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「福沢諭吉」
1991年・日本
東映京都/東映東京
○監督:澤井信一郎○脚本:笠原和夫/桂千穂○撮影:仙元誠三○美術:井川徳道○音楽:久石譲○製作:佐藤正忠/高岩淡○企画:岡田裕介/佐藤雅夫/岡田裕
柴田恭兵(福沢諭吉)、榎木孝明(奥平外記)、仲村トオル(篠原小十郎)、南野陽子(ノブ)、若村麻由美(お錦)、哀川翔(中条貢)、勝野洋(岡本周吉)、鈴木瑞穂(土岐太郎八)ほか




 今年の春ごろにBS民放でひょっこり放送されていたのを年末になってようやく見た。ずばりそのまんまのタイトルで、幕末から明治にかけて活躍した有名な文化人・福沢諭吉の伝記映画である。なんで唐突にこの時期に、と思って調べてみたのだが、当時はバブル末期で映画企画がポンポン連打されていて、その中で有名人の伝記映画だ!ということで製作が決まったらしい。東映の岡田茂会長が「一万円をやれ!」と脚本家の笠原和夫に執筆を指示してスタートしたそうだが、実は本作は名脚本家・笠原和夫の最後の実写映画シナリオとなる(以後、アニメ映画「三国志」でクレジットされている)
 公開当時すでに「歴史映画マニア」化していた僕なので、この映画も見てみようかな〜と気にはなったのだが、結局見に行かなかった。なぜかというとさすがに「悪い予感」がしたのだ、この映画には(笑)。そもそも宣伝コピーが「日本映画に新たな名作が誕生した」だったんですよ。自分で勝手にそんなことを言う場合、たいていロクなことにならない。公開から四半世紀近くもたった今になってようやく(カット版ながら)実際に鑑賞してみて、その予感が当たっていたことを確認することとなった。

 鑑賞後に製作事情を調べたのだが、やっぱりこの映画、脚本段階からすったもんだして変更と迷走が繰り返され、結局なにが言いたいんだかさっぱりわからない映画が出来上がっちゃったのだな。
 まず最初に笠原和夫が書いた脚本第一稿は、諭吉の生涯全体をきっちりまとめた、良くも悪くも典型的な伝記ものであったらしい。それが監督の澤井信一郎には不満で、諭吉と他のキャラクターとの葛藤に焦点を当てようとした。その意向を受けて脚本は諭吉にとって上司でありライバルでもあり、そして理解者ともなる奥平壱岐守(後述するが映画では後半史実と異なるため「外記」と改名された)にスポットがあてられ、さらに諭吉周辺の若者たちの幕末人生模様も散りばめる内容となった。結果として映画全体でみると彼らの動きに長々と時間を割いてしまって肝心の主役であるはずの諭吉の存在感がえらく希薄という変な伝記映画になってしまったのだ。

 映画の冒頭は諭吉少年時代の有名なエピソードから始まる。祠のご神体をその辺の石ころと取り換えて、それをありがたがって拝む人々をあざ笑った、という、いかにも合理主義者らしい逸話だ。確かに象徴的エピソードなので取り上げるのは当然なのだが、この映画ではいきなりここから奥平外記少年との絡みになっていて、早くも二人の意見が対立する。その後への伏線なんだけど、肝心のこのシーンが子役二人の棒読み説明セリフ(そもそも内容が難しい)のために見ていて萎えること、萎えること。このエピソードを最初から知ってればともかく、知らない人には何の意味があるシーンかわかんなかったんじゃないかと。

 続いていきなり青年期となった諭吉と奥平外記は長崎へ遊学。史実の通り、諭吉は上司である奥平の従者として長崎に行くのだが、洋書を自分で買って読める奥平に対して、それを夜中にこっそり盗み読みする諭吉、という対比がなされる。僕自身は漫画「風雲児たち」で間接的に読んでるのだが、諭吉の自伝ではこの奥平さんは諭吉の語学力に嫉妬してかなり悪辣な妨害工作をかけたことになってるそうで、それに比べるとこの映画の奥平は「わりといい人」な位置づけで、諭吉と対立することはあっても理解者ではあり、当人自身もちょっと人生が違えば諭吉同様に活躍できたはずの人、といったキャラクターになっている。このため映画が進むにつれ奥平は諭吉に対するコンプレックスをどんどん強めていき、悲劇的な…
 まぁいいか。ネタバレを書いてしまおう。映画の後半で奥平は諭吉の慶應義塾へやって来るのだが、諭吉に対するコンプレックスがますます増大
なぜか庭のブランコに乗りながら延々と諭吉に愚痴り(このシーン、監督が異様に力を入れて大変な長回し芝居である)、それで慰められて気を取り直すかと思ったらあっさり直後に自殺しちゃうのだ。それも切腹しようとしてなかなかできず、自分のふがいなさを自嘲しながら結局ピストルで切腹(!?)しちゃうという変な死に方で(これがまた、やたらに力の入った長回し芝居!)

 なんか、監督はこのキャラクターに妙に思い入れがあったことは分かるのだが、それがこの映画でどういう意味があるのか理解に苦しむ。そりゃまぁ歴史上の圧倒的多数の人物は有名人物の陰でなんら活躍もせずに消えていったわけで、そこに視線を向けたかったんだろうとは察するのだが、だったら福沢諭吉の映画にしてる必要はなかろう。それともう一つ問題なのは、この奥平という人物は史実では過去にこだわらず諭吉に弟子入りし慶応義塾を支えていて、自殺なんかしちゃいない、という点。映画の役名が「奥平外記」と変えられているのも、あくまで奥平壱岐守をモデルにした別人です、というエクスキューズなのだ。史実を改竄してまでそんな「葛藤」を描く必要なんてあったんだろうか?

 仲村トオルが演じる篠原というキャラもよくわからない。もともと欧米文化を学ぼうと諭吉に弟子入りするのだが、南野陽子演じるノブという女性(これがまた設定に無理があるキャラなんだよなぁ)と恋仲になったかと思うと、動乱の時代に学問だけじゃだめだと思って、諭吉の説得を振り切って彰義隊攻撃の官軍に加わってしまう。諭吉と激論になる部分、諭吉が「戦争ほど馬鹿げて悲惨なものはない」と反戦大演説をして(後年日清戦争を絶賛してるのだがなぁ)、ここがなかなか熱くて見どころになっているのだが、結局篠原はじめ弟子たちの多くがその説得に応じないのでせっかくの大演説も無になってしまう。深読みすればこの「反戦演説」、おそらくは戦中派の笠原和夫の思いも濃厚に反映してるのだろうし、それが結局あまり効き目のない辺りも戦中の雰囲気を反映してるのかもしれない。だけど、この映画では単なる空振り演説にしか見えないんだよなぁ。
 いわゆる「上野戦争」の最中に諭吉が慶應義塾で授業をしていた、という事実はあるらしい。かつて日本テレビの年末大型時代劇のひとつ「五稜郭」でもそんなくだりが描かれていたことがある。新時代に向け学問と教育に力を注ぐ者と、血気にはやって戦ってしまう若者とを対比させたいという意図はあったのだろうけど、これならちらっと描いただけの「五稜郭」の方がずっとうまく処理できてたな。

 ほかにも哀川翔が演じる中条貢という人物も、アメリカに留学したらかえって欧米文明に圧倒されてノイローゼ的国粋攘夷論者になっちゃう、という話自体は面白いのだが、ストーリー本筋への絡み方が完全に空振りしている。南野陽子が演じるヒロイン・ノブもはじめは洋服着て英語もこなすキャリアウーマンかと思わせて実は貧乏な実家を助けるため体を売る女性だったという、意外と言えば意外なんだけど、その貧しい長屋暮らしの描写に妙に力が入っているとか、どうもこの映画の作り手(特に当初の脚本にケチをつけたらしい監督)の目の付け所には首をかしげるところが多い。

 そういう脇役たちが、どうでもいいけど印象に残る一方で、主人公のはずの諭吉さんはまるで印象に残らないから困りもの。オランダ語をマスターして横浜に出かけたら英語ばっかりでショックを受けるという有名な逸話も描かれてはいるんだけど、なぜかアッサリ通り過ぎていく。諭吉と言えば咸臨丸でアメリカにも渡っているのだが、これがほとんど絵とナレーションで処理されちゃうのにもビックリ。恐らく船で太平洋を渡るシーンが撮影できなかったからと思われるのだが、アメリカ体験部分をカットしちゃダメでしょ。それでいて二度目の訪米の部分は短いながらもあるんだから、ホント作り手の意図が良く分からない。僕が見たのがカット版のせいかもしれないが、勝野洋が演じる岡本周吉の出番も中途半端に出たり出なかったりで、結局この人が諭吉とどうかかわってるのか分からないんですよね。

 この映画、どれほどの興行成績を上げたかは知らない。なんでも当時はバブル末期で、映画もスポンサーがつけばバンバン作っちゃう景気のいい時期だったようで、この「福沢諭吉」も製作事情はよかったらしい(といってもカネかけてるのは慶應義塾のオープンセットくらい?)。諭吉さんが主人公だし、お勉強になるというんで見に行った人もそこそこいるのかも。
 澤井信一郎監督はこれの次回作に、おなじく伝記映画である「わが愛の譜 滝廉太郎物語」を手掛けてるんだが、こちらは割とまっとうな伝記映画になってた印象がある。(2016/1/14)
 



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