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「戦国自衛隊1549」

2005年・「戦国自衛隊1549」製作委員会
○監督:手塚昌明○原案:半村良○原作:福井晴敏○脚本:竹内清人・松浦靖
江口洋介(鹿島勇祐)鈴木京香(神崎怜)鹿賀丈史(的場毅)北村一輝(飯沼七兵衛)伊武雅刀(斉藤道三)ほか


 

 リメイクばやりは洋の東西、今に始まったことではないが、過去のヒット作を現在のCG技術で新たに作り直すことができるようになったことで、より安易に企画されるようになってきた気もする。本作「戦国自衛隊」は1979年に公開され大ヒットした角川映画の一本のリメイクで名前も広く知れ渡っており、もともと映画向きのアイデアだからある程度のヒットは見込める。そこに現在なぜか映画界でやたらに大モテの人気作家・福井晴敏氏の原作をつけ、前作では実現しなかった本物の自衛隊の全面協力を受けるというオマケをつけての映画化。まぁここまでつければそうそうハズしはせんでしょう、という企画で、実際僕もこうして見に行ってしまったわけで(笑)。監督が「ゴジラ×メガギラスG消滅作戦」の手塚昌明氏であったことも大きいかな。そういえばあれも「歴史改変」ばなしが含まれていたっけ。
 やっぱり戦国武者と近代兵器が一画面におさまる面白さというのが前作で身に染みている。1979年公開の前作は半村良の原作を実質アイデアのみ拝借した別物というところもあったが、川中島の戦いで武田軍団相手に自衛隊の戦車やヘリが暴れる(そして意外と苦戦する)場面にはやはり映像的興奮があったものだ。それと時代を大きく隔てながらも、やっぱり「軍事色」というのは共通するようで戦車と騎馬武者のツーショットにさして違和感がないという驚きもあった。ストーリー自体には疑問符が多々つく出来だったというのが僕の率直な感想ですが。

 さて「戦国自衛隊2005」もとい「1549」だが、今回のタイムスリップは人為的事故により発生する。自衛隊が秘密裏に人工磁場の実験をしていたら1549年の同じ場所との時空を超えた相互移転が発生してしまい、元特殊部隊隊長の的場毅(鹿賀丈史)率いる一小隊が戦国時代に飛ばされてしまう。彼らが消えた直後から各地に「ホール」と呼ばれる暗黒の穴が発生、どうやら的場たちが戦国時代で歴史に介入、改変をしているためと思われた。そこで自衛隊は的場達を救出(実は抹殺)するための「ロメオ隊」を戦国時代に派遣することを決め、的場の元部下であり演習で的場の作戦を見事に破った実績をもつ鹿島(江口洋介)―現在は居酒屋を経営―を引っ張り出し、また的場たちと入れ代わりに現代に飛ばされてきた戦国武士・七兵衛(北村一輝)も案内役として同行させ、時空を越えることになる。
 タイムスリップした1549年では案のじょう的場たちは歴史を大いに改変していた。的場は本物の織田信長を殺し、斉藤道三(伊武雅刀)と同盟を結んでその娘・濃姫(綾瀬はるか)を妻に迎え、要するに自ら「信長」の役どころを演じていた。彼らは近代装備も含む城を築き、近代兵器には不可欠の石油精製も行い(この点は前作でネックになってたところで、的場はもしかして前作の映画を見てたのかも(笑))、着実に天下取りに動いていた。だが的場には別の真意が…

 といった内容なのだが、今回のリメイク版は前作のような「タイムスリップして行ったっきり」ではなく、時代間の相互交流、元の時代へ帰れる仕掛けがあり、なおかつ歴史を変えようとする者とそれを阻止しようとする者のせめぎあいがある、というのがポイント。なんか「バック・トゥ・ザ・フュチャー」に近くなった気もする(特に元の時代へ変えるタイムリミットがあるところとか)
 また今回の特徴として、自衛隊が全面協力のためか、かえって制約が多くなったという観もある。実際手塚監督自身がコメントしていたが、自衛隊側から「あくまで自衛隊は専守防衛でむやみに人を殺したりはしない」と釘を刺されており、、前作にあったようなタイムスリップ先で自衛隊員(反乱を起こした連中)が村を襲撃して掠奪・暴行みたいなシーンはやめてほしいと言われたそうで。そのため登場する自衛隊員の皆さん(主人公は元隊員だけど)もみんな品行方正(笑)で前作にあったようなハチャメチャさは無くなってしまっている(特に「ロメオ隊」の場合事故ではなく作戦としてタイムスリップしただけにそうなったんだろう)。一応その裏づけとして「歴史を改変する可能性があるからむやみに人は殺してはいけない」という命令が出てるわけなんだが、結局それも途中でウヤムヤになっちゃうのも何と言うか…もう歴史は改変されまくりとしか思えないのだが、原作にもあった「歴史の自己回復力」で一応の説明はつけられてしまう。まぁタイムスリップものに完璧な矛盾なしを求めるのはどだい無理というものだが。
 それにしても移転先の時代の人々を「現地人」と呼び、実弾使用に制限をかけるあたりとか、どこか最近の自衛隊の海外派遣を連想させなくもない。近代軍隊が時空を超えてしまった場合、どういう軍事行動をすべきかと判断に迷うテーマではアメリカの空母が真珠湾直前の時間にタイムスリップしてしまう映画「ファイナル・カウントダウン」の前例があり、この「1549」にもちょこっとそれが入ってるような気もする。この映画のオリジナリティとしては戦国時代にタイムスリップしながら戦うのが実は現代の自衛隊同士(それぞれに戦国時代人が協力してるが)だったりするところか。

 タイムスリップ以外での見所である1549年の描き方だが…良くも悪くもいい加減、もといアバウトだ。作り手もそれは承知の上でやってるのかもしれないけど、どうも福井さんの原作ということでは「ローレライ」における終戦工作周辺に史実的リアリティ(「史実」そのままということではなく、史実を知る者もうならせる大ボラというものがあるはず)が感じられなかったことと合通じる気もする。タイムスリップした的場が信長の立場になるというのは半村良の小説にもあった設定で、斉藤道三(伊武雅刀さん、いかにもソレっぽく、かなり美味しい役でした)、濃姫、蜂須賀小六、秀吉といった有名どころをストーリーに絡ませたのは娯楽映画として狙いは確かだと思う。だが富士の裾野付近とおぼしき場所で信長、秀吉、道三、小六が活動しているというのは首をかしげるし、ラストで絡んでくる蜂須賀小六、今川義元、天皇の勅命などはどう話に絡んできたのか見ていて良く分からなかった。また濃姫の位置づけももそっと重要な要素になるはずと思ったのだがかなりアッサリ。
 北村一輝演じる平成にタイムスリップしてしまった戦国武士は、前半でその正体がバレバレです(笑)。まぁ最近の「タイムライン」もそうだったけど、タイムスリップものは注意して見ていればストーリーみんな読めちゃうんだよな。それはそうと、映画ではいっさい描かれない「光秀」の件が僕には気になってしまったのだけど。
 ところで鹿賀丈史演じる「的場」の部下に「的場浩司」がいるのは絶対ワザとだと思うんだが…(笑)。的場浩司さんというと大河ドラマ「信長」で信長の家臣・池田恒興を演じており、この映画でもポジションが良く似ている(ついでに言えば「利家とまつ」では利家の家臣の一人でやっぱり似たポジションだった)。役柄が板についちゃってるなぁ、と思うばかりだったが、この映画、実際に大河ドラマ常連組が多く(時代劇に使える人が限られるからでもあるが)、それもあって狙ってやってるなじゃないかと思っちゃうわけ。やはり大河で異様な存在感があった北村一輝さんなんか出てきた途端に「普通の人じゃない光線」を発しているため(笑)正体がバレちゃうんだよな。そういや戦国武士が現代にタイムスリップ(厳密には違うけど)してくる映画では藤岡弘、主演の「SFソードキル」ってのがあったそうで。

 
 ストーリー全体については見事なまでに意外性はない。なんせ誰が生きて死ぬかもほとんど予想どおりだったし(笑)。「家族の写真を見せる兵士は死ぬ」というお約束もしっかりやっちゃってた(ちょっと違うが「ローレライ」にもこの傾向があった…あまりに丸分かりの伏線っちゅうのは困っちゃうものだ)
 ネタばれというほどのこともないので核心部分に触れちゃっておくと、的場らが計画する歴史の改変は単に天下をとるとかそういうことではなく、なにやら怪しげな破壊兵器で富士山を噴火させて関東を壊滅させ、21世紀の日本を完全に消し去って彼らの考えるように日本をゼロから作り直す、というところにある。的場は政治的理由で自分の特殊部隊をつぶされた恨みを持っており、戦国時代へ飛ばされてしまったのをいいことに「軟弱な日本」を抹殺しようとするわけ。似たテーマは1979年の前作でもクーデターを起こそうとしていた自衛隊員が飛ばされるという設定で同様に含まれていたが、「1549」ではより破壊的。それに疑問を持ち現代日本をそれなりに肯定する元部下が彼を倒す、という展開になるわけだが、「ローレライ」も良く似たシチュエーションを持っていた。やはり福井氏の出世作となった小説で映画化された「亡国のイージス」にも似たようなところがあり、なんだか同じことを何度もやってるように見えちゃうのが気になる。「亡国〜」ではそれなりに消化されていたテーマだと思うのだが、「戦国自衛隊」にこれを持ち込むのはどうしても「とってつけた」ようにしか僕には感じられなかった。

 SF考証等はともかくとして、怪獣映画にも通じる「大ボラ映像」の楽しさは前作同様、確かにある。前作と違ってハッピーエンドであるのもより娯楽性が強くなったものとして評価していいだろう。ただいろいろ制約もあったためか「弾け方」が足らなかった嫌いはあるし、そろってアクの強くないキャラクターたち(斉藤道三をのぞく)の織り成すドラマは後半の盛り上がりに欠けてしまっていたと思う。そもそも映画の企画自体がリメイクなのだから、薄味になるのも無理はないのだが。(2005/7/13)


 

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