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「バイス」
VICE
2018年・アメリカ
○監督・脚本:アダム=マッケイ○撮影:グレイグ=フレイザー〇音楽:ニコラス=ブリテル〇製作:アダム=マッケイ/ウィル=フェレル/ミーガン=エリソン/デデ=ガードナー/ブラッド=ピット/ジェレミー=クライナー/ケヴィン=J=メシック
クリスチャン=ベール(ディック=チェイニー)、エイミー=アダムス(リン=チェイニー)、スティーブ=カレル(ラムズフェルド)、サム=ロックウェル(ジョージ=W=ブッシュ)、タイラー=ペリー(コリン=パウエル)、アリソン=ピル(メアリー)、リリー=レーブ(リズ)、ジェシー=プレモンス(カート/ナレーター)ほか




 欧米では、まだ当人が生きてるうちに、その伝記映画(必ずしも賞賛姿勢ではない)を作って公開してしまう例がある。最近でも「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」があったし(まぁ当人はすでに恍惚の人でしたが)、この映画にも出てくるブッシュ息子大統領を描いた「ブッシュ」もあった(まだ見てないけど)。伝記映画とは言い難いがエリザベス英女王を主役にした「クイーン」なんてのもあった。いずれも「よく作っちゃうなぁ」と日本人としては感心するばかりで。日本では近い時代の事件の映画化なんかはあるけど、政治家の伝記映画なんて絶望的に無理な感じ。「小説吉田学校」では当時存命の政治家もかなり出て来ていたが、メインはとっくに故人になってた人だったし。

 さて本作「バイス」である。ここでの「バイス」とは「バイス・プレジデント」で、「副大統領」のこと。2001年から2008年までのブッシュ息子政権で副大統領をつとめ、「影の大統領」だの「実質チェイニー政権」だのと言われた、ディック=チェイニーの伝記映画だ。もちろんチェイニー氏当人は今も存命である。
 ブッシュ息子政権といえば「9・11テロ」と「イラク戦争」だ。どちらか片方だけでも映画が作れちゃうほどで、政権時代、つまりチェイニーが副大統領になってた時期だけを扱っても十分に映画になったと思うが、本作はチェイニーの青年期から始まり(冒頭で9.11テロ時の模様が『先行上映』的にはいるけど)、その政治家人生ほぼ全部を描いてゆく。おかげで本作はチェイニーの目から見た、アメリカ共和党政権通史・裏面史という性格も強くなっている。僕にはこの点が特に面白く感じられ、熱心に見入ってしまった。

 冒頭で9.11テロ時のチェイニーをチラ見せしてから、話は彼の青年時代にさかのぼる。高校時代に知り合った恋人リン(演:エイミー=アダムス)のツテでイェール大学に入るも中退、酒とケンカに明け暮れて職を転々とするという絵にかいたような@「ダメ男」という、意外な青年時代で、どこまで史実なのか気になるが、映画冒頭で作り手は「可能な限り事実に基づいた」という趣旨の文章を掲げているので、おおむねそういうことがあったのだろ。
 このダメ男に愛想を尽かしたリンが激怒。彼女自身はかなりの才女だが、1960年代当時のこと、女性政治家あるいは女性大統領など考えられない時代で(女性大統領はいまだに実現してないが)、あくまで出世は夫にやってもらって自身はその「妻」として社会的地位を得るしかない。だからあんたが頑張んなきゃダメでしょ!ってんで彼氏のチェイニーを叱咤する。これであっさり立ち直るのが面白いところで、チェイニーはここから頑張り、いつの間にやら政界入り。映画ではすっとばしていたが、調べたところこの間に大学に入りなおして政治学を学んで大学院まで進み、それなりに優秀さを示したからこそ政界入りできたようだ。

 政界入りして彼はある個性的な政治家の「子分」になる。その政治家とはドナルド=ラムズフェルド。のちにブッシュ息子政権で国防長官になる人物。この映画で初めて知ったが、チェイニーはその政治家人生の出発点からこの男と深い関係にあったのだな。
 チェイニーはこのラムズフェルド、言葉が下品でアクも権力欲も強い政治家から政界の裏表、ノウハウを学んでゆく。この新人政治家時代の初々しさ、リンと無事に結婚して娘たちをもうけ、小さなオフィスからコツコツと頑張り始めるチェイニーの姿は後の権力中枢に入った時代との対比になっている。彼が政界入りしたころアメリカは共和党のニクソン政権だが、親分のラムズフェルドはニクソン政権下でℋ窓際族だった。ところがニクソンが「ウォーターゲート事件」で辞任に追い込まれ、フォード政権に移行するとラムズフェルドおよびチェイニーには「我が世の春」がやってくる。チェイニーは34歳という若さ、史上最年少で大統領首席補佐官になってホワイトハウス入りを果たしちゃって、妻にも娘にも大いに面目を立てることになるんだけど、ここまでの映画の描き方からするとかなり意外にも見える。映画では深入りしてないが、良くも悪くも政治家・法律家としてかなり優秀だったことは間違いないんじゃないかなぁ。

 しかしフォードは1976年の大統領選挙で民主党のカーターに敗れ、チェイニーらホワイトハウスのスタッフはすっかりお葬式状態に。これを機にチェイニーは連邦下院議員に出馬、演説もあまりうまくなかったが、意外にも当選して本格的に政治家人生を歩み、レーガン、ブッシュ父の共和党政権で存在感を高めてゆく。ここらの描写で、共和党の保守・タカ派の人脈の形成、「新自由主義経済」思想のもとでの大企業・富裕層の優遇、保守系メディア「FOXニュース」の設立による世論操作などなど、その後のブッシュ息子政権や現在のトランプ政権につながってゆくアメリカ保守政界の現代史が垣間見えて興味深い。ただチェイニーが国防長官として深く関与した湾岸戦争についてはほとんど触れなかったような。その後のイラク戦争と深く関わる事件のはずだが、映画としては時間が割けないと判断したか。

 ブッシュ息子との出会いのシーンもなかなか印象的だ。ブッシュ父政権時代のあるパーティーで、ベロベロに飲んだくれた男が会場にやって来る。それが大統領の長男ジョージ=W=ブッシュであり、父親も困っている問題児であることをチェイニーは聞かされる。まさかこのダメ息子が後に大統領になり、自身がその副大統領になろうとは…という場面なんだけど、チェイニーとブッシュ息子はいずれも若い頃に飲酒運転で逮捕された経歴があるなど、「ダメ男」時代があった共通点があるのだな。
 なおこのシーンで、ブッシュ父が次男のジェウ=ブッシュの方に期待してるという話が出る。このジェブが後にテキサス州知事となり、2016年の大統領選挙に出馬、当初は一番の本命視されていたら予選段階でさっさと敗北してしまい、トランプ勝利につながってしまったのだから人の運命も歴史の展開も予測は難しいものだ。

 ブッシュ政権下野後、チェイニー自身も大統領選への出馬に意欲を見せるが、娘から「自分は同性愛者だ」と告白される(娘二人ともそうなんだよな)。同性愛には厳しい保守政界でこれは致命的といえる話で、政敵もそこを突いてくるはず。家庭内では娘思いのよき父であるチェイニーは娘の告白を優しく受けとめ、娘たちを守るために大統領選出馬を放棄、政界からも引退してしまう。石油会社ハリバートンのCEOでもあるチェイニーは生活に困ることもなく、田舎で悠々自適の余生を送ることとなった…めでたし、めでたし?となったところで静かなBGMと共にキャスト表示、エンドクレジットが始まる。エンドクレジットが始まると席を立っちゃう人は少なくないが、ここで席を立った慌て者も少なくないか?まぁこの映画をわざわざ見に来た人は彼がまだ副大統領になってないことに気づいてるはずで…

 ここで引退しておきゃよかったのに、という作り手の思いがこもった人を食ったジョークなのだが、残念ながら(?)映画は続く。ブッシュ息子が大統領選に出馬することとなり、チェイニーに副大統領候補になってくれと本人から電話がかかってくるのだ。副大統領というのは映画でも「大統領が死ぬのを待つだけ」と言われちゃってるように、いざとなれば大統領に昇格するナンバー2ではあるが実権があるわけでもなく、チェイニーもヒマな役職だと思っている。だがチェイニーはブッシュ息子を「バカ息子」と考えていて、直接の対談で言葉巧みに自分の立場が強くなるよう誘導して副大統領候補を引き受ける。ここで映画序盤からたびたび出てくる彼の趣味「釣り」とカットバックされるところが面白い。
 そして2000年の大統領選は大接戦となり、全体票では負けていたブッシュ息子が、あのフロリダ州の数え直しのすったもんだの末に「勝利」する。映画でも再現してるが、当日のうちに一部で「ブッシュ当確」と出てゴアが祝辞を送ったが、その後情勢が怪しくなってゴアが敗北宣言を撤回、決着までしばらく時間がかかることになる。だがチェイニーらブッシュ陣営はお構いなしに人事決定など勝利を既成事実化し、結局実際に政権をとってしまう。
 
 このあたりは僕自身、横目に見ていた「歴史」である。ブッシュ政権は地球温暖化対策の京都議定書からの離脱をはじめとする「俺様アメリカ」的な政策転換を次々実行、これは現在のトランプ政権でもそのまんま繰り返される。映画ではチェイニーなどブッシュ政権がメディアを使って巧みに世論誘導する様子などもテンポよく描かれる。そして2001年9月11日の同時多発テロがついに起こってしまう。
 前代未聞の大規模テロを受けて当然政権幹部は動揺する。チェイニーだって動揺するのだが、彼はむしろこの「危機」状況を利用して大統領の指導権を強化、ひいてはその「分身」的な自身の権限を強化し、「愛国」の大義名分をたてに個人のプライバシーを侵すような情報収集・監視システムを実施してゆく。大規模テロを利用したこうした政策はマイケル=ムーア監督のドキュメンタリー映画「華氏911」でも描かれていたが、こちらはそれを実施した当時者自身の視点かラそれが描かれる分けた。この映画では出てこないが、当時アメリカの国家安全保障局だったかがテロを受けて「千載一遇のチャンス」と言ったという逸話も思い出す。

 また、この映画で特に注目しているのが、「大統領執行特権理論」というやつ。アメリカ合衆国憲法の解釈理論の一つで、映画での説明を聞いた上で僕自身で憲法条文(第2章第2条)を読んでみて簡単にまとめてしまうと、「有事の際には大統領に権力が全て委任され何をしたっていい」という話。9.11テロ以前からチェイニーにこの理論を説明する憲法学者が出て来ていたが、実際に「有事」となったということでチェイニーはこれを利用しようとする。全面的に実現できたわけではないが、そうした「理論」が今も政界にひそかに息づいていることを、この映画は強く警告している。

 9.11テロを受けてブッシュ息子政権はアフガニスタンを攻撃、タリバン政権を転覆させるがテロの主犯であるオサマ・ビンラディンは取り逃がす(彼が殺害される話も映画化されてたが未見)。そして彼らはイラクへと矛先を向ける。この時の強引さは僕もリアルタイムで見ていたが、映画はその政権内の様子を細かく描いていて興味深い。とくにほかならぬチェイニー自身がその強引なイラク攻撃主張の中心にいたことが良く分かる。
 イラクに「大量破壊兵器」があると怪しげな情報源から強硬に主張、渋るパウエル国務長官に国連で演説させる(後にパウエル自身これを「生涯の悔恨事だとしている)。イラク北部にいた大した人物でもない武装組織指導者のザルカウィがビンラディンに接触していた(ただし物別れに終わっていた)というネタを根拠にイラクと9.11テロを強引に結び付けて世論を誘導する。この結果ザルカウィは「大物テロリスト」と扱われることになり、イラク戦争による混乱の結果「イスラム国」による凄惨な混乱につながることになる。そしてそれは現在でも終わっていない。

 チェイニーがどうしてそこまで強引に進めたのか、映画では正直動機面までは良く分からない(彼がCEOをしているハリバートンが莫大な利益をあげたというのは結果論だが、石油利権が中東問題ではどうしても絡んでくる)。その点、湾岸戦争が描かれてないのが響いている気もする。ただチェイニーらが「有事」状況を利用して強引に内外で強大な権力をふるいまくった結果、多大な犠牲者が出たという事実ははっきりと示され、こういう人たちがアメリカという超大国のトップであることに恐怖を覚えさせられる。どこの国の政治家でも似たり寄ったりのようにも思うんだけど、これがアメリカであるだけにその災厄の度合いは果てしない。作り手はそれを当然トランプ現政権にも当てはめている。自分の住んでる国が「大国」にならないほうがいいなぁ、とこの映画を見ていちばん思ったものだ。

 こういう、主人公を批判的に扱った映画だけに、作り手の政治的スタンスがリベラルであることは明白だ。それだけに映画で描かれることがどこまで事実なのか創作なのか微妙なのが気にはなる。一部わかってて事実と異なる話にしてるところもあるようだし、あくまでブラックコメディとしてまとめているのも作り手のアリバイ工作、もしくはそういう手法だからこそ批判的伝記映画が作れたというべきか。この映画のこうした性格はエンドクレジット中に挿入される市民トーク番組の場面(これ、ホントに見ないで席を立つ人多かったなぁ)で自らにツッコミを入れるようなこともしている。あと、このトーク番組シーンでは、そうした政治家たちを選んでるのがほかならぬ国民自身である、というのもブラックに暗示していた。
 ブラックユーモアの要素の一つに、チェイニーの持病「心臓発作」の扱いがある。映画の冒頭から謎のオジサンが「語り手」として登場し、観客も「あんた誰?」と思うのだが、彼は「親戚みたいなもんさ」と答える。その真相が終盤に分かるのだが…そう来たか!とビックリ。

 主役を演じたのがクリスチャン=ベール、というのを知って上で見て、その変身ぶりにビックリしたなあ。もっともこの人が出た映画って、「ダークナイト」と子役時代の「太陽の帝国」しかないんだけど。先ごろゲイリー=オールドマンが特殊メイクでチャーチルに変身して話題になったが、こちらはそこまでの特殊メイクではなく当人が増量して変身したとのこと。他の実在政治家たちも役者さんがよく似せていて、一目で誰だか分かるのも凄いと思った(余談だがドイツで作ったベルリンの壁崩壊の実録ドラマは各国首脳が誰が誰やらわからんことがあった)

 最後に、映画を見た後で調べて見て知ったこと。この映画の題名「バイス(VICE)」はもちろん「副」の意味があるのだが、辞書でひくと同時に「罪悪」の意味があったりするのだ。作り手がひっかけているのは明らかで、「副大統領」は「悪大統領」の意味にもなり、映画の趣旨がまさにそこにあることも分かってくる。(2019/6/1)




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