| 「2001年宇宙の旅」 2001:A Space Odyssey 1968年・イギリス/アメリカ |
| ○製作・監督・特殊効果:スタンリー=キューブリック○脚本:アーサー=C=クラーク/スタンリー=キューブリック○撮影:ジェフリー=アンスワース/ジョン=オルコット〇美術:トニー=マスターズ/ハリー=ラング/アーネスト=アーチャー○特撮:ウォーリー=ビーバーズ/ダグラス=トランブル/コン=ペダースン/トム=ハワード |
| キア=デュリア(ボーマン)、ゲイリー=ロックウッド(プール)、ウィリアム=シルベスター(フロイド)、ダグラス=レイン(HAL9000)ほか |
問答無用の、映画史上に燦然と輝くSF映画の名作。昨年で公開からちょうど半世紀となり、劇中で描かれた2001年もとっくに過ぎたが、今なお輝きが色あせない「古典」となってしまった映画だ。 今回これを鑑賞して文章を書いてみる気になったきっかけは、今年のエイプリルフールの記事で本作がらみのネタをやったせいなんだけど、鑑賞自体は何度もしてる。我が家にあるDVDを引っ張り出して確かめてみたら、このDVD自体が1998年発売、つまり20年も前の商品、自分でも少し驚いてしまった。DVD市場の初期のころに買ってるんだな。それだけ最新ソフトで手元に置いておきたい、と当時思ったのだろう。 僕がこの映画を最初に見たのは、TVの深夜帯に放送されていた吹き替え版で、たぶん1990年ごろだったと思う。当時少しはSFにかぶれていた僕だったから書籍などでこの映画のタイトルは当然知ってたし、名場面や話の大筋も何かの本で紹介されたもので読んでいた。そんな古典的名作がっ放送されるってんで喜んで録画して、確か翌日にすぐ見たんだが…正直なところ、唖然とした。 特撮が凄いのはよく分かったのだが、とにかく静かで動きのない、えらくスローペースの映画だったからだ。後半の山場であるコンピュータの反乱もなんだかよくわからないし、とどめに謎の映像が延々と続く終盤。その謎の映像の果てに描かれる、真っ白な洋室での不可解きわまる展開。最期の最後、モノリスが映り赤ん坊が映り、「チャ〜チャ〜チャ〜ジャジャ〜ン♪!とおなじみの音楽が成ってエンディングとなって、「なにこれ?」とアングリ状態になったものだ。 もちろん単純にけなしたわけではない。あのラストの訳の分からなさは公開当時でもかなり叩かれたそうだが、ああいうラストだからこそ見る人の心に強烈に残ってしまうのは否定できない。あの謎の映像の展開もちゃんと解説すればそれなりに合理的説明ができるものなのだそうだが(特にクラークによる小説版)、キューブリックは映画を仕上げるにあたって意図的に「分からなく」してしまった。僕が最初にこの映画を見終えた時の唖然とした感覚というのは、あとから事情を知るとキューブリックの狙ったとおり、思うつぼにはまっていたことになる。 まぁとにかく、初かい見終えて唖然としたのは事実なのだが、ワケワカランと怒るのではなく、「どうしてこんなもん作ったんだ?」という方で困惑していた。こんな理解不能の映像を作っちゃう人間がちゃんといるわけで、その人の頭の中はどうなってるんだ、と、ずいぶん考え込んでしまった。 冒頭、中盤、そしてラストまで出てくる謎の黒い石板「モノリス」。それがどうやら遥かに進んだ地球外知的生命体の作った何かであろうとは察せられるんだけど、映像ではこの石板そのものが知的生命体であるかのように見え、理解を越えたものを前にした恐怖感さえ覚えてしまう。ワケワカラナさが極限まで行ってしまって、「人知を超えた何か」を見せられてしまったような気分。それを地球上に住んでるフツー(ではないかもしれないが)の人間が作ったというのがなかなか理解できず、その夜布団に入ってからもグルグルと考え続けて眠れなくなってしまったのを覚えている。映画の中の話なのに、その意味やら作り手の意図やらいろいろと考えていると、何というか、宇宙の果てとか生と死とか答えの出ない問題を考えてしまう時のような感じになってしまったのだ。 その後、何度か見たことと、続編「2010年」で謎の部分が説明されてること、製作事情などを知ったことで今になっては落ち着いて鑑賞できるのだが、最初に見た時のインパクトは忘れられない。その意味でもやはり「名作」なのだ。 と、個人的思い入れを長々と語ってしまったが、映画の内容についても。 映画の序章は「人類の夜明け」。400万年前のアフリカのサバンナで、人類の先祖である猿人たちが群れを作って暮らしている。周囲にはバクとおぼしき動物がウロウロして餌の取り合いになっている。猿人自身も猛獣に襲われて餌にされてしまう。岩陰に入ってどうにか雨露をしのぐ、といった弱弱しい野生生活を送っていた。そこへある日、黒い石板「モノリス」が彼らの前に突然立つ。わけがわからず騒ぐ猿人たち。そのうちにモノリスのそばで動物の骨をいじっていた一匹の猿人が、太い骨をふりまわして他の細かい骨や頭蓋骨を「叩き割る」ことを覚える。このシーンでリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語り」の主題、「チャ〜チャ〜チャ〜ジャジャ〜ン!♪」の曲がかぶさる。この映画最大の功績あるいは効果は、この音楽を使用したことで、この曲が流れると人類の進化かSF装置が登場するのが定番になってしまった、ということだ、 「骨を道具に使うという「知恵」を得た猿人たちは、他の猿人の群れとの水争いで、太い骨を「武器」として使用し勝利する。勝利の雄たけびをあげる猿人が武器の骨を投げ上げると、クルクルと舞い上がって行ったその骨が、一瞬で次のカット、地球軌道をまわる細長い衛星に変わってしまう。人類の歴史を一気に跳躍するあまりにも有名なシーン。これぞまさしく映画にしかできないマジックだ。しかも人類がその急速な進化の始りに得た「道具」が同時に「武器」でもあり、それが流れ流れて宇宙から地上を狙う軍事衛星(映画では説明してないが小説版では明らか)につながる、という「人間の歴史は戦争の歴史」という一面を語り、見る者にいろいろと考え込ませてしまう。 もっとも、僕は初見時、この一瞬の跳躍シーンがすぐには理解できず、「猿人たちを軌道上から観測する異星人の衛星かな?」なんて思ったものだ(笑)。 一瞬で飛んだ時代は西暦1999年。ヘイウッド=フロイド博士(演:)が宇宙連絡船に乗り込んで月面基地へと向かう旅が「美しき青きドナウ」の曲に乗せてゆっくりと展開されてゆく。今見るとこの部分、かなりのんびりしたペースでかったるくもあるのだが…回転することで遠心力を得る二重リング状の宇宙ステーションで乗り換えをするが、ここでソ連の科学者たちと顔を合わせ、「アメリカの月面基地で何か異変があったか?」と尋ねられる。フロイドは適当にごまかすのだが、ここでアメリカ側が意図的に「基地で伝染病発生」という噂を流している、というところに今回注目した。 これまでこの「噂」、微生物もいない月面で新種の伝染病なんてありえないんじゃ?と思っていたのだが、今年になって映画「ファースト・マン」を見たら当時NASAでは実際に月面で未知の伝染病になる可能性を考慮していて、アポロ11号で月面着陸したアームストロングらも地球帰還後一時検疫のため隔離される描写があった。「2001年」はNASAなど専門機関や専門家に綿密なリサーチをして当時にあってはかなりリアルな宇宙旅行描写をしていて、この「噂」もそうした取材に基づいたものらしい。月へ行くのに途中で宇宙ステーションを経由するのも、アポロ計画が現実化する以前の段階で考えられていた効率的な月旅行の方法だったのだそうで。 しかし1999年までにこんな宇宙ステーションが建設されることはなかったし、月面基地は2019年現在でも存在しない。この映画で宇宙への連絡船を飛ばしてるパンナムも倒産して存在しない。次作「2010年」に絡んでくることだが、そもそもソ連が2001年を待たずに消滅してしまった。未来予測はなかなかに難しい。 アメリカが月面の地下から掘り出したのは、あの黒い石板だった。それも猿人たちの前に姿を現した400万年前にそこに埋められていたのだ(発見者たちはもちろ猿人との案系は知らないが)。そして木星へ向けて電波信号を発していたため、2001年に有人探査船「ディスカバリー号」が木星に派遣されることになる。 「2001年」のアイデアの原型となったのは、SF作家アーサー=C=クラークの短編「前哨」で、人類が月に行ってみたら異星人による地球人監視装置があった、というストーリーだ。キューブリックはこれを読んで、クラークに声をかけて映画へ向けてアイデアを出し合って大筋の脚本をまとめ、キューブリックは映画製作、クラークは小説版を執筆、という手分けがなされた。だから小説版は映画原作というわけではなく、映画で難解なところが小説の方ですっきり分かるという関係にある(ノヴェライズに近いかな)。脚本を作ってるうちに話がふくらんで木星旅行がメインのようになったが(小説では土星だが、輪の特撮が困難なため映画では木星になった)、当初は月面中心の話だったらしく、キューブリックが手塚治虫に美術デザインを頼んだ手紙でも「月を舞台にしたSF映画」と書かれていたという。キューブリックは「鉄腕アトム」のアニメを見て未来のメカデザインを手塚に頼もうと思ったらしいが、実現していればどんな宇宙ステーションや宇宙船が飛ぶことになったのだろう。 木星への旅では、メインテーマがコンピュータ「HAL9000」の「反乱」になる。これも映画を見るはるか以前に、子供向けのSF解説本で読んですでに大筋は知っていたのだが、実際に見てみると、これがなかなかに怖い。ほとんどホラー映画。大きな赤いランプがHALの「目」としてたびたび映され(HALの視点のレンズ状のカットもある)、それが一つ目のモンスターに見えてくる恐怖演出だ。 プール飛行士が宇宙空間で殺されてしまう場面、今で見ても「どうやって撮った?」と思ってしまうほど見事な宇宙空間描写だ。もっとも今回見て初めて思ったんだけどプールがあんなに凄い速さで吹っ飛ばされたのに、あとでボーマンが救出に行った際には一地点に浮かんでいたんだろ。慣性の法則でそのまま遥か彼方へ飛んで行ってしまうように思うんだが…。 HALによってディスカバリー号から締め出されたボーマンが、真空中をヘルメットなしの強行突破で突入するシーン、無理なんじゃないかとの声もあるが、何かの解説を聞いた限りでは危険ではある者のこの映画のように数秒程度で済めば不可能ではないらしい。そのあとボーマンがHALの回線を次々に切っていくのだが、どういう構造か不明ながら、外された透明な板みたいなものがフワ〜と浮き上がる描写は面白い。そうやって回線を切っていくうちに朦朧となったHALが「デイジ〜♪デイジ〜♪」と歌いだすシーンも強い印象を残す。なんだか「人格」すら感じさせるHAL、いま何かと話題のAIの先駆けって気もするのだが、この映画ではあえて合理的説明を避けて、「人間が生み出した『生命』が、人間自身の脅威になる」という、SF用語「フランケンシュタイン・コンプレックス」を刺激するように作っている。HALがなぜ「反乱」したのかについてはこの映画を作る段階でも合理的説明はできていたんだけど、それは続編「2010年」でちゃんと説明されることになる。「2001」ではモンスターじみていたHALが、「2010」ではなんと「泣けるキャラ」に変貌してたのには驚いたもんだ。 HALの回線を切って「抹殺」すると、出発前に録画されていたビデオメッセージが再生され、ボーマンは木星探査の真の目的が「地球外知的生命体」にあることを初めて知らされる。そして木星軌道上に浮かぶ巨大なモノリスに接近したとたん、時空を超越した遥かな旅へと飛ばされてしまう。 この謎の映像部分については冒頭でも書いたので略すが、カメラマン出身のキューブリック自身が考案したとされる「スリットスキャン」による映像が今見ても新鮮。.延々と続く謎の映像だが、よく見ていれば、それが宇宙の誕生から太陽系の形成、地球型の惑星の形成といった「歴史」を語っていることが分かる(それ以外は抽象的でよくわからないが)。 最後の最後に、どういうわけか地球のホテルの一室が出て来てみんな面食らうのだが、実はキューブリックも当初はノーマンが飛ばされた先に知的異星人が姿を現すラストを考えていたという。のちにキューブリックが晩年に製作を企図して果たせずスピルバーグの手で製作された「A,I,]のラストで異星人が登場するが、実はキューブリックが「2001年」に出そうとしていたのもあんな感じの異星人だったらしい。だとするとよくあるイメージの異星人だから、当時でもその登場は観客の期待を悪い意味で裏切ったと思う。カットしたのはやはり正解だろう。その結果、「モノリス」自体が知的生命体のように見えてしまう、宗教的ですらあるラストになったのだ。 ちょうど米ソが宇宙開発競争まっさかりで、「宇宙時代」の到来を世界中が感じていて、アポロが月に到達するより前に製作されたこの映画。当時としてはもっともリアルに考証されたSF映画で、2001年を20年近くも越えた今なお「未来的」な魅力に富むという驚異の映画。宇宙開発競争も月面着陸をピークにしぼんでしまい、やがて米ソ冷戦構造も消えてしまって、続編「2010年」はその影響をもろに受けることになってしまったのだが、「2001」の方は当分のあいだ古びない「未来予測映画」および「ファーストコンタクト映画」として、映画史上の「モノリス」としてそびえ続けることになりそうだ。(2019/4/15) |