダヲ(浅野内匠頭)ほか |
一か月ほど前、僕が目にする範囲のツイッター上で、「近頃は忠臣蔵の知識が全くない人がかなりいる」というテーマが話題になっていた。かつて日本人の「国民的時代劇」といっていい存在で、繰り返し繰り返し映像化されてきた「忠臣蔵」だが、そういえばここ数年は映画でもテレビでも「忠臣蔵」ものが一切作られていない(ハリウッド製があったけど)。以前は「忠臣蔵」さえやれば当たる、とまで言われた存在だが、それはみんながそのストーリーや関連知識を共有していて、それがどういう形で映像化されるのかを楽しみに見ているところがあった。だが最近は「忠臣蔵」そのものもろくに作らないし、見る側も「忠臣蔵」知識ゼロの状態であることが多いため、ますます作られない負のスパイラルになっている…というような話題だった。まぁ僕自身大河ドラマ「元禄繚乱」の時ですら「今さら忠臣蔵かよ」とバカにしていたクチだ。 戦国・幕末など時代の方よりはあるものの、歴史ものそのものへの関心がなくなってるわけではない。現在の若い世代はゲームやネット上情報などを入り口にそうした歴史物に首を突っ込むようだが、確かに「忠臣蔵」となると、そういうのと相性が悪い気はする。 さて、この「決算!忠臣蔵」は、そんな状況の中で久々に日本国内で製作された「忠臣蔵映画」だ。ただし、かなりの変り種、キワモノとして製作されていて、製作に吉本興業が参加、全編関西弁(ま、赤穂の人たちなら関西弁だったろう)で展開されるコメディ「忠臣蔵」となった。しかもテーマは「カネ」である。「忠臣蔵」の事件を「出費」の観点からドラマを再構築した一本だ。 原作とされているのは山本博文氏の著作「『忠臣蔵』の決算書」だが、これはコメディでもなんでもなく、ちゃんとした歴史解説本。「忠臣蔵」の主人公・大石内蔵助は吉良邸討ち入りに至るまでの出費をちゃんと記録にとっていて、その「決算書」を浅野内匠頭夫人である遥泉院に提出している。よくある「忠臣蔵」作品では討ち入り直前に大石が遥泉院のもとを訪れ、「討ち入りはしない」ととぼけて去るが、そのあとに連判状が出て来て…という「泣かせる名場面」になってるが、史実ではあのときに大石は「決算書」を提出して討ち入り前のカネの問題をきちんとクリアにしていたのである。だから遥泉院も実際には討ち入りを承知していたと思われるし、実は全て遥泉院の画策だったとするドラマも過去にあったりもする。 ま、それはおいといて、この大石が提出した「決算書」から、彼らが討ち入りまでにどのようなことにカネを使ったのかが詳細に分かるわけ。それをまとめた書籍も面白いのだが、それを元に、コメディタッチの時代劇映画にする、という企画を思いついた人も大したものだ。 監督やプロデューサーの名前を見ると、最近では「殿、利息でござる」を製作した人たちであることが分かる。あれは仙台藩で実際に起こったことを下敷きに、やはり「カネ」の問題に注目した時代劇で、そういえばその「カネ」をいちいち現在の価格に換算する描き方も共通している。今回はそれを徹底したコメディとして描いたところがポイント。関西弁のせいもあって、やはり関西お笑いのノリが強くなっているのかな…と関東人の僕は完全には理解できないんだけどね。 この映画、まずは「松の廊下」以前の逸話から始まる。「火消しの浅野」の異名をとる浅野内匠頭(演:阿部サダヲ)が建物を破壊する大掛かりな防災訓練を実施、家老の大石内蔵助(演;堤真一)が藩の予算と武士の心得との間で揺れる様子が描かれ、これがその後の大石の態度の伏線になる。そして「松の廊下」の場面になるんだけど、これは実にアッサリ。なにせこの映画、吉良が登場しない(ネタバレってほどでもないよね)。松の廊下のシーンで吉良を演じてるの「カメラ」である(笑)、 さて松の廊下刃傷、内匠頭切腹で赤穂潘はおとりつぶしに。この映画ではこの部分を「倒産」と題し、実際に現代に終える企業倒産になぞらえて「赤穂浪士」たちの混乱を描く。潘取り潰しを企業倒産に例える描写自体は過去にもあるし、藩札の停止や払い戻しといった経済面の処理の模様を描いた例もあったが、本作は藩士たちに配布する「割符金」=退職金という、これまでの忠臣蔵ではたぶんタッチしたことのない問題に重点を置いている。城を明け渡すのか、徹底抗戦するのかとモメるおなじみの評定場面が、どうすると退職金がいくらになるのか、という現代人にも身に染みて分かりやすい切り口から描かれて見る側の心をつかんでしまう。城を枕に討ち死にした場合と素直に明け渡した場合の退職金の額を現代換算で示されると、なるほど明け渡すわけだよなぁと(笑)。 主役はもちろん堤真一演じる大石なのだが、この映画では矢頭長助(演;岡村隆史)という勘定方の役人をもう一人の主役の位置につけている。彼も一応実在人物で、彼自身は討ち入り以前に死んでるものの息子が参加して「義士」に名を連ねているのだが、この映画では藩の財政を地道に支えてきた裏方として描かれ、岡村さんが演じてることにともすれば気づかないほど地味な役。大石とは同年齢の幼馴染だが家老とヒラの勘定方では身分さは歴然。その年収差も現代換算でバッチリしめされる。 彼らのような勘定方がどうにかこうにか財政をやりくりして裏金をつくり、それを吉良のような人たちへの贈賄に使って潘を裏から支えたりしていたのだが、潔癖症の殿様がそれを嫌って結果的に潘そのものをつぶして家来たちを路頭に迷わすことになったわけで、矢頭のような立場からすれば殿様の行為はとんでもないことなのだ。こうした観点もこれまでなかったわけではないが、やはり金銭面からの切り口が面白い。 版画取り潰されたのち、江戸在住組が一刻も早い討ち入り実行を唱える一方、大石は仇討ちを選択肢には入れつつ浅野内匠頭の弟・大学を建てての「お家再興」を第一目標に運動を進めてい行く。この辺もこれまでの忠臣蔵ものでおなじみのところだが、お家再興の運動にも当然カネはかかる。また世間では討ち入り期待の声もあって、大石としては討ち入りはないと思わせるためにも例の祇園での廓遊びとなるわけだが、これらもやはり「カネ」の観点から描く。またこれも前例があるのだけど、大石の廓遊びを「真意を隠すため」ではなく、大石当人がかなりの女好きの遊び人で、この映画でも大石はこの廓遊び作戦を「いいね、それ!」と大喜びでやってしまう。この流れで「お軽」でも出てくるのかと思ったらそれはなかったかな。 一方でこの大石、かなり短気で「キレる」キャラにもされていて、節々でその爆発があり、結局お家再興工作が不可能と分かったことで討ち入り実行へと突き進むことになる。しかし討ち入りと決まったら決まったで出費はさらに大変なこととなり、この面でも映画は中盤から一気に面白くなる。 史実でもあるのだが、定番の忠臣蔵では円山会議で討ち入り実行が決まると、赤穂開城の時に仇討ち参加を表明した者たちが提出した起請文(神文)を各自にいったん返し、本当にやる気のある者だけに絞り込もうとする展開がある(神文返し)。これをこの映画では、「参加者が多いと出費がかさむ」という理由から「リストラ」としてこの作業を行うことになっていて、このくだり、もとの忠臣蔵を知ってる人ほど笑える。なお、この映画ではギリギリまで討ち入り不参加表明者である大高源五がこの作業に当たったというのは史実だったりする。 出費、ということでは現代人より深刻なのが「旅費」だ。登場人物の多くが江戸と京都を行き来するが、その旅費は現代換算だと片道だけで「36万円」。現代のような交通機関がなく歩くだけだから安く上がるかというとそうではなく、何日もかかるだけに途中の宿泊費・食費が大変なのだ。劇中で浪士たちが旅をする、その一人一人の頭上に「36万円」という数字が表示され続ける演出には爆笑してしまったし、安兵衛たち江戸強硬派が勝手に京都に押しかけて来て大石が激怒するのもよく分かるというもの。 浪士たちが江戸に集まってからもいろいろと出費がかさむ。江戸滞在組が勝手に購入した安屋敷が火事で燃えちゃうハプニングも起こり、討ち入りまでの間の浪士たちの住居費ほか生活費だって大変。江戸滞在組に強硬派が多かったのは早く討ち入りしないと生活費が…という背景があったんじゃないか、って話は大河ドラマ「元禄繚乱」でもやってたけどね。 討ち入りの相談(リハーサル)でも次々と出費問題が。一同そろいの衣装をつけるとか、鎖帷子などの武装や武器、さらには忠臣蔵でいつもおなじみのハシゴ・金槌・吉良発見時の笛などなど、人数分そろえなきゃいけないものも多くて、画面上ではそれらにより予算がどんどん減ってゆき、勘定方や大石の顔が青ざめていくところも大笑い。史実がどうだったかは分からないが、確かにいろいろと物入りだったのは本当なんだろう。 こうした「出費」ばなしで大石たち幹部が右往左往する辺り、確かにこれまでの忠臣蔵では全く描かれなかった点だし、関西弁のセリフの効果もあって実感が伝わってくるのも楽しい。実際僕が見ていた映画館でも周囲の客が結構笑ってて、もっと客が多けりゃ(僕はたいだい客の少ない平日昼間に行ってるから)場内爆笑といったところではないかと。さすが制作に吉本が参加しているというべきか。ま、今年はその吉本もいろいろミソつけてましたけどね(「浪士」に討ち入りされそうな気配だったもんな)。 出演者も多彩でそれぞれに面白いが(大野九郎兵衛役の西川きよしの目玉も凄かったし、大地康雄さんも久々に見た)、特にひとり挙げるなら、大高源五役の濱田岳かな。あっちゃこっちゃ出て来る人だが、この映画では討ち入りに協力はするけど参加する気はないという、一歩引いたスタンスで立ち回る独特の役どころ。この映画でもそうだが史実の大高も俳人という側面があり、よくある忠臣蔵では「明日待たるるその宝船」と詠むのが定番だ(これは完全なフィクションだけど)。この点もこの映画では定番を外して、討ち入り非積極派として描くところが面白いのだが、映画では描かないけど結局討ち入りに参加して切腹に至っているのはなぜなのか、映画では分からなかったような…その辺、説明していたかな? 総じて変り種時代劇、コメディ映画としてよく出来てると思うんだけど、ひとつ気になったのは、これ「忠臣蔵」知識ゼロでも楽しめるんだろうか、という点。まぁタイトルに銘打ってるから観客はある程度「忠臣蔵」知識のある人なんだろうけど、この映画は結構細かく、それまでの定番「忠臣蔵」の場面や設定を下敷きにした上でコメディに仕立ててるので、元ネタを知ってた方がより楽しめる。裏返すとそっちを知らないと面白さがいまいちわからないのでは…という気もいた。興行側もそれを気にしてか、パンフレットには忠臣蔵豆知識が盛大に載せられていたりした。 といって、僕ですら「今さら」と思ってしまうくらいだから、定番の「忠臣蔵」を作るのは難しくなってるだろうなぁ。似たようなことは「忠臣蔵」だけでなく、「国定忠治」だの「清水次郎長」だの「天保水滸伝」だの「荒木又右エ門」だの…と多くの「かつての定番」にも起こっている。そういう誰もが知る定番を見せることに頼りすぎたのも時代劇衰退の原因でもあるんだろうが… この「決算!忠臣蔵」みたいなコメディ・パロディの方を入り口にして時代劇を見るようになる人もいるのかなぁ…などと、そんなことにも思いをはせてしまった。(2019/12/8) |