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「レッズ」
Reds


1981年・アメリカ
○製作・監督:ウォーレン=ベイティ○脚本:トレヴァー=グリフィス/ウォーレン=ベイティ○撮影:ヴィットリオ=ストラーロ〇音楽:スティーブン=ソンドハイム/デイブ=グルーシング○製作総指揮:サイモン=レルフ/デデ=アレン
ウォーレン=ベイテイ(ジョン「ジャック」・リード)、ダイアン=キートン(ルイーズ・ブライアント)、ジャック=ニコルソン(ユージン・オニール)、モーリン=ステイプルトン(エマ・ゴールドマン)、エドワード=ハーマン(マックス・イーストマン)、イエジー=コジンスキー(ジノヴィエフ)ほか




 「レッズ」、といえば浦和レッズをまず連想する人も多いだろうが、要するに「赤」の複数形。そして日本語のニュアンスとしては漢字ではなく「アカ」とカタカナで書く方が感じが出る。つまりは「共産主義者」を指す言葉(英語でもたぶん揶揄・蔑視のニュアンスを含む気がする)なのだ。余談だが、ずいぶん前にビートたけしがどっかの週刊誌で日本共産党のことを「代々木レッズ」なんて呼んでたことがあったな。Jリーグ発足直後で浦和レッズが常敗チーム扱いされてたころの話。

 この映画「レッズ」は、あのアメリカに共産主義政党を作ってしまった男の伝記映画である。その名はジョン=リ−ドというのだが、愛称が「ジャック」だったので劇中でもほとんど「ジャック」と呼ばれている。製作当時はまだまだ冷戦の最中で、資本主義陣営の親分であるアメリカにおいて「共産主義者」を主人公に映画を作ってしまう、というのは大変な企画だったと思うのだけど、当時の二枚目大スターであるところのウォーレン=ベイティは製作・脚本・監督・主演の四役をこなして3時間超の大作に仕立て上げてしまった。
 
 ベイティがどうしてそこまでして「レッズ」を作ったのか。僕も今回二度目の鑑賞を機会にウィキペディア英語版でその辺の事情を調べてみたが、ベイティは早くも1960年代からジョン=リードの生涯に強い興味をもってリサーチを行い、映画化を目指して脚本執筆も進めていたという。その段階では実現できず、1970年代に入ってまたチャレンジするがやはり実現しない。その後のベイティの大活躍、とくに「天国から来たチャンピオン」で製作・脚本・監督・主演の四役をつとめて大ヒットを飛ばしたことで、パラマウント映画が資金を出してくれることになって悲願の「レッズ」映画化実現となったという。なお、ベイティは「レッズ」は製作・監督で当初は主演までする気はなくリードに顔が似てるジョン=リスゴーに頼もうとしていたが結局自らリードを演じるはめになった…と、いう話なんだが、その逸話が信じられないほどに映画の中ではリードになりきり熱演。そりゃそうだ、長年のめりこんだ人物なんだもんね、自ら演じるのが正解だろう。

 熱演だけでなく映画自体もしっかりお金も手間もかけた堂々たる風格の歴史大作となり、その年度のアカデミー賞でも本命視されたが、あの「炎のランナー」とぶつかってしまうという運の悪さで作品賞は逃したものの、監督賞・撮影賞・助演女優賞は獲得している。
 こういう映画が作れて、商業的にも成功して、ちゃんと評価されるというところも、アメリカという国のふところの広さだと思う。ま、ハリウッドはかつて「赤狩り」の苦難を経験してもいるし反体制志向は強いからね。

 さて映画本編、最初はいきなりドキュメンタリー映画風に始まる。真っ暗な背景の前にいずれもかなり年老いた男女が次々登場して、ジョン=リードとルイーズの二人についての思い出話を語るのだ。こうした映像は映画の節々に挿入され、複数の人がそれぞれ異なる視点から重いっを語るので、二人の人物の印象が多角的・立体的かつリアルに浮かび上がってくる(映画劇中で描かれるものとは必ずしも一致しない)という面白い演出だ。
 この部分、出てくる人がみんな凄い年寄りだとわかるのだが、本当にジョン=リードらと関わった人が語っているドキュメント映像なんだろうなーと前に見た時も思ったのだが、今回鑑賞して「1980年当時で彼らを知る人は存命かなぁ。全部俳優の演技?」とも思い、調べてみた。結論から言えば、この部分はやはり本物のインタビューで、先述のようにかねてリードの生涯にのめりこんでいたベイティが1970年代初めに製作したドキュメンタリー映画の素材をそのまま使ったものだという。10年ほど前ということなら、存命の人もそこそこいたのだろう。

 そんなドキュメント・インタビューのあとにドラマ本編が始まる。時は1915年。ヨーロッパでは第一次世界大戦の最中で、アメリカは参戦の是非をめぐって世論が割れていた。人妻ながらモデルやジャーナリストとして奔放に活動するルイーズ(演:ダイアン=キートン)は、政治家たちが参戦を煽るパーティーで「参戦するのは利益のためさ」と言い放つジョン=リード(演:ウォーレン=ベイティ)という若きジャーナリストに興味を抱いて接触する。リードは労働運動に深く関わる一匹狼的ジャーナリストで、共産主義(社会主義)にも共鳴していたし戦争にも反対していた。知り合ってすぐに二人は男女の関係になって、「同志」的結びつきもすることになる。

 …といっても、当人たちを知る関係者も語ってるけど、「ジャック」ことリードとルイーズの関係は単純じゃない。リードの周辺には当時のリベラル・インテリたちが集まっていて、いろんな面で「進んでいる」思想を実践していた。男女関係についても結婚というのは古臭い束縛だととらえていて、男も女も自由恋愛であるべき、という人たちで、リードもルイーズもそれを実践しちゃう、劇中ではルイーズが劇作家のユージン=オニール(演:ジャック=ニコルソン)とも関係ができちゃう様子が描かれるが、リードの方もどうやら何人もの女性と関係を持ってるっぽい。お互い様…という割り切りもできず、ルイーズもリードも相手の「浮気」をなじって結局「結婚」という形をとっちゃう。
 楽屋話になってしまうが、この映画の撮影中か撮影後にベイティとキートンは実際に交際していた。キートンはそれ以前の「ゴッドファーザー」で夫婦役だったアル=パチーノともつきあっていた時期がある。一方のベイティはもう有名なプレイボーイで、つきあった女優は数知れず。なもんだから、この映画でのリードとルイーズの痴話ゲンカシーンでルイーズが「何人の女と寝たのよ!」と追及するセリフって、何やら演じる二人の実際の関係をにおわせてしまったりするのだ。

 映画の序盤、といっても長丁場の映画なので、こうしたリードとルイーズのくっついたり離れたりのラブコメ(というには重いか)な展開が時間をかけて描かれる。リードはもちろんだが、ルイーズって当時としてはやたらに「進んだ」女性だったんだなかと驚くばかりだ。そして1917年、不穏な情勢となってきたロシアへとリードとルイーズは取材に乗り込む。この時点でまたケンカ別れ状態だった二人だが、ボリシェヴィキ革命が進行してゆく歴史的状況を二人で取材するうちに、革命の炎ともども愛の炎も再燃、レーニンらの革命が成就して「インターナショナル」の歌声がぺテルスブルグにとどろくなか、二人がしっかりと愛を確かめ合うという二重写しの大盛り上がりで映画は前半終了となる。

 ここまでが上り調子の展開だとすれば、いんたっミッション後の後半の展開はどうしても下り調子になっていく。ま、その過程もずいぶん長いんだが。
 帰国したリードは、ロシアのボリシェヴィキ革命を取材したルポ『世界をゆるがした十日間』を執筆、刊行して大きな反響を得る一方、自らも共産主義者として政治活動にのめり込んでゆく。当時のアメリカにおける労働運動・社会主義政党であった「アメリカ社会党」での主導権を握ろうとするが逆に排除され、自ら共産主義政党を立ち上げることになるが、ここでも方向性の違いから共産主義者たちでも一致団結はできず、別派が作った「アメリカ共産党」に対抗してリードは「アメリカ共産労働党」を結成する。そして「共産労働党」をコミンテルン(ソ連が主導する世界の共産主義運動組織)に公認してもらおうと考えたリードは、危険を冒して再びロシアへと潜入する。

 しかしコミンテルンはリードの思うようには動いてくれず、アメリカの二つの共産党を合体させよというばかり(実際1919年に統合、現在も健在である)。コミンテルン側の対応にいらつくリードに、先にアメリカから亡命していた同志のエマ=ゴールドマン(演:モーリン=ステイプルトン)は、革命からここ数年のロシアの惨状、飢餓や粛清で何万という命が失われていることを聞かせ、ボリシェヴィキ革命への幻滅を語る(この場面が特に印象深いせいか、ステイプルトンはアカデミー助演女優賞をとった)。映画では語られないけどこのエマ・ゴールドマンって人も調べてみると充分映画の主役になれそうな劇的人生なんだよなぁ。

 それでも革命の理想を信じたいリードだったが、一度帰国を強行して途中のフィンランド国教で逮捕・幽閉され、フィンランドと取引したロシアに開放してもらうものの、今度は革命思想の宣伝のために旧ロシア帝国支配下のイスラム圏(現在のアゼルバイジャンあたりと思われる)へと派遣される。ここで演説をやらされるも、内容は勝手に翻訳されてイスラム聖戦を呼びかけるものにされてしまう始末。ここで列車襲撃や騎馬隊同士の大合戦など「アラビアのロレンス」を思わせるスペクタクルシーンも展開される。

 ロシアに行ったっきり行方不明になったリードを追って、ルイーズまでがロシアに潜入してくる展開も凄い。行き違いを繰り返してなかなか会えなかった二人が、駅で再会して抱擁するシーンは、もはや映画史上の名場面といっていいだろう(まぁ史実はここまで劇的ではなかったようだがルイーズが執念でロシアまで探しに行ったのは事実)。どっかで見たような、という気が今回したのだが、宮崎駿の「風立ちぬ」の駅での再会シーンが似てることに気が付いた。まぁ「レッズ」の方も元ネタありかもしれませんけど。

 見終わってみると、なるほどベイティが長年映画化を熱望しただけの主人公二人である。そう、ジョン=リード一人ではなく、ルイーズもセットの主役でこの映画は成立してるんだよね。リードは1920年にモスクワで33歳で死去して赤の広場に葬られ、映画では語れらないがルイーズはその後も各地で活動を続けて1936年にパリで死去、いずれもあまり長生きはできなかった。二人を知る人たちが1970年ごろまではそこそこ生きていたというのも納得。今や百年前の話になっちゃったが、作ったころはまだ60年ばかり前の「最近の話」だったわけで。
 
 触れるのが最後の方になっちゃったが、名撮影監督・ビットリオ=ストラーロによる独特のきめ細かく味わいある映像は、この作品にいかにも「歴史大作」という風格を与えている。これの前に「地獄の黙示録」、このあとに「ラストエンペラー」をやる人ですからね。僕はこの人の撮影した作品では映画ではなくテレビドラマ「ピョートル大帝」が最初なのだが、そのときいきなり名前を憶えてしまったくらい印象が強かった。80年代は特に大活躍だった。
 ロシア革命がらみの壮大な恋愛ドラマということで、デビッド=リーン監督の「ドクトル・ジバゴ」と並べて鑑賞してほしい一本だ。ソ連も崩壊し社会主義・共産主義を理想のように語る人は絶対的に減ったと思う今日でも、この映画の価値は色あせないと思う。(2019/4/12)




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