「マトリックス レボリューションズ」 The Matrix Revolutions 2003年・アメリカ |
○監督・脚本:ウォシャオスキー兄弟(アンディ/ラリー)○撮影:ビル=ポープ〇美術:オーウェン=ペーターソン○音楽:ドン=デイヴィス/ベン=ワトキンス〇アクション監督:ユエン=ウーピン○製作:ジョエル=シルバー〇製作総指揮:ブルース=バーマン/グラント=ヒル/ウォシャオスキー兄弟 |
キアヌ=リーブス(トーマス・アンダーソン/ネオ)、ローレンス=フィッシュバーン(モーフィアス)、キャリー=アン・モス(トリニティ)、ヒューゴ=ヴィーヴィング(エージェント・スミス)、ハロルド=ペリノー・シニア(リンク)、モニカ=ベルッチ(パーセフォニー)、ランバート=ウィルソン(メロヴィンジアン)、ジェイダ=ピケット=スミス(ナイオビ)、コリン=チョウ(セラフ)、ヘルムート=パカイティス(アーキテクト)、メアリー=アリス(オラクル)ほか |
「マトリックス」シリーズ3作目にしてシリーズ完結編。「マトリックス3部作」なんてまとめられることもあるけど、前作「リローデッド」とは同時並行で製作された上に公開も半年とおかずの立て続け。内容的にも一作目から数年は経ってるらしいが二作目と三作目は合わせて72時間つまり3日ほどの間の出来事を描いていて、実質的には合わせて一本の映画になっていると言っていい。前作のラストも一応「さあどうなりますか、それは次回で」的な「ヒキ」の終わり方だったけど、一本の映画としての独立性はえらく低いものとなってしまった。 前作のラストで意識を失ったネオ(演:キアヌ=リーズス)の心は、「マトリックス」と中核ソースとの間の空間(?)とされる地下鉄の駅らしき場所に閉じ込められていた。このときネオは例の首の後ろの穴で「マトリックス」に接続してるわけではなく、しかもそこへ閉じ込めたのはメロヴィンジアンだというから正直何がどうなってるのか良く分からない。特にこの「レボリューションズ」におけるネオの特殊な能力・立場は映画を一回見ただけではよく分からない。僕も当時さっぱり分からず、先日見返してみていろいろ思うところ、勝手に納得したところもあるんだけど、やっぱり納得しがたい点は残っている。 ネオはこの「駅」で、サティー(演:タンビーア=K=アトウォル)という少女とその両親に出会う。いずれもインド系の風貌になっているが、実際には現実の人間ではなく「マトリックス」内のプログラム人格である。特にサティーは予言者「オラクル」の後継者(?)となりうるほどの能力を持ってるらしいのだが、これも映画の中では正直よく分からないままなんだよな。なお、この映画は世界60カ国同時公開で、インドで初めて世界と同時公開になった映画という話で、それがこのインド人一家のキャラと関係があるのかどうか。いずれにしても、このあたりからインドもハリウッド映画の「お客様」になってきたのとハリウッドにインド系が多くなったせいもあってかインド系俳優をハリウッド映画でよく目にするようになる、 ネオをこの「駅」に閉じ込めていたのは「トレインマン」という音(これも「エグザイル」)で、例のメロヴィンジアン(演:ランバート=ウィルソン)の部下だった。モーフィアス(演:ローレンス=フィッシュバーン)とトリニティ(演:キャリー=アン・モス)はセラフ(演;コリン=チョウ)に案内されてメロヴィンジアンのもとへ殴り込みをかけ、大立ち回りの末にネオの奪回に成功する。 ネオはこのあと予言者「オラクル」に再会するが、その姿は変わっていた…といっても、日本人の目から見るとあんまり変わってないようにも見えたが。オラクルいわく姿かたちが変わってしまうくらい「いろいろあった」という説明なのだが、これは前作まで「オラクル」を演じていた女優さんが亡くなってしまい、メアリー=アリスという別人が代役で出るという楽屋事情があったため。だったらいっそ全く風貌の違う人にしちゃうほうがインパクトはあったように思うんだが…。このシリーズ、このほかにもリンクの妻ジー役の女優さんが事故死により役者交代でほとんど撮り直し、という事態も起こっている。 この「レボリューションズ」では現実世界の戦い部分が長い。三作中もっとも「現実」の時間が長いんじゃなかろうか。殺戮機械「センチネル」の大軍が巨大ドリルで地下を掘り進み、いよいよ「ザイオン」に総攻撃をかけてくる。これを迎え撃つのが、前作では顔見せ程度だったミフネ隊長(演:ナサニエル=リーズ)率いるパワードスーツ部隊(と言ってるわけではないんだが、そう呼びたくなる)。この派手な銃撃戦模様がこの「レボリューションズ」で一番印象に残ってしまうのだが、「ミフネ」が名前だけでなくその容貌からして三船敏郎をモチーフにしていることは明らかで、前作で出てきた時点でも「おやおや」と面白がったものだが、本作では壮絶な死闘ぶりを展開してくれる。演じた俳優さんがどういう出身の方なのか分からないが、とにかく三船敏郎に似てる人ってことでオーディションしたんだろうな。監督のウォシャオスキー兄弟の映画趣味によるものと思われるが、彼らがこのあと監督する「スピード・レーサー」の原作「マッハGOGOGO」の主人公も「三船剛」(こちらも元ネタは同じ)であることもつながっているのかもしれない。なんにせよ、日本の映画ファンとしては嬉しい登場だ。 「ザイオン」への直接攻撃の進行と並行して、前作で人間の精神を乗っ取ったエージェント・スミス(演:ヒューゴ−=ヴィーヴィング)がネオに直接攻撃をかけてきて、ネオは失明してしまう。しかしどういうわけか彼には相手の正体エージェント・スミスの姿が「見える」ようになり、これを返り討ちすることに成功する。映画館で最初に見た時もこの辺の描写に首をひねったのだが、前作で「アーキテクト」が言っていたように歴代の救世主同様にネオも計画のうちで「作られた」ことになると、彼の精神自体は高度なプログラムみたいなもので(あえて言っちゃうとロボットみたいなもんかもしれない)、脳との直接接続なしでも「マトリックス」に入れたり、エージェント・スミスのように現実世界に侵入してきたプログラムを「見る」ことが可能なのかも…と最近見直して考えたんだが、考えるほどよくわかんなくなってきちゃうな。 そしてエージェント・スミスは「マトリックス」世界でとめどなき暴走を進めてしまい、サティーやセラフはおろかオラクルまでも自分の姿(プログラム)に上書きしてしまう。「マトリックス」全体がスミスに上書きされる状況になってしまい、「マトリックス」から電源供給される機械勢力側にとっても厄介な存在になってしまう。そこでスミスに対抗できる人間としてネオが挑戦することとなり、その成果いかんによって人間と機械との間に講和が成立することが約束される…と、なるべくネタバレなしで書くとそんな展開になって、クライマックスはネオとスミスの「マトリックス」内での雨中の大決闘となる。この「雨」ってのもなんとなく「七人の侍」を連想しちゃったな。 このあと、完全に結末に触れます。 前作の段階で人間と機械のどちらが善玉とも悪玉とも言えなくなってきていたが、とうとうここで共通の敵の前に手を結ぶ形に。そして最終決戦に臨むネオの姿は――そう、明らかに「十字架にかけられたキリスト」になるわけで。「予言された救世主」とか、キリスト教的な要素が背後にひそんでいるのは一作目から感じられたが、このクライマックスでミもフタもなくそれが出てきたんで僕は見ていていささかこっ恥ずかしさを覚えたものだ。欧米人、結局そこへいっちゃうのか、と(ちょうどそのころ読んでたダン・シモンズのSF「エンディミオン」シリーズの結末もねぇ)。キアヌ=リーブス、「リトル・ブッダ」でオシャカさまも演じて、こっちではキリストというわけだ。 そういやこの映画の「ザイオン」が「シオン」つまりユダヤ人の約束の地パレスチナ(イスラエル)に通じるってんで、エジプトなど中東イスラム圏の一部では強い批判もあったらしいですな。作り手がそこまで考えてたかはともかく、SFのようでいて結構宗教くさい映画ではあったのだ。 十字架にかけられたキリストよろしく「救世主」として人類を救い、自らは「昇天」したらしいネオ。人間と機械の戦いは中止され、ザイオンの人々は平和の到来を喜ぶ。そして「マトリックス」世界は再構築されて美しい夜明けがやってくるなか、元に戻った「オラクル」やセラフ、サティーらの前に「アーキテクト」が現れる。彼らの会話からするとネオの犠牲のおかげで平和がもたらされた、「アーキテクト」も今後は「マトリックス」から解放されたい人間は解放してもいい、とは言ってるんだけど、これが永久の平和であるとは言い切ってなくて、今後も再戦がありうるニュアンスを感じる。ネオについてもまた再会できるかも、とか言ってるのは、もしあして「キリストの再臨」というやつだろうか。それこそその時に最終決戦=ハルマゲドンになって最後の審判の時でも来るのかなぁ。 この最終作、あれこれとひっかかる謎が多く、作り手もあえてそれを説明しない(まぁ説明したらグダグダになること必至)。もう話の勢いで押してしまったという感じだったが、最後はハリウッド映画としてはアンハッピー性が強く、寂しいと言えば寂しい終わり方で、哲学的にはいろいろ深いとは思うんだけど、釈然としないまま映画館を出る人が出る人は少なくなかったんじゃなかろうか。正直なところ、僕は今でもあの一作目だけで終わった方がきれいだったんじゃないのかなぁと思っている。 このシリーズの次に、ウォシャオスキー兄弟はそのオタクぶりを発揮するように「マッハGOGOGO]の実写映画化「スピードレーサー」を製作するも興行的には期待外れの結果に終わる。それとは無関係なんだろうけど、この兄弟はその後そろって性転換して、気が付いたら「ウォシャオスキー姉妹」に変身してしまっていた。まぁ人生いろいろ、映画以上に波乱万丈だなぁと思うばかり。(2019/3/11) |