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「モスラ」

1961,東宝
○監督:本多猪四郎○特技監督:円谷英二○脚本:関口新一〇撮影:小泉一○音楽:古関裕而
フランキー堺(福田善一郎)、香川京子(花村ミチ)、小泉博(中條信一)、ザ・ピーナッツ(小美人)、ジェリー伊藤(ネルソン)、志村喬(天野貞勝)ほか




 太平洋上で消息を絶った漁船の乗組員が放射能に汚染されているはずのインファント島で発見された。この謎を解くために調査隊が派遣されるが、これにロリシカ国のネルソンという怪しげな人物と「スッポンの善ちゃん」こと福田記者が同行する。インファント島で調査隊の前に現れたのは身長わずか30pの二人の「小美人」。ネルソンはこれを連れ帰り見せ物にして一稼ぎを企む。小美人が歌によってテレパシーで救いを求めると、これに応じてインファント島の怪獣・モスラが誕生、一路日本へと向かってくる。東京に突入したモスラの幼虫は自衛隊の攻撃もはねつけ、都心を破壊。ネルソンが小美人を連れてロリシカへ逃れると、モスラは東京タワーに繭をつくり羽を持つ成虫となってロリシカへ飛び立つ。

 「SF」というよりは「ファンタジー」と呼びたい怪獣映画史上の名作。蛾(モス)をモチーフにした怪獣モスラはハデな都市破壊を行いはするが決して「人類の凶悪な敵」ではなく、あくまで小美人を守るという本能からのみ行動する。その純粋なひたむきさには観ていて涙を禁じ得ないほどだ。話がいきなり横道にそれるようだが、かつてPCエンジンで「ゴジラ爆闘烈伝」という東宝自ら製作の「怪獣格闘ゲーム」があった。ゴジラやらラドンやらゴジラシリーズに絡んだ東宝怪獣のほとんどが登場するのだが、モスラだけは登場しないのだ。ゲームとは言えモスラを殴ったり叩きのめしたりということだけは許せんという東宝側の配慮があったように思う。実際そんな気にさせる怪獣なのだ、モスラは。

 この映画が本多猪四郎・円谷英二コンビの数ある特撮映画の中のほぼ頂点に位置するということに異議のある人はあまりいないと思う。「ゴジラ」のような歴史的価値が付随するものは別格として「モスラ」は特撮技術・脚本・演出どれをとっても東宝特撮中最高レベルと言って良い。まずその特撮についてだが、この映画にはモスラのような巨大怪獣が都市を破壊するという怪獣映画定番のスペクタクルと、小美人のようなミクロの存在が現実世界に紛れ込んでくるファンタジー性とが同居して存在している。この極大と極小とでそれぞれに素晴らしい特撮シーンが数多く観られるのがこの映画の大きな魅力だ。
 モスラが渋谷界隈に突入してくるシーンは精妙なミニチュア撮影(「空撮」や遠近感を利用したクローズアップといったカメラワークの工夫にも注目したい)の効果もあって特撮映画史上屈指のリアリティをもつ破壊シーンとなっている。モスラが東京タワーに繭をつくり成虫となって飛び立っていくシーンも余りにも有名な名場面だ。一方「小美人」の方は巧みな合成テクニックにより現実にそこに30pの彼女たちが存在しているかのようなシーンをいくつも見せてくれる。両者が見事に合体するのは、見せ物にされて劇場で歌う小美人と夕陽の海を泳いでくるモスラとがオーバーラップするシーン。この場面のファンタジックな感動は言葉では言い表せない。まさに映画の力だ。

 特撮ばかりが凄くてもストーリーがいい加減では観ている方も辛いもの。実際東宝特撮では残念ながら現実離れの激しいキャラクターやストーリー性に難のあるものが多い(これはアメリカ版「GODZILLA」でも同様だった)。しかしこの「モスラ」は純文学系の作家達に原作を書かせたせいなのか、珍しく現実離れの少ないストーリーになっている。怪獣映画はどうしても人間の影が薄くなりがちだが、この映画では特ダネを追う新聞記者達(フランキー堺・香川京子・志村喬)と一儲けを企む男達(ネルソンことジェリー藤尾が絶品!)との「小美人」をめぐる攻防がスリリングに展開され、人間側のドラマも見応えの多いものとなっている。これは「小美人」というキャラクターのおかげともいえそうだが…そこに欲に目のくらんだ人間の愚かさ、新聞記者たちのジャーナリスト精神など意外に社会派的要素を持ったセリフが展開されてもいる。観客の対象を子どもだけにしていなかった時代だったということですな。

 そしてそうした脚本に加え、本多猪四郎の本編演出も本作では冴え渡っている。フランキー堺のコミカルなセリフ運び(「うん、分かってるよ」ってアレが良いですね)の影響か、全体にポンポンと快調なテンポで話が進んでいく。小美人の存在のため特撮と本編の融合が多いのも本作の特徴だ。

 ところでこの映画、クライマックスはネルソンを追ってロリシカ国に渡った成虫モスラの大暴れだ。モスラが暴れるのはニューヨークとよく似た「ニューカーク市」で(もっともサンフランシスコがちょっと入ってるような気もする)あり、ロリシカがアメリカ合衆国をイメージしていることは明らかだ。ネルソンというキャラクターはそう考えるとかなり意味深。日本がそろそろ自信をつけてきて圧倒的な経済大国アメリカに挑戦し始めていた時代を象徴しているような気もする(「ゴジラVSモスラ」の脚本を書いた大森一樹も似たようなことを考えたらしく、このネルソンの役どころをバブル期の日本人にしている)。
 しかしニューカーク市破壊シーンは残念ながらミニチュアも精密さを欠き、全体に手抜き観が漂う。これ、どうやら制作中に全世界同時公開が決まってしまい(「スターウォーズ」以前は特撮ものは日本の独壇場と言って良かったのだ)、急遽アメリカと思しき町でクライマックスをやることになり時間がなかったためだったらしい。ここは唯一この映画で残念なところなんだよな。(2000/3/28)



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