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「オデッセイ」
The Martian

2015年・アメリカ
○監督:リドリー=スコット○脚本:ドリュー=ゴダード○撮影:ダリウス=ウォルスキー○音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ○原作:アンディ=ウィアー〇製作:サイモン=キンバーグ/リドリー=スコット/マイケル=シェイファー/マーク=ハッファム/アディタヤ=スード
マット=デイモン(マーク・ワトニー)、ジェシカ=チャステイン(メリッサ)、ジェフ=ダニエルズ(サンダースNASA長官)、ショーン=ビーン(ヘンダーソン)ほか




 邦題、配給元は苦労したんだろうなぁ、と思わされた映画。原題は「TheMartian」で、直訳してしまうと「火星人」になる。火星にたった一人残されて生きる人間の話だから、「そのまんま」なタイトルなのだが。原作小説は邦訳が出ているが、こちらは「火星の人」と原題を生かしつつひねったタイトルにしていた。
 だが映画のタイトルとなると「火星の人」みたいなブンガウ的なものよりは「SF映画」な印象を与えるものの方が脚が来る、という判断をしたのだろう。「オデッセイ」と聞けば、ある程度SFを知ってる人なら「2001年宇宙の旅」(原題は「2001宇宙のオデッセイ」)を連想するはずだし、予定外の「漂流」をしてなんとか地球に帰還する、というストーリーがそもそも原典の「オデッセイ」(オデッセイア)に似ているから、まぁそう的外れなタイトルでもない。
 なおウィキペディア各国語版でざっくり調べたところ、大半の国では「マーシャン」と原題のままのタイトルにしているらしい。お隣韓国でも「マーシャン」で公開されていた。中国では「絶地救援」という、内容要約みたいな訳題にされてたようだ。

 原作はアンディ=ウィアーという人がネット上で連載した小説。事故で火星に一人取り残されてしまった宇宙飛行士のサバイバルをリアルに考証して描いた作品で、連載中も読者からの指摘や教示を受けて内容をよりリアルなものにしあげていったと聞く。それを自費出版したら評判になって、あれよあれよという間に映画化。しかもSF映画では巨匠の呼び声もあるリドリー=スコットが監督をつとめる大作という形になるという、ネット時代らしいサクセスストーリーの展開をたどっている。
 たぶん着想の発端は漂流ものの古典「ロビンソン・クルーソー」だろう。舞台を火星という、人類にとって月の次の到達目標であり、今の技術でも行くこと自体は可能だが、いろいろと大変、という場所になっているところが目の付け所だ。

 映画はいきなり火星から始まる。時は2035年、有人火星探査計画「アレス3」のクルーは、火星に設置した基地でそれぞれの活動を順調に進めていた。ところが猛烈な砂嵐が基地を襲い、クルーは全てのミッションを中断してロケットで火星を飛び立つ決断をする。その移動の最中、主人公であるワト二―(演:マット=デイモン)は折れたアンテナが腹部に突き刺さって他のクルーとはぐれてしまう。ロケット発射のタイムリミットも迫り、状況からしてワトニーは死亡したと判断したクルーはそのまま火星を脱出、地球への帰還の途につく。

 ワトニーは意識を取り戻し、なんとか基地に戻って傷を治療する。だが彼は火星に一人ぼっちで取り残されるという、人類史上前代未聞の孤立状態。しかもこんな事態は想定外なので基地にはそもそも食料が十分にない。また自分が生存しているということをどうにか地球に伝えなければ救援がいつ来るか分からない。この絶望的状況のなか、とことん前向きなワトニーはジョークも交えつつ自身の映像日記を記録してゆく。彼の専門は植物学、感謝祭用にとってあったジャガイモを栽培して増やし、なんとか命をつなごうと試みるのだ。「火星よ、思い知るがいい」と明るく言い捨てたりして(笑)。

 この映画、公開当時もネット上で「火星版ダッシュ村」などと言われていたが(笑)、主人公が手元にあるわずかな材料をあの手この手で利用して生還を目指す過程が面白い。実際にこんな状況に陥ったら、まさに究極のロビンソン状態だが、とにかくワトニーは泣きも騒ぎもせず明るく前向きに「生還のためのミッション」を実行してゆく。これも公開当時指摘されていたが、実際に宇宙飛行士になる人たちってメンタル訓練も受けていて、こんな性格・姿勢でいないとそもそも不向きらしいのだ。
 映画「アポロ13」は実際に起こった宇宙で漂流しかけるという極限状況を描いていて、あれでも飛行士たちはおおむね冷静沈着だった。ただし映画では「それでは観客がついてこれない」と判断したか、彼らが感情を爆発させる場面をちょこっとは入れていたけど、実際にはそんなことはなく終始みんな落ち着き払っていたという。その点もこの「オデッセイ」はリアルだ。

 火星でジャガイモを栽培するには、当然土が必要だが火星の土では栄養分がない。それはクルーたちの排泄物がちゃんと袋に入って保存されてるので(実際、こういうのは宇宙だろうが火星だろうがポンポン捨てない)、それを肥料に使う。もちろん水も必要だが、これは燃料に使う水素を酸素と化合させる、ワトニーも言うように理科の実験同様のことを行う。ただしそれには「点火」が必要となるが、クルーの所有する十字架が唯一の「可燃物」だったのでそれを利用…といった調子で火星初の農業はどうにかこうにか成功してゆく。

 それと並行して、なんとか地球と連絡を取らねばならない。ワトニーは1996年に実際に火星に送り込まれたNASAの無人探査機「マーズ・パス・ファインダー」を掘り出して復活させ、その通信機能を利用して地球にコンタクトをとろうとする。この映画の年代設定は2035年なので40年ほど前の遺物、ということになる。こうしたワトニーの動きにNASAも気づき、彼の生存と「マーズ・パス・ファインダー」の利用も察知して、地球側でもワトニーとの連絡をとるべく動き出し、さらに救出に向けての計画も立て始める。
 この通信方法部分、映像的には表現が難しかったろうなぁ、と思ったけど、まずまず面白く見せていた。初めはイエスかノーかだけ、より複雑な会話をするために16進法を利用、やがてかなりの長文も問題なくやりとりできるところまで進化してゆく。

 とことん前向きで順調に生還への道を進んでいたワトニーだったが、そこはやはり予想外のドラマが起こる。この時ばかりはさすがの彼も気落ちするシーンがあり、家族(両親)への遺言めいたことまで口にする。そういえばそんなシーンもありながら、この映画ではワトニーの肉親が劇中に一切登場しない。ストーリー展開からするとクルーのリーダーのメリッサとワトニーの間に恋愛関係かその手前くらいの設定をくっつける誘惑に作り手はかられそうだが、それもストイックなまでに避けている。
 洋の東西、たいていの映画なら観客を感情移入させようと主人公の肉親なり恋人なりが登場して彼の安否を気遣う場面があるものだが、この映画はこの点は完全にカットしている。「シン・ゴジラ」も主人公の家族が一切登場しないのがわあいとなったが、両者はほぼ同時に製作されているのって偶然なんだろうか。双方とも「ミッションの遂行」に話を絞ってる点が共通していて、主人公のプライベート部分なんてどうでもいい、というクチにはかなり評価されたんだけど、これが今後の潮流になっていくのかどうなのか。
 
 NASAによるワトニーへの援助物資輸送や救出作戦の方でもハプニングが起こってピンチに陥るのだが、ここで頼もしい援軍として登場するのが、中国の宇宙開発部門、「国家航天局」であるというところも、「今風」だった。映画公開当時、この展開は中国マーケットでの興行を意図したものかとの見方も出てたが(実際最近いくつかのハリウッド映画で中国市場を意識したストーリーは多いと言われる)、この展開は原作小説ですでにそうなっていたとのこと。宇宙開発ではアメリカにタメを張れるのはまずロシアだと思うんだが、作者としてはそれでは新鮮味がないと思ったのかもしれないし、あるいは冷戦時代以来の競争意識でも働いているのか、あるいはあれで案外中国好きの傾向があるアメリカ人の気分を反映してるのか、とかいろいろ考えちゃうのであった。
 それとは別に、中国人やインド人など多彩な人種を登場させてるのは最近のハリウッド映画の傾向でもある。ロシア人だと見た目に人種雑多さが出ないのは確かだ。

 ネタバレは書かないようにするけど、ラストの火星からの命懸けの脱出作戦、映画としては大いに見どころになっていて、特に3D上映ではきわめて効果的なクライマックスとなった。もっともそれまでリアルに進んでた話が、このクライマックスに関しては地に足がついてない(絵的にもそうだけど)というか、他にやりようがない設定ではあろうけどそれにしてもイチかバチかすぎるのでhないか、という感想も。原作未読なんだが、この辺は映画的にいじってるんと違うかな。
 
 なお、この映画、僕が2019年末時点で最後に見た3D映画になっている。一時やたら3D上映が当たり前になって僕もよく3Dメガネ持参でシネコンに行ってたのだが、このあとから「4DX上映」枠が出て来て、洋画ではそっちを選ばなければ2D鑑賞が普通になっちゃったからだ。僕もわざわざ高い料金払って4DX版を見る気も起きず、いまだにそっちに足を運んでいないので、たまたま本作が今んとこ最後の3D映画体験になっている。3D映画も効果的に使ってるのはそうそうなくて、本作は上述のクライマックスシーンや宇宙船内の無重力移動シーンで3Dならではの印象を残してくれた。

 最後に「リアル」に関して補足すると、これは原作の問題なんだけど、そもそも話の発端となる「砂嵐」、火星の大気はかなり薄いのでこんな重大事態になることはそもそもありえない、という専門家の指摘があったりする。他の展開はかなりリアルなんだけど実は出発点でミスっていた、というわけで。
 映画の方については、「火星の重力は地球の半分のはずなのに再現されない」との指摘がある。よく見ると屋外シーンの一部で動きがスローにされて「重力半分」を再現したように見える箇所もあるんだけど、正直なところスタッフもそこまで再現するのは面倒だったなろう。。見ているあいだ気にならなければそれでいい、ってことになったんじゃないかと。
 いずれ火星でロケしてリメイク、なんてことになったらいいんだけどね(笑)。(2019/12/6)





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