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「君よ憤怒の河を渉れ」

1976年・日本
○監督:佐藤順彌○脚本:田坂啓/佐藤順彌○撮影:小林節雄○音楽:青山八郎〇原作;西村寿行〇製作協力:徳間康快〇製作:永田雅一
高倉健(杜丘冬人)、中野良子(遠波真由美)、原田芳雄(矢村警部)、池部良(伊藤守)、田中邦衛(横路敬二)、伊佐山ひろ子(横路加代)、倍賞美津子(大月京子)、大和田伸也(細江刑事)、大滝秀治(遠波善紀)、岡田英次(堂塔正康)、西村晃(長岡了介)ほか


 

 今年の2月に佐藤順彌監督が亡くなり、この映画をその追悼企画の一環として久々に本作を鑑賞した。別にこの監督の代表作、とまでは言えないと思うんだけど、この映画、中国ではやたらと知名度が高く、中国における高倉健の認知度を大いに上げたことで知られている。つい砂金、ジョン=ウー監督の手によってリメイク版「マンハント」なんてのも作られているのも、この映画の中国における影響力の大きさを証明している。
 高倉健が中国映画「単騎、千里を走る」に主演して、NHKがその密着取材番組を作ったことがあるが、その中でも中国の片田舎でも高倉健の顔が広く知られている様子が撮られていた。だがその番組ではそのきっかけとなった映画を「遥かなる山の呼び声」としていて、僕は「あれ?」と思ったものだ。「君よ憤怒」の中国での影響力は有名な話で、僕だって若い中国人留学生がそう言っていたのを聞いていたほど。どうも番組を作ったNHKスタッフとしては「君よ憤怒」ではちょっと格好が…と判断したみたい。
 まぁその判断自体は分からないではない。僕もこの映画の中国での評判を知ってからビデオで鑑賞したんだけど、正直なところ「う〜〜〜ん(汗)」という感想を持ってしまった。これが「日本映画代表」とされちゃうのはなぁ…と思ってしまったのだ。

 とかなんとか言いつつ、今回久々に鑑賞しtンだが、最初に見た時よりは好印象になった(笑)。名作だとか先入観を持たず、最初からバカにして見ると案外出来がいいように見える、ということかもしれない。

 映画は「ダラララ〜ヤダ〜ヤダダダ♪」と聞こえる不思議な男性スカッとと共に始まる。人出でごった返す東京の街中の真昼間、主人公の検事・杜丘(演:高倉健)は見知らぬ女(演:伊佐山ひろ子)からいきなり「強盗・強姦犯」と名指しされ、警察署に連行される。まったく身に覚えがなく黙秘を続ける杜丘だったが、もう一人別の男(演:田中邦衛)からも強盗犯と面通しで指さされてしまう。本人立ち合いで杜丘の自宅に家宅捜索をかけると、いつの間にか盗まれた物品が彼の部屋に置かれていた。自分が何者かの罠にはめられたと悟った杜丘はその場から逃走、自分の無実を晴らすべく、逃亡しながら独自の調査を進めてゆく。その杜丘を、事件捜査でもともと良く知る矢村警部(演:原田芳雄)が執念で杜丘を追跡し続けるが、彼もまた杜丘が何者かに陥れられたのではないかと疑い、やはり調査を進める――

 と、こういう展開の映画である。話の大筋をつかむと、「どっかで聞いたような、見たような」と思う人も多いと思う。今回二度目の鑑賞で改めて、往年の米テレビドラマ「逃亡者」に構造がよく似てると思わされた。もっとも僕はハリソン=フォードが主演、トミー=リ=ジョーンズが追跡する刑事役で助演した映画版しか見てないが、聞く限りでのテレビドラマ版の雰囲気にこの映画は近いと思う。西村寿行の原作小説自体が「逃亡者」を念頭にしたものだったんだろう。

 主人公が突然無実の罪に陥れられ、逃亡しながら真相を追う。この展開が前半テンポよく進行してほどよいサスペンスもあって心地よい。いったん能登半島に向かった杜丘はさらに殺人容疑までかぶせられて、今度は北海道の日高へと飛ぶ。やっぱり健サンは北海道に行かなきゃいけないのである(笑)。田中邦衛の実家が日高の農家という設定なのだが、やはり佐藤順彌監督・高倉健主演の「新幹線大爆破」でも田中邦衛はそういう設定だったような(チョイ顔見せだったけど)。これが発展して「北の国から」に向かうのかなぁ。
 この田中邦衛演じる「横路」の実家には、当然ながら刑事が張り込んでいて、杜丘は日高山中に逃げ込む(それにしてもこの映画の刑事さんたちは山だろうと町だろうと丸腰相手にパンパン撃つな)。そして山中で、ヒグマに襲われていた現地牧場主の令嬢・遠波真由美(演:中野良子)を偶然救い、その自宅にかくまわれる。彼女の父親が道知事選出馬をひかえる遠波善紀(演:大滝秀治)。大滝秀治もこの時期高倉健との共演が多いような…というか、この時期から何かというと映画の中にチョコチョコ顔を出す人、という印象になる。

 矢村警部がここまで追いかけて来て、杜丘は真由美に逃がされて山中の小屋に行ったり、洞窟に隠れたり。矢村に一度捕まったら、なんとそこへまたヒグマ!!という場面には初回鑑賞時ついつい爆笑した覚えが。一度ならず二度もヒグマが偶然出てくるというのもアレなのだが、本物のヒグマを使えるわけがないとはいえ、えらくチャチな作り物ヒグマによる表現が…(実際恥ずかしいから短いカット割りでごまかしてる)。真面目なハードボイルド調に進んできた話が、この辺からだんだん腰砕けになってくるんだよな。
 杜丘と真由美の、洞窟内でのラブシーンはこの映画の見せ所の一つ。濡れ場としちゃ控え気味ではあるが、健サンにこういうシーン自体が珍しい。これ、あくまで僕の勝手な推理なんだけど、1986年の中国映画「古井戸」でのクライマックス、地中にとじこめられての有名なラブシーンって、これにヒントを得ているのではあるまいか。そのシーンを演じたのが後に監督となる張芸謀(チャン・イーモウ)で、健さん主演で「単騎、千里を走る」を作ることになったりするし…。
 ま、とにかくこうしたシーンのおかげもあってか、中野良子も中国で大評判になったとか。映画の後半で原田芳雄の前でいきなり脱ぎだし、全画面オッパイ丸出しというヘンなサービスシーンがあるが、あれはアップの部分は代役だよなぁ。たぶんあのシーンはさすがに当時の中国ではカットされたと思う。

 このあと杜丘は遠波から提供されたセスナ機を操縦して北海道を脱出。免許もないのにそんな簡単に行くか、とツッコミもあろうが、一時パソコンでセスナ機のフライトシミュレーターやりこんでた僕の意見からすると飛び立つだけなら「車より簡単」というセリフの通りではないかと。問題は着陸の方なんだよな。この映画では着水を強引にやっちゃってますが、あるいは下手に陸地に降りるよりは安全か。
 セスナで飛び立つ場面、見せ場だ!と変に力が入っちゃったのか、走りくるパトカー群を前にギリギリ飛び立つ、という、そこそこ頑張ったアクションシーンになっている(まぁ編集でごまかしてる感は強いが)。そのまま逃げりゃいいのに、操縦がうまくできないから、ということなのかしばらく旋回したり地上すれすれに飛び回ったり、するのは、サービスのつもりなのか何なのか。

 この映画、進むにつれツッコミどころが多くなる。杜丘は新宿に潜入したところで警察に包囲網を敷かれるが、これを突破するのが真由美が運んできた馬の大群(笑)。そりゃあ現場も混乱するだろうけど、機動隊のバリケードまで馬で突破しちゃうというのは…このシーン、ホントに新宿駅周辺で馬を放つゲリラ撮影やったとか聞くのだが、思い切って手間かけたにしては無茶なとツッコまれるだけの不自然なシーンになっちゃってる。
 あと、今回気になった点として、移動場面などで使われる妙にのどかなムードの音楽がある。内容にあまりマッチしていないのではと思いつつ、どっかで聞いたような…と考えていて思い当たった。古典サスペンス映画「第三の男」の有名なチターのBGMに似てるのだ。意識したかどうかは分からないが、どのみちムードを壊してるようにしか聞こえないなぁ。

 このあと結末周辺にまで触れますので、念のため。それにしても、この映画、2時間半はどう考えても無駄に長すぎ。



 矢村警部もまた独自の捜査を進めていて、杜丘を陥れたのは、どうやら政界の黒幕・長岡了介(演:西村晃)で、彼と関係の深い精神病院院長の堂塔(演:岡田英次)が作った精神薬により大物政治家が突然の自殺を遂げた、杜丘はそれが単純な自殺であることに疑いを抱いたために無実の罪を着せられたらしい――という真相をつかんで、それを杜丘にも教える。このあたりも原作がそうだったんだろうと思うんだが、いろいろ設定に無理があるような。人をいいなりにさせちゃう精神薬というのもリアリティがないし、自殺に疑いを抱いたってだけで検事にそこまでするかと思っちゃうし。

 杜丘がその精神病院に、自ら入院して潜入捜査をする展開もなんというか…すぐに素性がバレる(そりゃそうだろ)のも笑ってしまったが、
そのあと監禁された杜丘が例の人のいいなりになる精神薬を飲ませられ続け、すっかりいいなりになったと思っていたら、実はその都度「吐いていたので大丈夫だった」というのは…いや、あれ、結構ちゃんと飲んでるはずだよ、あれから吐いても無理なんじゃないかと。こんな展開を健サンが大真面目にやってるから、もう笑ってしまって。
 そういやこの精神病院で左翼活動家が同じ薬を飲まされてる場面で、西村晃演じる「政界の黒幕」が「2630年の歴史がある我が国にあんなのが」とか言うセリフがあるが、これはもちろん神武天皇即位から数えた「皇紀」のこと。正確にはこの年で2636年となるのだが、こんな年数をサラッと口に出すだけにこの「黒幕」は明白な右翼とわかる。

 最後は杜丘と矢村が協力してこの黒幕を斃し、一応のハッピーエンド。もっともあんなにいろいろやっちゃってては杜丘も「緊急避難措置」などでは逃げられず、ただでは済まないはずだが、恐らくは例の黒幕がわみで何らかの「超法規的措置」がとられたのだと思われる。だが杜丘は「今まで法律を信じて人を裁いてきたが、世の中には法律では裁けないものもあると知った。もう追う側にはなりたくない」と言ってるので検事も辞めてしまうのだろう。原作にもある要素なのだろうが、この映画で示されるテーマ、教訓のようなものがここにある。これを言わせるために途中で杜丘をかくまってくれる倍賞美津子の存在があるんだよな。

 一方で最後まで良く分からないのが杜丘の上司である伊藤検事正(演:池部良)だ。検察の体面を第一に考えているということなんだろうが、序盤から杜丘の背景を調べることには消極的で、矢村警部からもその態度をやや不審がられている。こいつが杜丘を陥れた張本人のように前半では見えるのだが、結局最後は彼を見逃す役回りになってる。いわゆる「ラブボス感」があるんだけど、撮影途中で話を変えたりしたんじゃあるまいか…。ほら、池部さんといえばかつての任侠映画で健さんの相棒だし(笑)。原作ではどうなってるのか、機会があったら確認したい。

 …とまぁ、いろいろツッコんでしまう映画なんだけど、健さんと原田芳雄のカッコよさは問答無用で、当時中国でも健さんがコートのエリを立てる着こなしが流行ったというのも分かる。二人ともサングラスをカッコよくかけるしね。こんな刑事や検事がホントにいるのかどうか知らんが。
 また、この映画は松竹の配給なんだけど、製作は「大映」と「永田プロダクション」。プロデューサーの永田雅一はかつて大映を率いたワンマ社長で、その独裁ぶりと吹きまくりぶりから「永田ラッパ」とあだ名された人物だ。大映は1971年に倒産し、74年に徳間書店社長の徳間康快がその再建を引き受けることとなるのだが、この「君よ憤怒」は永田雅一が大映と組んで映画製作に復帰した第一作、という意味もある。また同時にこの映画は高倉健が東映を退社しフリーになってからの第一作主演映画でもあり、直後の「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」につなげていくことになる。さらには佐藤順彌がこのあと大映で「敦煌」「おろしや国酔夢譚」といった大作を撮る流れへもつながっている…といった具合で、作品の出来はともかく思いのほか日本映画史の上で重要な意味を持っていたりするのだ。。(2019/4/4)



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