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#2400 
五番街 2002/02/14 15:55
三国志のNY公演

えー、徹夜城さんが、非常にこの「人形劇・三国志」について興味を示されているようで、「ズレている」発言でいまなお、しこりを感じる五番街ですが、根は優しい性格なので、もうちょっと説明しましょう。

この三国志は、マンハッタンのある短期大学の舞台で生人形劇として上演されたもので、舞台の向かって右側には相当に大きなスクリーンがあって、ここでもストーリーの一部が放映されてました。つまり、生人形劇9割、ビデオ1割程度だったと記憶しています。人形劇の終了後だったと思うのですが、このスクリーンに人形の制作者を紹介するビデオが流されてました。

このスクリーンは、この人形劇のために特設されたような気がして、えらく本格的なんだなあ、と思ったことを憶えています。上演期間は、マリーによりますと、2-3週間くらいだったんじゃあないの、ということで、この点からしても本格公演ですね。で、私の家族が見に行ったのが土曜あるいは日曜で、客席はほぼ満員だったようにおぼえているのですが、平日の入りはどうだったんでしょうねえ。チケットの価格は、うーん、高からず安からずで、リーズナブルなもんだったと思います。

マリーによりますと、この三国志の公演評は、すばらしい、というように高く評価されており、自分もそう思ったということです。彼女は、この三国志を全く知らなかったようで、一般のアメリカ人も同様に知らないと思いますよ。

マリーはいつも購読している週刊誌か何かの演劇案内でこの公演を知ったようで、そういえば、この部分を指しながら、「観に行こうよ」といって、私も三国志なので、ちょっと驚きながら中国製かな、日本製かななんて思いながら「行こう」と答えたことも憶えています。

しかし、残念なことに、日本人社会向けのテレビCMとか、新聞・雑誌での広告は打たなかったようで、日本人や東洋系の観客はゼロに等しいようでした。ちなみに、「蒲田行進曲」の英語版の芝居がそれよりも以前にあったのですが、これは、日本人向けに広告をジャンジャン流したので、客の9割は日本人、あとは、そのボーイフレンド・ガールフレンドであったようです。

この「蒲田行進曲」の場合、自分の「女」を手下に与えるっていうコンセプトなんぞ、アメリカ人には理解しがたいものだと思いますが、(芝居が終了してからマリーに尋ねると、アメリカ人には理解できないわよ、って言ってました)、三国志の場合は、脚本のレベルで整理してあるのかどうかは知りませんが、複雑すぎるってことはないようです(もっとも、子供だと、無理ってこともあるでしょうけど)。



#2399 
徹夜城(元はといえば三国志オタクの管理人) 2002/02/14 10:23
三国志のことなど

この「史劇的な物見櫓」は三国志・戦国日本に流れがちな歴史マニアの大勢に対して反抗を試みるという趣旨もあったりするんですが、まぁもともと僕も三国志と戦国から歴史オタクになったようなもんですからね(笑)。とくにこの「人形劇・三国志」の話はやはり乗ってきてしまいます。

>五番街さん
NYで公演、ということは生の人形劇が上演されていた、ということですね?日本でもこのNHK「人形劇三国志」に使用されていた人形をそのまま使った生人形劇公演(変な言い方だな)が行われていた覚えがあるので、それの海外公演ということだったんじゃないでしょうか。

「三国志」の英訳タイトルはいろいろとあるらしいですが、「The Romance of Three Kingdom」とかなっているのを見かけたことがあります。ただあの「三国」は一応「Kingdom=王国」ではなく「Empire=帝国」を名乗っているはずなんですけどね。まあ領域的には「王国」のほうがしっくりくるのでしょうが。

中国、日本では大人気の、とくに後者では異常なまでの大人気の「三国志」(演義以外もひっくるめた言い方としてこう書きます)ですが、欧米じゃどうなんでしょうかねぇ。あの膨大にいる漢字二、三文字の登場人物をアルファベット表記しただけで物凄くとっつきにくい気がします。
僕ら日本人が「イリアス」とか「戦争と平和」を読むと似たようなカタカナ人名の大群を覚え切れなくて大混乱するのと似たような感じじゃないかと。
しかしあの光栄のパソコンゲーム「三国志」第一作は全米PCゲームの最優秀賞をとっていたりしてましたから、それなりに「三国志」ファン層がいるってことなのかな。

話を「人形劇」の方に戻しますと、この「人形劇」が現在に続く「三国志」ブーム(というレベルじゃないな)の火付け役だったとやはり思えます。もちろん江戸時代から日本人は「三国志」大好きだったですし、あの日中戦争の最中にも吉川英治の「三国志」が大ヒットしてますから連綿と続く人気があるわけですけど、「人形劇」は電波に乗ったことがやはり大きかったように思えます。内容じたいはかなり子供向けに作っていたので劉備が原作以上に善玉、曹操が原作以上に悪玉(それでもムチャクチャかっこよかったですが)とやたら役どころが単純化されていたフシもありましたしストーリーにも目にあまる改ざんがあったりするのですが(その辺が田中芳樹氏あたりに猛攻撃されてるところですが)、総体としてはやはり傑作であったことは動かせないと思います。
ただ、日本人が思い描く「三国志」って点も気をつけたほうが良いですね。本場中国の超大作TVドラマがありますが、あれなんかみると同じ話でも随分雰囲気が違います。ただこの中国TVドラマも「赤壁の戦い」あたりで妙に日本風の鎧デザインになってしまうという不可解な現象があり、どうも日本市場を意識してわざとやった気配を感じます。あれの撮影で使ったセットを日本人観光客向けのアトラクション施設にしたりしてますしねぇ。昨今の中国はほんとに商売っ気が強くって(笑)。

80年代後半、「ラストエンペラー」の余勢をかって「三国志」の映画化が米・日・中合作で進められたことがあります。「敦煌」の製作者・徳間康快氏があたっていたようで脚本はすでに完成していたといいます。セリフは全て英語、主演にはジョン=ローンという話までありましたが(誰の役かは不明)、89年に「天安門」が起こってお流れに。その後徳間さんはロシアでロケーションを敢行した「おろしや国酔夢譚」に流れていくわけです。
そういえば亡くなる間際に徳間さん、山崎豊子の「沈まぬ太陽」(日航機墜落事故をモデルに航空業界の裏面を描く小説)の映画化をブチあげておりましたが、やっぱり流れちゃってるのかな。あら、気がつくと管理人みずから長々と映画板ネタを(汗)。



#2398 
五番街 2002/02/14 07:46
人形劇・三国志

「人形劇・三国志」って、同じテーマの人形劇が多く製作されているとは思えないので、5-6年前にニューヨークで公演されたものと一緒でしょう。

この「人形劇・三国志」は完全英語版で、たしか、タイトルは「Tale of Three Kingdoms」だったと思います。妻と子供を連れて見に行きましたが、アメリカ人の親子連れが目立って多かったことを憶えています。島田伸介って、まったく、およびじゃあなかったですね。妻のマリーは、「あの時代に、人民のことを考えた国王がいたってことに驚いた」と言ってました。ジェイソンは「面白かった」そうです。



#2397 
貧乏神 2002/02/14 01:21
モーグリ先生、ありがとう

モーグリさん、ありがとうございます。積年の謎が解けました。(やや誇張)
いや、他人に聞く前に自分で調べろ、って言われそうですが。(^^;;
言われてみると、ボスポラス海峡を通過できるように、ソ連がキエフ級空母を
巡洋艦扱いにした、とかいう話をどっかで聞いたような記憶もあります。

で、パールハーバー、ノミネートされましたか。いや、評判聞いたんで、見て
はいないんで、あまり批評めいたことも言えませんが、さすがですね。

>管理人さん
あ、DVD化されてますか。確かに最近、かなりいろんな作品がDVD化されてます
からねえ。私も最近、NHKの少年ドラマとか、シュワルツェネッガーのデビュー作
とか手に入れましたが。
しかし、まだDVDはレンタル屋にはあまり多くないんですよね。
「ちょっと見てみたい」っていう作品を買ってしまうのは、ちょっと辛いし。
価格的にも、保管場所的にも、ですが。
いまは「シャーロック・ホームズ」を収集中。今度は「サンダーバード」を
買わねば…って、これじゃ映画板ネタですね。(^^;




#2396 
モーグリ 2002/02/13 23:25
パールハーバー、ノミネート

過去ログでも話題になった映画「パールハーバー」が最低映画を決める「ゴールデンラズベリー賞」2001年度で6部門にノミネートされました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020212-00001014-mai-int
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/2174/main/razzies22.html

>「坂の上の雲」
この小説は史実より相当脚色されています。
+αさんが書かなかったエピソードを例にあげます。『坂の上の雲』では要塞砲を転用した28cm榴弾砲の大活躍を書いていますが、実際には28cm榴弾砲でロシアの永久堡塁はほとんど破壊されていませんし、対艦砲撃では25%が不発でした。旅順艦隊の沈没原因は砲撃による撃沈でなく自沈です。(大江志乃夫『日露戦争の軍事史的研究』参照)
私も昔はそうでしたが世間一般では28cm砲で旅順要塞を粉砕したようなイメージが広まってます。

最近では軍事知識不足のせいか粗雑な内容を書き散らしている本が多いです。三野正洋という軍事研究者は『組織の興亡』という本で「日露戦争で欧米の軍隊はヘルメットを採用しているのに日本軍は採用してない。これは日本軍が人命軽視だからだ」という暴論を書いていました。ヘルメットって第1次大戦中に発明されたものですけど。



#2395 
徹夜城(受験期のこととて多忙を極める管理人) 2002/02/13 00:30
「史点」は二週合併にさせてください(--;)

世間は連休でしたが、こちらの商売は人が休んでいるときに忙しいというところがありまして。
まだしばらくこの状態が続くので「史点」更新は厳しいです。まぁ先週はそれほど大ネタが無かったので次と合併にしちゃってよかろうかと思うところもあります。

>おはけんさん
お気づきになりましたね。そうです、あれは「人形劇・三国志」の島田伸助の挨拶です。そのあとに「同じく、松本竜助です!」と続けるところまでパロりたかったのですけど、相方がいなくて(笑)。思えばあのコンビもその後の運命はだいぶ分かれていきましたなぁ。
「人形劇・三国志」の完全版DVDが発売開始になっておりまして、その影響を受けてあんなのを書いたところもあります。
「ムロタイ」はお褒めにあずかり恐縮なんですが、結構執筆作業はやっつけ仕事です。書き出してみて初めてプロットが決まっていくなど我ながらいい加減な仕事してます。後村上がジワジワと近づいてくるくだりも史実を確認しながらそのまんま書いてましたからね。このあたり、まさに史実が小説を超えてしまうところであります。
あんまり世間では知られていないのですが、今回のものを初めとして南朝軍って結構京都奪回してるんですよ。のちには清氏クンまでがそれをやらかしますし(ネタばれ…って言っても調べりゃわかることだしなぁ)。そんな「意外と頑張る南朝」の面白さも見ていただければな、と思ってます。

>貧乏神さん
「明治天皇と日露大戦争」をはじめとする新東宝戦争映画群はただいま続々とDVD化されておりまして、以前よりかなり鑑賞が容易になりました。そのどれもが戦後作られたとは思えないほどの右派ぶりですが、あそこまでやるとややギャグに近い印象までもってしまいます。
まぁそんな事かくと変に「期待」させて実際に見て拍子抜けってことになるかもしれません(笑)。
「明治天皇と日露大戦争」ですが、冒頭とラストに靖国神社、節々に明治天皇御製の和歌が詠み込まれるなど、なかなかに「濃い」です。それでいて二百三高地も日本海海戦も詰め込んでるんだから大したものです。日本海海戦のミニチュア特撮は円谷英二のそれにはさすがに見劣りしますが、のちに東映で製作した「海ゆかば」の特撮シーン(担当は東宝特撮の中野昭慶さんでしたが)よりはマシじゃないかと。
公開当時は天皇が主役という破天荒な企画ということもあって(この点に関しては「戦後」ならではという見方もできます)とんでもない大ヒットになったらしいですが、その後は今ひとつで新東宝はその滅亡まで皇国史観調の映画を乱打していきます。「東条英機と極東裁判」という「プライド」なんかよりずっと前におんなじような作品が作られたりもしてますな。
まだ恐いもの見たさもありながら見ていないのが「皇室と戦争と我が民族」というタイトルからして恐い大作映画(笑)。聞くところでは神武天皇まで登場しちゃうとか…

>つねさん
司馬遼太郎自身も「坂の上の雲」の執筆時に乃木信奉者からかなりの批判・攻撃を受けたということを書いていますね。今でもたまに見かける乃木絶賛本のたぐいでは必ず「坂の上の雲」と司馬批判を入れている印象があります。
僕も原資料にあたったことはないので司馬の乃木評価が果たしてどれほど正確もしくは不正確なのかは判断しかねます。ただ実体験から旧陸軍指導者に対する痛烈な批判を抱いていた司馬にはそうした陸軍の悪弊の原点が乃木あたりにあるように見えていたのかもしれません。乃木個人の人間性については「殉死」という中編で描くことでフォローしているようにも見えます。
一方で司馬は海軍には甘いという意見もありますね。



#2394 
おはけん@京都 2002/02/11 10:57
やっと思い出しました!(苦笑)

 今頃で何ですが、徹夜城様のムロタイ第5回のご挨拶、やっと思い出しました(爆)。
 わかります、わかります!懐かしいなぁ・・紳・竜の三○志!ご造詣の深さに感服です。



#2393 
ホリ−・ハンタ− 2002/02/11 08:55
寒い気候に住む住人

私の住む富山は、今、雪が降りまくりの旧正月。
皆さんは如何お過ごしでしょうか?

>日露
次から次へとネタが出て盛り上がってますね。
皆さんの話しを読んでると、日露とゆうのは
奥が深いのですなぁ。
わたし自身は、ロシア人には其れほど恐れと侮蔑は
ありません。寒いとこに住む者どうしとゆうか、
富山で一番多い異邦人はロシアの方々ですし、
まぁ、盗難車組織と密売協定を結ぶロシアン・マフィア
の報道とかありますけど、わたし自身はロシア人に
ヒドイ目を見たとゆうのは無いです。
まだソ連が存在してたゴルバチョフ政権下で
富山へロシアの商船高専の船が来県して
ロシア青少年と色々、カタコト英語で話しを
したりドライブしたりしたことがありますが、
まぁ裕福な出の坊ちゃんばかりだったから
かも知れませんが、レオ様やブラ・ピ様や
キアヌ様のような、男前で礼儀正しい
青少年ばかりでしたな。
日本女性の西洋男に憧れる心理とゆうのが
非常に良く分かりました。(自爆死




#2392 
つね 2002/02/11 01:31
ごぶさたです。

と言っても覚えている方いるでしょうか。
常連さんではありませんでしたからね。
仕事が忙しくて、なかなかネットにもつなげられません。
今度、書きこむのもいつになるか・・・

ところで日露戦争ネタで一つ。
>「名将 乃木稀典」(桑原 嶽著)
副題は「司馬遼太郎の誤りを正す」
土曜日に会社の先輩の結婚式が乃木神社でありまして、
式前に神社によったら、こんな本がありました。
500円と安かったので購入してしまいました。
ウォッシュバーンの「乃木」(国会図書館で読んだことがあります)のように
贔屓の引き倒しの文章だろうと思ったいたのですが(「乃木」は情実にあふれていて
私なんかは読んでいて感動してしまいますが)、陸士卒で戦後、陸自に所属していた
方が書いているだけに専門用語・知識が散りばめられていてなかなか難解で、
「どちらが正しいんだ?」と思ってしまいます。自分で原資料にあたってみたくなるのは
こういうときですね。(それでもさっぱり分からないでしょうが)
まあ、乃木将軍も「名戦術家だった」と評価される時が来るかもしれませんが。



#2391 
おはけん@京都 2002/02/10 22:28
本物よりこっちが本物!?

 ムロタイ第6回、いいですね。
 特に住吉からゆっくりと、様子を窺うように動く後村上帝の南朝軍&それに神経を使い憔悴する義詮、譲歩案・一瞬の虚を突いての京都突入・・・そして思わぬ「父上」の憤死・・・このスリル・緊張感が答えられません。

 本物(?)の「利まつ」の方が、全く緊張感も緊迫感もなく(合戦シーンはもちろんその他のシーンでも)、歴史的事実もほんの少しかするだけで、実に怠惰に45分間が“菜々子だのみ(?)”だけで流れていっています。
 なぜかあれに毒されてしまった(暴言?)or慣れた(?)or諦めた(?)方々が多くて、最近いろんな大河系掲示板でも、私も諦念の余りカキコが減少気味です。

 それにくらべ、このムロタイは、・・・徹夜城様のここまでの刻苦勉励労苦・ストーリーテラーの才には本当に感謝感激です。
 こっちがホントの大河!あっちは偽物だぁと叫びたいくらいです。



#2390 
とと 2002/02/10 18:09
歴史って・・・

高校の歴史のおかげで歴史が好きになりました
そういうのって大きいですね
これからどんどん書き込みしてゆきます

お勧めサイト
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/

http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/


#2389 
モーグリ 2002/02/10 16:03
黒海艦隊

>そういえば、ロシア軍には、黒海艦隊を極東に派遣するというオプションは
>なかったんでしょうか?
ボスポラス海峡に中立国トルコがあるので、条約上黒海艦隊がボスポラスを通過することが出来ませんでした。
ただ、日本側も艦隊が条約を犯して黒海艦隊を派遣することを警戒しており、当時イスタンブールにいた日本の民間大使、山田寅次郎が毎日望遠鏡でボスポラス海峡を偵察して逐一日本政府に
ロシア船の動向を知らせていたそうです。



#2388 
2002/02/10 13:39






#2387 
ホリ−・ハンタ− 2002/02/10 10:43
ヒマヒマなんで。寄りすぎかな私。

おぉ、鋭い指摘、日露戦時に、黒海艦隊は遊んでたのか?
という突っ込みですか。私も、成る程と。
邪推ですが、クリミア戦争は結構、ロシア軍は
陸軍、海軍、とも損害が大きかったのでは?
まぁ、それから日露戦まで間が長かったとも
思えますが、
トルコのイスタンブ−ルの海峡さえ封鎖すれば
ロシア黒海艦隊は外海へ出られませんから
英仏はトルコを影響下に置こうとしたのでは?
でもクリミア戦争とゆうのもイギリスにとって
冷や汗の出るものだったかもしれません。
陸軍戦力だけでロシアと戦っても勝てない
と痛感したのでは?

>体にコタえる寒さ
よく、アフガニスタン軍事介入から生還したロシア兵の
証言の中で『アフガンは冬、目茶目茶、寒いぞ。』と
ゆうのがありますが、アンタらの方がよっぽど寒いところ
に住んでんじゃないの、と不思議に思ってましたが、
よく考えるとアフガニスタンは3000m級の山
が多い高地が殆どで、或る登山家が言ってましたが
酸素の薄いところでは、低地での寒さより
寒さが体にコタえるのだそうです。
人間は体温の調整を皮膚下の細胞の酸素呼吸
とゆう一種の燃焼作用で行っているため、
ロシアは低地が多く、シベリアも左様。
酸素が一杯あればこそ、シベリアは
そこより南のヒマラヤ地方ほど
寒くは感じられぬそうです。



#2386 
貧乏神 2002/02/10 01:56
バルチック艦隊など

確か、ネボガトフ提督の艦隊はスエズ運河を通ってますよね。イギリスも
こいつらなら通していいや、と思ったのでしょうか。
…と書いたところで調べてみたら、第二太平洋艦隊のフェリケルザム提督の
支隊もスエズ運河を通ってるんですね。

そういえば、ロシア軍には、黒海艦隊を極東に派遣するというオプションは
なかったんでしょうか?

>管理人さん
「明治天皇と日露大戦争」、すごい映画らしい、という話は見聞きしてるん
ですが、映画そのものは目にしたことがないです。ぜひ一度見てみたいです
ねぇ。って、あんまり期待しすぎると拍子抜けするかな。

>ホリー・ハンターさん
「冬の寒さより夏の暑さに耐えがたい」っていうのは徒然草にも出てきますね。
あと、ロシアの、というよりシベリアの風土については、だいぶ前にNHKスペ
シャルでやってた「北極圏」というシリーズで
「4000kmは距離じゃない、40度(%)は酒じゃない、零下40度は寒さじゃない」
って言っていたのが耳に残ってます。




#2385 
ホリ−・ハンタ− 2002/02/10 00:44
ロシアの日本への片思い

>ア−ル・ケイ様
幕末期、西洋諸国ではオランダを除けばロシアが一番、日本の実情を
知っていたと書かれておられましたのは、その通りだと思いますし、
よく考えてみれば地理的に一番近いところにある西洋人の国であるから
当然といえば当然でしょうね。
帝政ロシアはシベリアとゆう広大な領土を得ましたが
当地とウラル以西の本国とは距離的に遥かすぎて
東西の交通・流通は滞りがちで
また、シベリア当地は慢性的に人材、物資が不足
冬は凍てつき、しかし肥沃ではある大地に住んでる
半農半牧のロシア人は野菜不足にすら悩まされてたそうで
日本と貿易すれば、シベリアはモスクワ中枢地域に頼らずとも
自活維持できるのでは?と考えていたフシもあるとゆうのが
司馬遼太郎サンの受け売りです。(自爆

ところが、当時のロシアの一番の外貨獲得商品とゆうのが
黒テンを代表とする高級毛皮商品であったそうで、
確かに、西洋の上流階級では黒テン毛皮を身にまとうのは
貴婦人のステ−タスであったし、事実、引く手あまたの
人気商品だったのですが、ロシアが
これを日本人に売りつけようと考えたところが
ロシア・日本の外交進展が、アメリカ・日本の其れに
先を越されてしまった要因の一つとか。
日本人は毛皮を衣類に使う習慣は極めて少なく
また湿気の多い日本では不向きとも言えます。
日本人の古来からの気質として冬の寒さより夏の暑さ
に耐え難いとゆうのがあり、住居にしろ衣類にしろ
そんな発想の風通しの効くモノを好みます。
ロシア人とゆうのは日本人に比べて確かに
恐ろしく寒い気候の人間ですが、室内ではペチカを
ガンガン焚いて日本人からみると汗が出るくらいの
室内で越冬するらしく、ウォッカとゆう最強最悪の
口から火の出るような『冬の友』もあって(夏も飲んでるか彼らは)
今も昔も其れは変わらんとか。
(ちなみに此れも司馬サンの受け売りで、あしからず。)



#2384 
徹夜城(明日は仕事なんで早く寝る管理人) 2002/02/09 23:52
なるほど納得。

明日・明後日は受験対策授業のため、とっとと寝ます。あちこち掲示板にレスしたいことがあるんですけど、とりあえずここだけにとどめておきます。
「史点」はまた火曜日更新だと思っていてください。
「ムロタイ」は日曜に更新しますけどね。実はもう解説以外は書きあがっていたりします。

>アール・ケイさん
池宮彰一郎さんのこと、なるほど納得です。日経の連載小説は読んでませんでしたが、そんな露骨な「なぞり」をやっていたとは知りませんでした。「納得」だったのは週刊文春で小泉さんの「三者斬り」を「英断」と讃えてしまったことについてです(文春自体は「真紀子攻撃」姿勢も崩してませんが、さすがに「裁き」自体は批判トーンですな)。そこまで入れ込んでいたとは知らなんだ。
意地悪く言えば国民人気の動向を見て小泉改革と清盛を重ねてみたんでしょうかねぇ…かなーり無理があるんと違いますかね。それとも「大改革を目指して、気がついたら前政権と同じことをやってました」という結末になったりして(笑)。そこまで考えていたら池宮さんも大したものです。
歴史小説の書き手はしばしば今自分が置かれている状況を手がかりに対象となる時代をとらえることがあります。書く言う僕だって「ムロタイ」は日本におけるある時代のある業界をかなり意識して書いていたりするのですが(まぁお察しください)、無理に現代をそこに投影しようとはさすがに思いませんね。あくまで理解するうえでの「手がかりとしての見立て」にとどめます。

>日露戦争関連。
いろいろと話題が出てますなぁ…僕などは「坂の上の雲」と日露もの映画ぐらいでしかこの辺のことには首突っ込んでないんですけどね。
「坂の上の雲」のバルチック艦隊大航海のくだりは、面白いというよりも笑ってしまいました。なんか北海あたりで漁船を「日本の潜水艇」と勘違いして(なぜか日本がそういう奇襲をしてくると誠しやかに噂があったらしい)攻撃してしまったとかいう話が出てきてましたが。

映画ですと、陸軍ものなら東映の「二百三高地」、海軍ものなら東宝の「日本海大海戦」が2大巨頭になりますかね。新東宝の「明治天皇と日露大戦争」ってのもありますが、あれはまぁ…(^^;)あまりの時代錯誤ぶりに話のタネにはなるんですけどね。
「二百三高地」なんぞ見てしまうと、乃木希典は仲代達矢、児玉源太郎は丹波哲郎以外のイメージが浮かばなくなってしまいます(丹波哲郎は僕の中では真田昌幸でもありますけどね)。じゃあ「日本海大海戦」を見ると東郷平八郎が三船敏郎のイメージなのかってぇとそうでもない(あれは職人芸的ミニチュア特撮の最高峰を見るべき映画ですからねえ)。東郷役には今のところドンピシャと感じた俳優がおりません。
いまふと気がついたんですが、この二本の日露映画は掛け持ちが何名かおりますな。三船敏郎は「日本海」で東郷、「二百三」で明治天皇。仲代達矢は「日本海」で明石元二郎、「二百三」で乃木でした。兵士役がやたら多い気がする佐藤允も両者に出ていたはず。



#2383 
ひろさわ 2002/02/09 21:04
間違えました・・・

「米百表」じゃなくて「米百俵」ですね。
失礼しました。
(最初は「米百票」って出てきたIME・・・)



#2382 
アール・ケイ 2002/02/09 17:15
贔屓の贔屓倒しだよ、あれは

池宮彰一郎氏が日経に連載している『平家』という小説をお読みになっている方はおいででしょうか?
池宮サンって(ワタシはよく知りませんが)これまでも現代の状況をやたら過去、歴史と重ね合わせ過ぎるキライがある方だそうですが、この『平家』ではそれが余りにも露骨過ぎて鼻白む思いです。主人公・平“の”(笑)清盛を無理矢理小泉純一郎の目指すべき理想の改革者として、描いていて、また藤原氏「官僚群」を“抵抗勢力”になぞらえ、後白河法皇は中曾根、竹下、金丸を合わせたような大俗物でありまたある意味うつろぎで即物的な国民の象徴として描いています。しかも、遠回しに現代との類似を匂わせるのならまだしも、(おそらく池宮さん、いまの政情を怒って、でしょうが)ストレートに書き過ぎちゃってるんですよね。今日の掲載部分などは、当時(清盛絶頂期の一歩手前、まだ表面上は後白河と仲が良かった頃)の財政事情を説明するのに現在の日本の借金財政を持ち出してたりします。
まあ、時代、歴史小説というものは、形を変えた現代批判なのでしょうが、あれではあまりに品がありません。どうも、池宮さんは小泉首相のシンパ?らしいし小泉改革の支持者らしいのですが、あんな「宣伝小説」を読みたくないですよ、読むけどね(笑)。

幕末、オランダは別として、一番日本の事情に通じてたのはロシアだという話を聞いたことがあります。開国を迫った際も幕府に云われた通りちゃんと長崎に回航してますしね。光太夫ら、漂流民から得ていた情報も有効だったのでしょうか。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2381 
ホリ−・ハンタ− 2002/02/09 05:53
ロシア海軍

この国の海軍の至上命題は、
冬、凍結しない港を領有することでは無かったかと思います。
徹夜城サンはピョ−トル大帝期に相当、造詣があるかと思いますが
かの大帝の頃より西欧並みの先進海軍を目指し始めてたのでしょう。

地道に長いその成果とゆうか、1803年、ロシアは
クル−ゼンシュテルンとゆう提督が世界一周に成功。
この提督が日本幕末の開国使節をエスコ−トしたそうです。
ロシアはアメリカのような黒船・威圧強行外交では無く
柔軟で低姿勢な外交だったそうです。

帝政ロシアはシベリア開発・国策大企業の圧力で
日本と貿易することでシベリア開発の活性化を
図りたかったそうで、ロシア海軍の進歩は
其れに追随とゆう形だったようで、
ピュアな船乗りで軍人のクル−ゼンシュテルンは、
国策大企業がシベリア・極東ロシアを
陸と海で搾取している実態に憤りを感じていたようで
具体的には
黒テン毛皮採集や工場での労働者、商船の水夫の劣悪で
非人道的で奴隷的である労働条件を
その手記の中で描いて、この構造の改革を叫んでいたとか。
この提督にすれば、ロシア商船の水夫は農奴と大して変わらないと。



#2380 
モーグリ 2002/02/08 22:31
訂正

訂正
ネガボトフ→ネボガトフ
の間違いでした。昨日はうっかり間違えて書き込んでました。



#2379 
ひろさわ 2002/02/08 19:50
赤松登場!

>小泉首相=後醍醐天皇?
あんなに短い文に、長いレスを返していただいてありがとうございました。
ほかにも
「『米百表』って援助物資の横流しじゃないのか?」とか、
いろいろあるんですが、いまひとつこのあたりのことはよく調べてませんので、
ひとまずおいておいて―――

>室町太平記

やっぱりこれでしょう!
昨日ようやく、第五回、拝読しました。
(忙しくてアクセスできなかったんです)
おお、ついに律師則祐登場ですね。(じつは権律師らしいですが)
それに貞範まで出てくるとは!
いずれ(南朝についた)氏範とかも出てくるんでしょうか?
――「室町太平記」は、二代目の苦労を描く物語とのことなんで、
赤松円心の息子とか、楠木正成の息子とかがメインキャラ級で出てくるんですね。
(人気の高い足利直義が出てこないのは、初代のカテゴリーに入るからか?)

ちなみに、私のところの「赤松太平記」は、
赤松円心の両親とか、佐用範家の両親とかが出てきました。
(↑ え? だれ? とか言われそう)
で、いずれ出てくるのが決定しているのが楠木正成の両親。
ただ、推定視聴率4,3%という悲惨さなので、打ち切られなければの話ですが。
(↑ 当然ながら、冗談です・・・「打ち切り」は、冗談じゃないかも)


http://dengeki.gaiax.com/home/hirosawa


#2378 
モーグリ 2002/02/07 23:30
松葉杖艦隊

>イギリスは、海軍大国のプライドに賭けても
>日本に勝たせたかったことでしょう、
日本海海戦の連合艦隊は大半がイギリス製でしたし、イギリスで開発された新戦術「統一射法」を採用してます。それまでは戦艦の照準は個々の主砲が別個に撃ってたんですが、「統一射法」では射撃指揮所の一つの照準に全主砲を同調させて斉射するというものです。これをやると命中率が格段に上昇します。
英国海軍は1906年に新戦艦「ドレッドノート」を竣工させてます。ドレッドノートはこれまでの戦艦と同じ排水量で単一巨砲・大火力・高速の戦艦で、それまでの戦艦を一晩で時代遅れにしてしまうほどでした。イギリスは日本海海戦から得たデータを参考にしてドレッドノートを建造してます。そういう意味では日英同盟はイギリスにとって満足の行くものだったことでしょう。
この辺の事情は雑誌『歴史群像』2001年8月号の林譲治氏の記事に出てます。

>バルチック艦隊
バルチック艦隊の中でも旧式戦艦で編成されたロシア第3太平洋艦隊(通称:ネガポトフ艦隊)が一番悲惨です。旧式戦艦は鈍足で発射薬が黒色火薬(発砲時に多量の煙が出て連射が困難)だったため自軍の水兵から「松葉杖艦隊」と揶揄されたほどだったそうです。バルチック艦隊の来航が遅れたのもネガボトフ艦隊に理由の一端があります。しかも日本海海戦では連合艦隊から無視され囮の役目さえ果たせませんでした。
余談ですがネガボトフ提督は日本海海戦で艦隊ごと降伏してます。戦後提督は死刑判決を受け(後に減刑)これ以後戦艦の降伏はタブーです。仮想戦記で時々戦艦が降伏するのがありますがあれは間違いです。



#2377 
ホリ−・ハンタ− 2002/02/07 20:01
梁 石日 氏の『Z(ゼット)』

何をイマサラと思われるでしょうが、昨日、コレを
読み終えました。
私は韓国の戦後史にあまりに無知であるので、ちょっと
怖いモノ見たさに読んでみたのですが、やはり怖かった。(自爆

この本によれば
南朝鮮での日本軍の武装解除は、米軍がソウルへ進駐するまで
行われなかったそうです。
『日本はアメリカに負けたのであって朝鮮に負けたのでは無い』
こうゆう態度でソウルの日本総督府は機能を維持してたそうです、
アメリカが南朝鮮を引き継ぐまでは。そして、不幸なことに
赤狩り・南朝鮮の共産化阻止のために、アメリカは
日本が朝鮮支配時代に子飼いにしていた親日派朝鮮人による
右翼的な秘密警察や治安部隊をも日本軍から引継ぎ
労働者、民族主義者の運動を徹底的に弾圧したそうです。
日本敗戦から1948年の大韓民国・成立までの間に
思想犯とされて多くの市民が虐殺あるいは投獄後・行方不明、
民族主義者・労働者運動の指導者が殆ど、暗殺されたそうです。
この3年間の右翼テロの嵐の時代で暗躍した
治安部隊、秘密警察とゆうのも日本からの
負の遺産と思われているようで、
終戦直後の日本の南朝鮮への稚拙な対応は
韓国の反日感情に少なからず影響を与えているように
思います。





#2376 
五番街 2002/02/07 15:03
バルチック艦隊の悲劇

>ロシアのバルト海所属の大艦隊は喜望峰を通って旅順港を目指すとゆう
>恐ろしく遠回り(でなくとも長旅なのにね)をさせられたんだから。
>アフリカでの暑さに寒冷地出身のロシア水兵らが参っていたのは
>容易に想像できます。(ホリー・ハンターさん)

このあたり、吉村昭の「海の史劇」に描かれていますね。随分以前にこの小説を読んだので、内容はおぼろげになっていますが、記憶に間違いがないとすれば、吉村さんはバルチック艦隊が喜望峰を回る大航海によって水面下の艦部(って、正確にどう呼ぶのか知らないんですが)に海藻やカキ類がくっつき、行動性能が鈍ったことが日本海海戦の敗因と分析していたと思います。

このように、おぼろげな記憶した残っていないのですが、敗者のバルチック艦隊側にシンパシーを感じるという、日本海海戦の見方としては非常に異質な視点でみたこの小説は、私なりの考えでは、「フォン・シーフォルトの娘」とならぶ吉村さんの名作ではないかと考えています。



#2375 
ひで 2002/02/07 00:31
映画かぁ.

(すいません,下の変なのは削除して下さいm(_ _)m)
>徹夜城様
ホセ・リサールを見に行かれたとか.
職場の先輩が見に行って,あまりよくない,と聞いていたので二の足を踏んでいた
のですが,そこに書いてあるような内容だと,ちょっと見てみようかという気にな
りますね.
とはいえ,3時間の映画となると,これはベストコンディションでのぞまないと,
「カンダハール」を見に行った一昨日の二の舞になりかねないな(^_^;)
仕事疲れの状態でレイトショーを見に行ったらほとんど眠ってしまい,内容を
覚えていなかったりします.1800円払って仮眠とってるって・・・一体私は何を
しにいったんだか.



#2373 
徹夜城(三時間の長尺映画にも疲れなかった管理人) 2002/02/06 23:41
ホセ・リサール

下の書き込みの肩書きのところで予告したとおり、「某伝記映画」を見てまいりました。
そのタイトルは「ホセ・リサール」。フィリピン独立の英雄としてフィリピン国民では誰知らぬ者はない有名人で、商売道具の世界史用語集にもちゃんと名前が載っているので日本の世界史教科書にも名前がある人ってことですな。まぁ僕もそれで名前を知っていたようなもんですが。
フィリピン映画が日本で公開されることは滅多になく、これが初の本邦初のフィリピン映画本格ロードショーということになるそうです。ちなみに神保町の岩波ホールで上映中。あと2日しかやってませんが。

途中休憩10分が入る、3時間の長尺映画。しかし全然飽きさせない面白さがありました。革命・独立運動といった歴史の激動の中でインテリ層がどう苦悩するか、という近代史によくあるテーマが濃厚に出てまして、近代史やってる方はかなり興味深く見られるんじゃないかなぁ。
ホセ=リサール(1861〜1896)は小説家・詩人としてスペインの植民地政策およびカトリック教会の横暴と欺瞞を小説の形で暴き出し、独立運動の精神的支柱となった人物。そのために総督政府に逮捕され35歳で銃殺されます。あくまで「精神的支柱」であって本人は独立運動に直接的には関与しなかったようですが(映画では暴力否定論者として描かれる)、そのヨーロッパ仕込み(スペインに留学している)の自由・平等といった人権思想で対抗してこられたのが総督政府側の逆鱗に触れたようですね。
この映画、この「国民的英雄」をあくまで育ちのいいお坊ちゃん(フィリピン人だけど大地主でかなり裕福な家の出身)、情熱的な若者、そして創作と現実の狭間に苦悩する作家として、あくまで等身大に描いていきます。それだけにその結末はよけいに涙を誘います。

アイルランド独立運動の指導者でIRA設立者だったりする人物を主役にした「マイケル・コリンズ」という映画がありましたが、あれと良く似ているな、と思ってみていました。かたや暴力否定の小説家、かたやテロ行為も辞さぬ戦略家という正反対の位置にいると思える二人ですが、どちらの映画もこれといって人並みはずれたところのない等身大の若者として描くところが非常に良く似ています。アイルランドとフィリピンの二つの「独立英雄映画」の物語の語り方が似通ってくるっていうのは興味深いところです。それぞれ「敵」であるスペインやイギリスを決して無闇に悪魔化せず、必ず良心的な理解者を登場させると言うのも共通点ですかね。

この映画、ラストは1898年、アギナルド(本人は登場しないが、情報として入ってくる)によるフィリピン独立が達成され、ホセ=リサールが国家的英雄として讃えられた、と語ることでしめくくられます。
ちと腑に落ちないのが、このあとこのフィリピン共和国がアメリカによって潰されその支配を受けてしまうことにまるっきり言及がないこと(独立戦争のくだりでもアメリカの動きは一切出てこない)。あくまでリサールの映画だから、といえばそうですが、なんとなくフィリピン人のアメリカに対する複雑な感情がかいま見えるようで…。
なお、この映画は1998年に「フィリピン建国百周年」を記念して作られた大作です。それでいて民族意識高揚って印象がまるでないあたりが今ふうなんでしょうな。

なお、この映画に関する「映画的感想」は栄耀映画の伝言板で書きます。



#2372 
ホリ−・ハンタ− 2002/02/06 23:21
史点、読みました。

>日露戦争と日英同盟
イギリスは確かに日本に恩を着せていたようです。
バルチック艦隊のスエズ運河通行を拒否、
ロシアのバルト海所属の大艦隊は喜望峰を通って旅順港を目指すとゆう
恐ろしく遠回り(でなくとも長旅なのにね)をさせられたんだから。
アフリカでの暑さに寒冷地出身のロシア水兵らが参っていたのは
容易に想像できます。
でも逆にみると、もしもバルチック艦隊が日本艦隊を破り
ロシアが旅順を海陸挟み撃ちで日本軍を壊滅させていたら
海軍大国イギリスのお株を奪うような、戦術史上希にみる
大勝利であったことでしょうし、
イギリスは、海軍大国のプライドに賭けても
日本に勝たせたかったことでしょう、
陸軍に関しては、ロシアには到底勝てないと
感じてたイギリスは。





#2371 
徹夜城(明日は某伝記映画でも見に行くかと計画する管理人) 2002/02/06 01:06
「史点」更新。

昨日付けの更新になってますが、実際のアップは6日。まぁ書いていたのはほとんど5日なので、そういうことにしといてください(^^;)。

>古屋三日月さん。
「ムロタイ」への熱い感想どうもです。書き手としても書きがいがあります(^^)。
実際のところ当初の予定より一回はずれこんじゃってますね。やっぱり書いていると「あれも」「これも」と入ってきちゃって。直義も(セリフ・ナレーション中のみの登場とはいえ)当初四回ぐらいで死んでいる予定が、6回までずれこんでおります。実際の放映だったらこんな無計画なシナリオ執筆はやっちゃいけませんね(笑)。
頼春、清氏のキャラクターは書き出したら勝手に決まっていったものでして…実はあまり深く考えていないです(笑)。頼春なんてもっと猛将タイプだったかも、と後で思ったりもしましたが。清氏にいたっては時折作者の構想を超えて勝手に暴れ出しております。こういうのを「キャラが立つ」などと言うわけですが、創作活動をしたことがある方はある程度経験のあることかと思います。
作者としてはやはり主人公の頼之が「難敵」でしてねえ(笑)。どーもいまいちキャラがつかめん。これ、本音ですよ。
では次回はハンカチのご用意を(涙)。

>鵺さん
歴史とゲーム共通のファンですが、歴史SLGは専門にあれこれやってる人もいるぐらいで、かなり濃いファン層を持ってますよね。しかしPC-FXの空戦RPGと大河「太平記」を同時に熱心に語るやつなんて僕ぐらいでしょうなあ(笑)。
あのコーエーも一度でいいから南北朝SLGに挑んでほしいものです。やっぱ難物なんだろうなぁ…そう考えるとPCエンジンのCD-ROM「太平記」を作ったスタッフ(発売元はインテック)って結構凄いと思いますよ。SLGとしては明白にヌルいですけど。新田義貞による天下統一が楽勝だもんな(笑)。まぁ後醍醐天皇や公家どもが変な口出しをしてこないから、という見方もありますが(笑)。
CD-ROMの初期で「声が出る」ことがよほど嬉しかったのか、「徴兵」とか「捜索」といったコマンドにまでいちいちアニメと声が入るのが今となっては笑えます。爆笑なのが「捜索」コマンドで、命を受けた家臣が額に手をかざして周囲をを眺めてキョロキョロし、「金が出ました!」「このような者がうずもれておりました!」とか報告してきます。そんなふうに眺めただけで見つけてくるとは、果たして有能なのか馬鹿なのか(笑)。何も見つからないと「ドーン」という効果音とともにガックリと落ち込んで報告するアニメが出ます。

>五番街さん、鈴木小太郎さん
お二人の繰り出される議論は非常に興味深く拝読し、それぞれに面白いところ、学ぶべきところがあったと思ってますが、どうもここに来てそれぞれに相手に対する感情的・攻撃的ととれる文が見られるようになって来ました。このままいくと見解がスレ違ったまま罵倒合戦に発展する恐れを濃厚に感じますので、この辺で中断しておくことを管理人として強くおすすめします。



#2370 
鈴木小太郎 2002/02/05 22:22
RE:「読み込みが不足しているようですね」

>五番街さん

「読み込みが不足しているようですね」というのはいくら何でも失礼でしょう。
あなたが書いた文章は、

>大変なミスをしておりました。書いたつもりの文章が消え、それに気がつかない
>という失態をしました

という具合に、肝心の部分が書かれていない訳の分からない文章で、そもそも「読み込み」に値する文章じゃないですよ。
基礎知識が全然ないのに、信頼の置けない本やウェブページから細かい知識をドカドカ仕入れて勝手な推測を加えるものだから、何を言っているのか訳が分からない文章ですよ。
それを何とか努力して、意味不明な部分を私なりに、たぶんこういうことを言っているんだろうなと解釈して書いたら、「読み込みが不足しているようですね」じゃたまらんですよ。

>国司制度が機能していた平安時代には、

鎌倉時代に入っても、国司制度・国衙制度はそれなりに機能してますけどね。
理解は困難でしょうけど。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1. 阿武が本姓であると仮定して、この本姓を、阿武御領に由来するものであり、「平」、「源」などのように近畿天皇家による「賜姓」と小太郎さんは、 考えているのか。
2. それとも、近畿天皇家とは無縁の「本姓」と考えているのか。
3. であるならば、阿武を「本姓」と考える根拠はなにか。
4. 「本姓」の定義はなにか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

疑問自体に混乱があることが明瞭ですね。
結論から言えば阿武は本姓ですよ。
家名は平安時代の中頃から現れて、平安末・鎌倉期に爆発的に増えるものですから、それ以前からあるなら本姓です。
天皇家は姓を与える存在で、自らは姓を持たないことは御存知でしょう。
もとからある地名を天皇家から認められて姓にすることは、阿武に限らず、いくらでもあるんですよ。
「賜姓」というのは、全く新たに作られた姓を与えられることだけではなく、旧来からの地名なり職名なりを、これからはそれを姓とすることを認めましょう、と公認される場合も含むんですよ。
五番街さんが調べたところでは「阿牟君」という人が存在しているんでしょ。
その「君」というのはまさに天皇家との関係を示しているじゃないですか。
天皇家と無関係な地名として「阿武」が存在していたとしても、「君」と認められた段階で、「阿武」は天皇家と関係を持ったことになる訳ですよ。
で、阿武は本姓なんだから、「あぶの」という言い方は全く不自然ではなくて、後に「阿武野」なり何なりの家名が出てきたとしても、これまた別に不自然ではないと思いますよ。

繰り返しになりますが、阿武がどうのこうのと言い出したのは五番街さんで、私にとって阿武なんてどうでもいいんですよ。
私は別に独自の説を立てているのじゃなくて、角田文衛という学者の家名と諱を「の」で直結させる慣習は存在しないという説明を紹介しただけです。
だから格助詞の「の」がどうのこうのという説明じゃなくて、家名と諱を「の」で直結させる事例を、信頼できる文献から五つなり十なり示してもらえれば十分なんですよ。

http://www2.justnet.ne.jp/~jingu/


#2369 
ホリ−・ハンタ− 2002/02/05 20:48
死んだはずだよ、おキムさん

北の前・首領サマの半生の経歴が曖昧なのは、一つに
ソ連の支援を背景に北朝鮮を建国直後、朝鮮共産党の
親ソ連派を粛清してしまったからだそうです、
それもずいぶん早い時期、朝鮮戦争の直前に
北朝鮮から親ソ連派を片づけてしまったらしい。
よくスタ−リンが怒らなかったものだと思いますが
近い将来、中国とソ連の対決を見越し、中国一本に
絞ろうとしてたのでしょうか。
そういえば前・首領サマは人民解放軍の兵士として
戦ったこともあるとかで、中ソで日和見をしながら
朝鮮戦争に臨んだようです。
朝鮮戦争では中国は全面的に北朝鮮を支援してましたが
ソ連は中途半端、本腰を入れてはいなかったようです。
ソ連は水爆を全・国力を集中して開発してて
朝鮮半島ぐらい、アメリカにくれてやる、
水爆さえ出来れば即、決着がつくからと
どうもスタ−リンは水爆が完成すれば
すぐ何処かへ投下する気だとアメリカはマジでビビっていたらしい。
スタ−リンが1年長生きしてたら
日本は3個目の核爆弾を落とされて
いたかもしれません。



#2368 
2002/02/05 17:16
老子と老師と信長とゲームバナシと

あれ、「老子」になってましたか。まあ、訂正しないでおこう。これも無為自然(爆)。それにしてもATOKめ、老子、労使、牢死などときて七番目に老師とは…
今の中学生ですけど、やっぱり反町信長結構見てますかね?信長のイメージが誰かで世代がわかりますけど。キムタク信長ももう結構前ですよね。

ここでゲームバナシをしてしまうのも何ですが、当時、子供心に「しゃべるゲーム」は本当に衝撃的でした。今の子供はわからんでしょうな。それにしても目玉が動くのは斬新すぎますね(笑)、瞬きするゲームは知っておりますが。ところでゲームと歴史の共通のファンって少ないですかね。最近ではあのコーエー(…)も「 三国無双」がそこそこヒットして新たなファンを獲得しているようですけど。



#2367 
五番街 2002/02/05 14:23
RE:続々「の」:鈴木小太郎さんへ

いつもながら、長文になってしまいました。皆様のご寛恕をお願いします。

さて、鈴木小太郎さんの【続々「の」】(#2353)について、コメントします。

>全てこの「の」は「何とか一門の」、「何とか家の」、「何とか地域・
>場所の」などの広い意味での出自を示すものであり、基底の部分においては
>意味が共通していると考えています。(五番街)

>という立場だそうで、特に議論の接点は見いだせないですね。(鈴木小太郎さん)

私の文章から、「議論の接点は見いだせない」と小太郎さんはお書きになっているのですが、じつは、大変なミスをしておりました。書いたつもりの文章が消え、それに気がつかないという失態をしました。

ここで私が何を言いたかったといえば、これまでとは異なった視点から、こうした「の」は格助詞の「の」であり、「本性+の」というケースは、格助詞「の」の一般的な用例の一つにすぎないということです。つまり、「家名」に「の」はつけないという小太郎さんの当初の主張は、格助詞「の」の用法から考えれば、不自然であり、「家名+の」という用例が存在して当然ではないか、と考えるのです。

さて、小太郎さんは、中世(12世紀以降)に阿武御領が存在したことを指摘して、次のように述べられています。

>だから阿武はおよそ五番街さんの言うところの「近畿天皇家」の「勢力あるいは
>影響力が乏しかった地域」どころか、天皇家に直結している地域ですね。

どうやら、小太郎さんは、私の投稿の読み込みが不足しているようですね。第一、私は「影響力が乏しかった地域、時代では通用しない」と書いているにも関わらず、小太郎さんは「時代」というコトバを削除していますね。

第二に、小太郎さんももよくご存じのはずですが、私は、以前の投稿で【古今著聞集には「長門国国司阿武某」という記述がある】と指摘していることを、全く忘れてしまっているようですね。つまり、国司制度が機能していた平安時代には、阿武という土地も、阿武一族も、近畿天皇家の支配下におかれていたことを、この記述は示唆しているのですよ。したがって、いまさら阿武御領の存在を指摘されたところで、「そうですね」というくらいなもんでしょうか。私の言っているのは、中世という「時代」のハナシではないのですよ。(注:以前の投稿では、「周防の国国司阿武何某」と書いたのですが、これは、明らかに長門国の間違いですね。ただし、古今著聞集にあたって確かめてはいないのですが。)

【当時の社会のことですから、その際には開発の実績などともに家柄・本姓は相当重要な要素になるんですね。どこの馬の骨かわからない人では在地支配層の一員にすらなれない。】という小太郎さんの主張は、そのとおりで、「当時」においては阿武一族は名門だったと思います。ただし、阿武が、「本姓」であったかどうかは、大きな疑問符がつきますが。ちなみに言えば、阿武一族は、その後二度にわたる戦役に破れて衰退します(これは聞きかじりですが)。

小太郎さんは、次のように結論づけています。

>だから本姓が「近畿天皇家の制度に過ぎ」ないなどというのは、地域社会の実態を
>知らない五番街さんの奇妙な空想なんですよ。

私は、この文章をうまく咀嚼することができません。何をおっしゃりたいのでしょうか?私の疑問を以下に箇条書きにします。

1. 阿武が本姓であると仮定して、この本姓を、阿武御領に由来するものであり、
「平」、「源」などのように近畿天皇家による「賜姓」と小太郎さんは、
 考えているのか。
2. それとも、近畿天皇家とは無縁の「本姓」と考えているのか。
3. であるならば、阿武を「本姓」と考える根拠はなにか。
4. 「本姓」の定義はなにか。

この「本姓」というコトバを小太郎さんが使用されて、それに従って、これまで使用しているのですが、通常、「平」や「源」、「藤原」などの呼称は、姓あるいは氏と呼ばれているのですが、「本姓」には特別な意味があるのでしょうか?それとも、たとえば「北条」などのように、「平家」一門の中での家名と、「平」という姓を明確に区別するために、「姓」を「本姓」と呼んでいるに過ぎないのでしょうか。

さて、「阿武」という名称が歴史に登場するのは、非常に古く、【古代、阿武国は阿牟国とも書かれ、(中略)大化改新後、阿牟国は宍戸国と合併し、長門国となりました。】、【71年〜130年 ● 穴門国造、阿武国造任命される。】と、弥生時代に遡ります。
http://www.joho-yamaguchi.or.jp/ask/

また、日本書紀 巻第七 「景行天皇」の項(岩波文庫)には次のように書かれています。

>次妃日向髪長大田根、日向襲津彦皇子を生めり。是阿牟君(あむのきみ)の
>始祖なり。

岩波文庫の編者は、阿牟君について、要約して言えば【阿武郡阿武郷と関係ある氏族か】と疑問を投げかけているのですが、これまでの説明から、この阿牟君が阿武(阿牟)一族の長であったことは間違いないと考えられます。

小太郎さん、いいですか、阿武地域および阿武一族が大和勢力、つまり近畿天皇家の支配下におかれたのは、記録上では神話時代の景行天皇の時代であったのですよ。

この景行紀では、日向襲津彦皇子が阿牟君となった経緯が書かれていないのですが、この問題に関連して、別の箇所には次のように書かれています。

>日本武尊と推足彦天皇と五百城入彦皇子とを除きての外、
>七十余の子は、皆国郡に封させて、各其の国に如かしむ。

景行天皇は、日本武尊などを除く70数名の皇子を地方の国や郡の長に任じた、というのがこの一節の意味であり、さらにこの一節は、日本武尊の物語とともに、この時代に、近畿天皇家によってほぼ全国制覇が成し遂げられたことを示していると考えられています。

近畿天皇家に敵対する勢力は、日本武尊の武勇伝が示すように、さまざまな方法によって攻略されて、支配下におかれたと考えられるとともに、敵対しなかった勢力に対しては、本領を安堵し、景行天皇と親子の縁を結んで、その勢力の支配者を改めて長として任命したと思われます。「七十余の子」(70数名の皇子)という非現実的な皇子の数が示唆するものは、こうした親子の縁組みによって天皇家の支配下に組み入れられた国々が多く存在したことであると考えられます。

さて、このことから、景行天皇の時代以前から存在したアム地方のアムと呼ばれる一族の族長が、おそらくは、景行天皇と親子の縁組みをして、日向襲津彦皇子という名前を与えられ、阿牟君と任命され、近畿天皇家の支配下に入ったと推測されます。そうでないとしても、アムという地方名に由来する一族のアムという呼称は、近畿天皇家とは無縁な由来をもつものであることは、確実であると考えられます。したがって、小太郎さんの言う「本性」とは全く別のものではないでしょうか。




#2365 
古屋三日月 2002/02/05 01:07
ムロタイ第4回

台詞にのみ登場する直義を影を追い求め、
親房と正儀の心温まる掛け合い(笑)に狂喜乱舞な回でございました(^^)
というかもう、登場人物見るだけでおなかいっぱいになれます。
毎週ほんとに心の憩いです。

正儀もとても好きなので、彼が北朝に降る課程も楽しみの内のひとつなんです。
楠木の棟梁という重いしがらみを持った彼が降るのは
かなり追い詰められての結果に違いないので、
吉野の上層部とは徹底的にやりあって、きっちり絶望して頂きたいです♪←悪趣味

それにしても、嗚呼!頼春と頼之との会話のエピソードは
ちょっと先を見越して読んでしまって・・早くもウルウルしてしまいました;
とっても人間的で親しみの持てる人物になってるので
このお父さんには100まで長生きして欲しいです、るるる。

それにしても、清氏くんには週を追うごとに惹きつけられていきます。
まだ家格の安定してないこの時代、親を早くになくした彼は
必要以上に力を発揮して自らのし上がっていく必要性があった訳で。
そう思うと婆娑羅な振る舞いも自らをアピールするための
必死の手段かと思えてしまいます〜。

次回を予想するに、私にはきっとハンカチが要りそうだわ・・・
泣く用意は出来てます、徹夜城さま次回の放映を心待ちにしております(^^)

http://www.anotoki.com/top/index.html


#2364 
徹夜城(無為自然状態の管理人) 2002/02/05 00:48
キムイルソンとイシノモリとピーシーエンジン(意味不明)

やっぱ仕事帰りで疲れてるな。気の利いたタイトルが思いつきません(笑)。

>ホリー・ハンターさん
「二人の金日成」の話はかなり以前に掲示板で話題にのぼったことがあります。過去ログを最初のほうから探した方が早いぐらい。
この話はまず植民地下の朝鮮人たちの間でひそかに抗日ゲリラで活躍する「キムイルソン将軍」の名がかなり早い段階で知れ渡っていたことに「疑惑」の発端があります。日本敗戦後、「キムイルソン将軍」が姿を現したとき、あまりに若い人だったので(当時33歳)「偽者だ!」という声がおこったわけですね。金日成自身、改名した事実がありましてそのことも疑惑の補強材料となっています。「金一成(キム・イルソン)」という似た名前の人がいたって話もあったかな。この辺はちと不正確。とにかく抗日ゲリラ活動をしていた有名な将軍がいた、その死後、彼が「すりかわった」という疑惑があるわけです。韓国側ではとくにこの説を強く主張する人もおりますね。
一方で金日成自身が自伝で書いている過去がまるっきりのすりかわりや創作かというとそうでもないようで、アメリカに渡っていた彼の子供時代を知る人が北朝鮮に招待されて彼に会い、本人と確認しています。若き金日成が満州の地でゲリラ活動か潜伏活動をしていたのも確からしく、「李香蘭」こと山口淑子女史が北朝鮮を訪問したときに金日成が「李香蘭さん」と声をかけて映画など見ていたことを語ったとも伝えられます。
まぁ真相は両者の中間点ぐらいなのかも。金正日氏だって公式には朝鮮民族の聖地・白頭山で生まれたことになってますけど、金日成がソ連にやっかいになっている時に生まれた人だってのが通説ですしね。

>アール・ケイさん
そうですか、手塚さんも生前に暴露しておられましたか。「ハリマオ」の一件は初めて知りました。
そういや石ノ森章太郎は高校時代に手塚治虫にいきなり電報で呼び出されてアシスタントをやらされたりしてましたっけね(「アトム」じゃなかったかな?)。しかし手塚さんから送られた原稿に背景入れなどしていたら、かなり書き直されてしまったとか。
他にも藤子不二雄とか松本零士とか今となってはとんでもない方々がピンチヒッターで飛び入りアシスタントやってたりしますねぇ。
「シコクの黙示録」は実はこの仮想大河の構想と同じぐらい古い構想期間を経ていたりします(爆)。こんな形で日の目をみるとは…。

>鵺さん。
そこで「老子」と使うと試験でペケですよ(笑)。「老師」が正しい。意味がわかっていても漢字の間違いはペケにされるので、自身のない語はひらがなで書くように、と講師モードでした(笑)。
それにしても最近中学生への江戸時代の元禄時代の説明がてっとりばやくなりました。「ほら、忠臣蔵の時代」というとちゃーんと反応するんですもん。「キムタク忠臣蔵」の影響も馬鹿にしたものではありません(笑)。こういうところで歴史に触れていたりするのですね。「利家とまつ」の反町隆史の顔を思い浮かべつつ「楽市・楽座」とか覚える生徒も増えるのでしょうな。
なお、鵺さんがお書きの「韓国併合への道」ってのの著者がまさに先に話題に出た呉善花女史なのです。岩波の本と読み比べるといろいろ面白いと思います。

そういやあ、モーグリさんが紹介されていた「正論」の西尾論文は斜め眺めしました(読んではいない)。小林よしのりだけでなく呉善花さんも批判していたような…。「テロと戦中日本をいっしょにすんじゃねえ!」って主張で「反米姿勢は誤り」と言ってるように見受けましたが、その当のアメリカの政治家・マスコミが昨年のテロを「パールハーバー」とやたらに唱えていることをこの方はどう思ってるんでしょうかね。

>もひとつ鵺さん。
PCエンジンコーナーをこの歴史サイト閲覧者が覗いておられたというのはちと意外(笑)。
我ながら「室町太平記」やら「史点」と「PCエンジンオールカタログ」を同時に進行させていたときは「俺って何なんだろ」って思いましたよ(笑)。実は「歴史」ってことでは共通してたりするんですがね。
そうですねぇ、PCエンジンは1995年あたりが最終段階とみていいんであなたあたりが最後なんでしょうね。実はハードも1997年まで製造していたりするんですが。ソフトにいたっては1999まで出ていたりします。
僕がPCエンジンに手を出したキッカケは唯一の「太平記」ゲームがPCエンジンCD-ROMで出ていたからです。これ、総計40分にわたるアニメ+音声炸裂のビジュアルシーンもあって凄いんですよ。尊氏、義貞、直義、義助、後醍醐、高時、道誉、正成がちゃーんと動いてしゃべります。
尊氏が「置文」を読むシーンで、目が横にキョロキョロと動くのはご愛敬でしたが(家時じいさんは横書きで置文を書いたらしい)。
正成も笠置陥落を聞いて「後醍醐天皇はいかがなされた!」とか大声で怒鳴ってるし(確かに後醍醐は生前からそう自分で決めてたんだけど、正成は言わないだろ)。
秋葉原の中古店では百円台で投売りされてますので、ハードを持ってる南北朝ファンは必プレイ(笑)。



#2363 
2002/02/04 16:09
またおじゃまします

いやぁ、3時間も雪掻きしていたら高熱で寝込んでしまいました。人手がいないのでひとりで(ぶつぶつ…)。
 受験体制突入ですか。可愛い生徒さん達が徹夜城老子をまっている事でしょう。ついでに時事対策のために「史点」更新を心待ちにしている受験生もいることでしょう(笑)。僕はこの時期
嫌ですね。さる事情で進学を諦めたクチですから。どうでもいい連中が大学へ行く中まったく(ぶつぶつ…)
 伊藤暗殺の話題まで出てますけど本当にこのページは勉強になりますね。もっと詳しく教えて欲しいところですけどまあ自分で調べます。以前名前の出た岩波の「韓国併合」は読みましたよ。何新書忘れましたが韓国人の方の著書で「韓国併合への道」っていうのもありましたね。何かオススメの本orサイトがあったらご教授お願いします。
 先日「利家」便乗本を何冊か小一時間くらい眺めて、誰が実在の人物か調べてきました。戦国武将(特に地方)が大河になるとキャストに知らない名前がズラリと並びます(笑)。それにしても一年に大河が二本見られるなんていい年だ、あと何か再放送してくれないかな。
 あとPCエンジンコーナーが出来てますね。僕ぐらいの年代がPCエンジンを知ってる最後の世代だと思っとります。
 



#2362 
アール・ケイ 2002/02/03 23:49
親友・銅鑼平氏を裏切り、『利家とまつ』擁護派に寝返りました(笑)

シコクの黙示録だの、大歩危こくだの、フルパワーですなあ、管理人殿(笑)。
シコクの黙示録…、うーん悔しい、このシャレもう使えない(爆笑)。
ムロタイの方は、大河『太平記』の最終回前の年月ですよね。あの大河の場面のウラにこういう人々のやりとりがあったのだと思うと(仮想でしょうが(笑))、なかなか感じ入るところ大だったりします。
でも直義は登場しないのね、やっぱり。登場しないまま殺されるのか、勝手に合掌(笑)。

さて、「手塚−石森『ジュン』事件」については、手塚さんの生前に手塚さん自ら告白していますよ。いささか露悪趣味のある手塚さんが隠したりはいたしません。ただ、それだけでは終らないのがこの手塚という人で(笑)、マンガ週刊誌創刊時の秘話として、「『快傑ハリマオ』下書き事件」について暴露したりしてます。当時、小学館と講談社(少年サンデーと少年マガジン)がマンガ週刊誌を創刊するに当たり手塚さんの連載権を争ったのですが、小学館が先んじて連載を得(『スリル博士』という推理マンガ)、破れた講談社に対して手塚さんは石森氏(私は“石ノ森”とは呼ばない)を推薦しました。デビュー間もない石森氏の手腕を危ぶんだ講談社側は、『快傑ハリマオ』をマンガ化することとし、手塚さんにその下書きを頼んだのです。そう、手塚さんが下書きしたマンガに石森氏がペン入れをしたんですよ。さぞや石森さん、屈辱に感じたと思います(だって、手塚さんより石森さんの方が画自体は上手いもん(笑))。まあ、最初の数回だけだったようだし、むろん講談社の心配は全くの杞憂だったのですが。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2361 
ホリ−・ハンタ− 2002/02/03 23:44
ついでに、もう一つ

朝鮮20世紀史で、大きなミステリ−があります。
特に北から亡命して反政府活動をしている人々の
間でウワサされてる事。現在、北の国家元首である
人の父親・金日成 氏に関して。
『二人?の金 日成』説です。

定説では金 日成 氏は抗日ゲリラの将軍として
満州で活動、ソ連の援助の元、1945年の
ソ連の対日参戦とともに日本軍を撃破し
祖国に凱旋、北の元首となった。

もう一人の金 日成 氏も同じく満州で
抗日ゲリラの将軍として日本軍と戦う。
ただしソ連の援助とは無縁だったようで、
孤立無援の中、奮闘しつつも
1937年、日本軍との戦闘で死亡、当年36才。

1937年とゆうと北の首領・金 日成の自称?年齢から
すると25才ごろになり、当時、満州の抗日朝鮮ゲリラ
には、36才と25才の同性同名・金 日成 氏とゆう
二つの勢力が存在したとなってしまう?
しかも北の首領となった方の金 氏じしんの主張によると
1932年に自らが人民革命軍を創設したと。すると
20才でゲリラのトップになったとゆう
毛沢東も真っ青の軍事的才能があったとゆうことになる。

北の首領となった方の金 氏についての経歴は
ソ連がほぼ把握しているようです、ソ連側の
記録では、1945年8月の時点で
金 日成 氏はハバロフスクの
ソ連軍・第88特別偵察旅団の大尉として
登録されていたそうです。
しかし、そのソ連も消滅、もはや真相は闇?



#2360 
徹夜城(ついに二重連載体勢が少し乱れた管理人) 2002/02/03 20:10
「史点」更新はたぶん火曜。

真紀子更迭など、いろいろ注目されるであろう次回「史点」ですが、受験体制突入のため(僕が受験するんじゃないんですけど)遅れています。明日は仕事なのでたぶん火曜更新でしょう。
それでいて「ムロタイ」はしっかり上げていたりします(笑)。「トシマツ」の裏番組と言ってしまった以上これは日曜中に上げておかないと。「日曜はムロタイの日!」ってことで。まぁ3時間もパソコンに向かえば上がっちゃうんで、こちらは。

>モーグリさん
小林よしのりの言説にハマっちゃった方は実のところいろいろ言っても聞く耳もたない可能性が高いので、僕はあまりツッコミは入れないことにしてます。その人が自分で調べるうちに矛盾に気がつくしかないでしょうね。
呉善花女史のことをお書きでしたが、僕はまだこの人の本は一冊として読んだことが無いのでその主張については現時点では論評は出来ません(読んだ方がいればお願いします)。まぁ黄文雄氏ほど無茶(笑)ではないような印象はあります。韓国における単純な「全て日本が悪い」観は確かにあって、それに対して水をかけているところがあるんでしょうが、この人の登場するメディアが一様に日本の右派系あるいは保守系であるというのが気にかかるところです。本人がどこまで自覚しているのか知りませんが、「日本は何が何でも悪くない」論者に体よく利用されているな、と感じるときが多いですね。ああいうの読むと救われる人もいるってことでしょう。日本人ってそういう人が出てくるとやたらにもてはやすんだよな〜(笑)。

>ホリー・ハンターさん
えーと、「元首」と言ってしまうと天皇のことになってしまいますので、そこは「元老」あたりにしておいた方が良いかと思われます。
伊藤博文の暗殺に「JFK」ばりの疑惑があるって話は案外昔からありまして、僕も子供のときに何かの本で読んだことがあります。ですが、安重根が撃ったというのはまあ動かないところでしょう。ただ複数犯だった可能性は残っていると思います。記憶が曖昧なので正確は期せませんが、狙撃があり、その場で銃を持っていた安が逮捕された、ということじゃなかったかな。北朝鮮や韓国の映画なんかだと伊藤を撃った安が「万歳!」とか大声で叫んだりするんですが、そんなことは無かったみたい。
この暗殺事件に安重根以外の同志たちも関与していたのは確かなはずで、それぞれあちこちの駅に配置されて伊藤を待ち受けていた、ってことだったと思います。だから極論すれば安が伊藤を撃ち殺して「民族の英雄」になったってのも「単なる偶然」というところもあった…なんて話を以前聞いたことがあります。ほんと、正確は期せないんですけどね。正確に話を知っている方がいたらフォローお願いします(ああ、人に頼ってばっかりだな)。



#2359 
ホリ−・ハンタ− 2002/02/03 10:57
伊藤博文・暗殺事件

この事件に関しては私は今まで詳しいことは知りませんでした。
最近、大学でこの時代を専攻なさってた方と知り合い、
下記のような異説があったのを知りました。

伊藤氏の遺体からは12発以上の弾丸が検出。
この多くの弾は同じ銃器から発射されたのかは不明。
仮に、現在まで下手人とされている朝鮮・独立運動推進者
が二挺の銃で犯行に及んだとするなら余程の念の入れ様である。
というより本件の鑑識結果、特に弾道分野からの
報告書が存在し、かつ現存するのかも不明である。
(あるのなら知ってる方、教えて頂きたい。)
ただし被害者が国家元首、捜査当局は当時、朝鮮を支配
ハルピンへ進出していた側で、偏った捜査結果であろうことは
容易に想像できるし真相を掴んでも当時、そのあたりは
日本、ロシア、欧米列強が利権を争ってたわけであるから
純粋に『伊藤博文・殺人事件』として捜査するのは
不可能だと言える。



#2358 
かりん 2002/02/03 02:17
URL忘れました(汗)

http://wayne1907.hoops.ne.jp/index.htm
↑住所わすれてました。

http://isweb30.infoseek.co.jp/cinema/karins14/


#2357 
かりん 2002/02/03 02:16
あいさつまわりです。

おひさしぶりです。
今般ウチのオヤジと新サイトを開設しました。
『西部劇の王者ジョン・ウェインの世界』
今までのアメリカ開拓史や北米スー族のサイトと違って1俳優のサイトって事に
なってしまうんでちょっと歴史系サイトで挨拶するのは、どうかなとも思ったんですが、
ま、現代史、近代史もちょっといれてある(今後も)つもりなんで御容赦下さい。

よろしかったら、貴サイトもリンクさせていただけますでしょうか。
よろしくお願い致します。

http://isweb30.infoseek.co.jp/cinema/karins14/


#2356 
貧乏神 2002/02/03 01:25
謎のひとヴォルギン(違)

レニングラード命名に関して、残念ながら、確実な史料へのポインタは
示せないんですが、確か、数年前に見た教育テレビの番組でそう言っていた
のは見た覚えがあります。「映像の世紀」だったか、その辺のノリの番組
だったと思いますが。

遺体に関しては、蝋人形説も根強いようですが、レーニン廟っていうのが、
ガラス越しの上に、あまり近づいて見られない構造だったりして、はたして
遺体が本物かどうかはなんとも言えないですね。
以前、パペポTVで上岡龍太郎が言ってたように、剥製にして、電気仕掛けで
「いらっしゃいませ」とか言うくらいになってれば、面白いんですけどねぇ。
法的な問題さえなければ、私の遺骸は是非そうしたい、などと思いますが。

しかし、旧共産圏崩壊後、Karl Marx Stadt とか、そういう地名が軒並み
なくなってしまったのは、ちょっと興醒めですねぇ。たとえば、マルクス
あたりが思想上の巨人であったという事実は否定できないとおもうんですが。
それがいいものであったかどうか、は別として、ね。
しかし、欧米では、施設その他に、歴史的評価が定まっていない人物名を
平気でつけますねぇ。都市名もそうですが、空母とか。




#2355 
モーグリ 2002/02/03 00:40
昨日は

昨日は強い調子で書いてしまいました。
いえ、実は最近小林よしのりファンの人と色々トラブルがあって、色々と。あれを信じてる人がまわりにいるととにかく疲れます。

そのファンの人はあの西尾幹二の『地球日本史3』の呉善花女史の<朝鮮はなぜ眠り続けたか>を信じてまして。小林よしのりもあれをそのまま書いてるのでそこから知識を得たようです。あの呉女史の近代朝鮮論は読んだことありますがなんか変でした。
ただ私が近代朝鮮史は余り知らないのでどこが具体的に間違ってるか指摘できませんでしたし「朝鮮人が書いてるからウソ書くわけない」と相手に言われてしまったので反論出来ずじまい・・・

あの呉善花流近代朝鮮史はどこが間違ってるのでしょうか?



#2354 
徹夜城(ただいま自分のサイトの四つの掲示板に立て続けに書き込んでいる管理人) 2002/02/03 00:37
手塚vs石ノ森

>ホリー・ハンターさん
手塚治虫といえばアール・ケイさんの独壇場ですが、まぁちょこっと口を挟ませてください(^^;)。この手塚治虫と石ノ森章太郎の一件は手塚の死後公けにされた強烈なエピソードですね。
「COM」に石ノ森章太郎が大胆な実験漫画「ジュン」を連載しておりましたところ、これを絶賛する一ファンが手塚治虫に「石ノ森のほうが凄い」というファンレターを出しちゃったのが事件のキッカケだったらしいです。失礼なファンだな、と思うばかりですが、手塚治虫もこういうことに黙っていられないタチでして、「あの漫画のここがよくない」とあれこれ列挙して反論する返信を出したんですね(これがまたこの人の凄いところですが)。そしてこの返信をこのファンがそのまま石ノ森側に送ってしまった(ホント、困った人)。ショックを受けた石ノ森は編集部に電話して連載中止を申し出てしまいます。するとこれにショックを受けた手塚治虫が突如石ノ森のもとを訪れ謝った、というまぁ凄いエピソードです。
石ノ森章太郎の実験精神はその後も旺盛で、最晩年の「日本の歴史」でもけっこう見ることが出来ますね。

余談ですが、赤塚不二雄が書いた推理小説(!)「マンガ界殺人事件」(タイトルたぶん違うけど、そんな感じ)ってのがありましてねえ。石ノ森章太郎や横山光輝やら藤子不二雄やら大物漫画家が次々に殺害され(おいおい)、なんと犯人が手塚治虫(うわあ!)というとんでもない小説でした(笑)。細かいところは忘れましたが、つまるところ手塚の「天才の嫉妬ぶかさ」を絶賛する作品だったりするんですな。確か手塚治虫がブラックジャックみたいになって手術してみんな治しちゃっていたような…(爆)。
なんとなく赤塚さんがアル中状態のまま見た幻覚をそのまま小説にしたんじゃなかろうか、と思っちゃうような作品でした。今度自宅で発掘作業して再確認してみよっと。



#2353 
鈴木小太郎 2002/02/02 13:22
続続「の」

>五番街さん
1月29日の投稿は徹夜城さん向けに書かれたようですが、徹夜城さんも特にレスすべきことはないようですし、もともと私の発言に関係するものなので、一応書いておきます。
といっても、私が本姓・家名・諱・通称などに分析して論じているのに対し、五番街さんは、

>全てこの「の」は「何とか一門の」、「何とか家の」、「何とか地域・場所の」などの広い
>意味での出自を示すものであり、基底の部分においては意味が共通していると考えています。

という立場だそうで、特に議論の接点は見いだせないですね。
まあ、そこまで一般化・抽象化するのなら膨大な事例を挙げて論証する必要があるように思いますが、「阿武」という一例についてだけ長々と述べているのは奇異な感じがします。
それはともかく、五番街さんは、

>「平」とか「源」の本姓は、ちょっと最近の言い方を借りて言えば、近畿天皇家の制度に過ぎず、
>この勢力あるいは影響力が乏しかった地域、時代では通用しない規則ではないだろうか、
>と思うのです。

と想像されているようですが、五番街さんが例示する阿武は、中世には「阿武御領」という皇室領の荘園となっていて、後白河上皇が創設した長講堂領の一部であり、他の長講堂領とともに伝領され、後深草天皇以降いわゆる持明院統の御料としてその経済にあてられた地域なんですね。
だから阿武はおよそ五番街さんの言うところの「近畿天皇家」の「勢力あるいは影響力が乏しかった地域」どころか、天皇家に直結している地域ですね。
そして、阿武に限らず、一般論として荘園・公領に存在する在地領主は、自己の私領支配を安定化させるために職の体系に組み込まれて、その支配の正当性を確認してもらう必要がある訳ですが、当時の社会のことですから、その際には開発の実績などともに家柄・本姓は相当重要な要素になるんですね。どこの馬の骨かわからない人では在地支配層の一員にすらなれない。
だから本姓が「近畿天皇家の制度に過ぎ」ないなどというのは、地域社会の実態を知らない五番街さんの奇妙な空想なんですよ。

ついでですが、

>平安時代に編まれた古今著聞集には、

橘成季によって『古今著聞集』が編まれたのは平安時代ではなく、鎌倉時代の建長六年(1254)ですね。

http://www2.justnet.ne.jp/~jingu/


#2352 
ホリ−・ハンタ− 2002/02/02 07:04
ゴ−マニズムは勝手にどうぞ

小林氏は勢いがありますね、しかし、
漫画とゆう作品でとらえるなら、彼の最近の
作品は読者にやさしく無いですね。
台詞・吹き出しのスペ−スが絵より多い、総合的にみると。
こんな見辛い漫画は漫画でしょうか?活字の私小説と
大差無いのでは?
(でも私小説は好きです、田口ランディさん みたいな)

かつて石森章太郎さん は台詞・吹き出しを封印した
サイレント的な漫画を発表し、世間はおろか、
手塚センセイの批判を強烈に浴び
その斬新な試みは頓挫し、以後、誰も挑戦してません、
私の見聞きした範囲では。
最近の漫画は台詞・吹き出しに頼り過ぎな傾向にあると
思います。
漫画技法上でのチャレンジ精神という意味では
小林氏は石森氏に及ばないと思います。



#2351 
アール・ケイ 2002/02/02 02:24
あくまでも平和を愛するどん百姓の子孫として(笑)

小林よしりんに(ほんのちょっとだけなんでしょうが)心を動かされるとは、管理人さまも焼きが回ったものですね(笑)。失礼しました。。。
よしりんも“思想がぐるっと一周”しただけで、たまたまそういう気分になっているだけでしょう。ただ、人気商売である本職(というか前の職だな(笑))柄、何を書けばウケるかは意識下において認識しているのでしょうねえ。

革新=左派=反米(但し民主主義の本家という意識のもと、根底では親米だったりする)
保守=右派=親米(但し本音奥底では民主主義が嫌い)
という摩訶不思議な区分は今も連綿と生き続いているわけです。まあ、親米保守というのは、政権を維持していくための方便でしかないんですよね。保守(という云い方がよいとは私も思いませんが)の側から現段階で「日米安保破棄・自主防衛」を言い出すことは自殺行為ですし。

先だって『幕末残酷物語』という映画を某所で見ましたが、武士道だあ、正義だあ、と叫んでいる奴にろくな人間がいないのが、この映画1つだけでも容易に理解できます。BUSIDOを世界に広め、日本と日本人への理解と地位向上に努めたのは新渡戸稲造ですが、彼もまた、その武士道の理想と現実の矛盾に苦しめられ死んでいくことになります(この辺、自作大河の前宣伝でもあります(笑))。
ま、この世に平和なるものが本当に生まれるとしたら(極めて悲観的だけど)、それは「自分の身は自分で守る」などということではなくて、いかに相手(=仇敵)と立場を交換して物事を考えられるか、に尽きると思います。自国民がテロリスト扱いされたあげく、他国の正式な軍隊によって国土を蹂躙されること、それがどれほど理不尽なことが思い及ばないようであれば、そんな人々は畜生以下でしょう。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2350 
徹夜城(史点ネタに事欠かず喜んでいたりする管理人) 2002/02/02 00:41
これを世間では「恥の上塗り」という。

久々に時事ネタで盛り上がっておりますなあ。

昨夜あんなことを書いておいたら、緒方さん見ていたようですねえ、ってもちろん冗談です(笑)。たぶん(爆)。
まぁタネ(?)を明かせば当初「31日中に決定」と報じられていたのに1日に延びたでしょ。その時点で「難航してるな」とは感じました。緒方さんほどの方であれば自分がどういう役割を要求されているか、すぐ分かったでしょう。
みっともないのは小泉内閣のほうで(正確に言えば仲介した福田官房長官と森前首相)、どっかで「前向き」と勘違いして名前を出しちゃった。それで断られて川口さんをシフト登板させ、「即戦力!」とかおだてている。だったら最初から川口さんにすりゃよかったわけで(呆)。

今度の件で僕がかなり失望を感じたのは作家・猪瀬直樹氏のコメントだったなぁ。「真紀子更迭」を「小渕・森さんらにはできない英断」と絶賛してしまった。「真紀子人気もだいぶ飽きられてるから」とか言ってましたが、今度の一件は猪瀬さんが日ごろ批判している官僚と族議員の横暴が原因じゃないですか。ちょっと考えてもかなりタイミングが悪いことに気がつくと思うんですが…さらに「緒方貞子さんのような凄い人を外相にするような首相の英断がのぞまれる」という趣旨の言葉もくっついてまして、結果論かもしれないが完全な的外れでした。

…おっと、これ以上は書きますまい。「史点」のネタがなくなる(笑)。

そうそう、アール・ケイさんも書いてますが、小泉孝太郎クン、実際けっこう器用なんですわ、これが。彼が応募して落選した「石原裕次郎を探せ!」コンテストの上位入賞者よりはずーーーーっと使い物になります。案外、芸能界で生き残っていくかもしれませんよ。で、そのうち4世目として政界進出っと。

>貧乏神さん
「レニングラード」命名はやっぱスターリン時代でしたか。いや、書いているとき確認しておこうと思ってたんだけど結局そのままアップしてます(よく読むと微妙に逃げてるでしょ)。
レーニンってあんまり自分を神格化したがる趣味はなかったみたいですしね。その前に死んじゃったという見方も出来ましょうが。遺体の保存も含めてすべてスターリンが画策し、利用しちゃったわけですな。
ソ連崩壊後、レーニンの遺体についても彼の本来の遺志を尊重して故郷の土に埋めるべきだ、って意見もありましたね。しかし、あそこまで残ってしまうとあれはあれで「歴史的遺産」としてとっておきたくなるのも人情です(^^;)。
孫文も毛沢東も同じ処理されてるって聞くんですが、実際どうなってるんだか。

>モーグリさん
まぁ過去ログも膨大ですので、ときどき同じ話が出てても本人も気がついていないときがあります(笑)。最近の新規来訪者もかなり多いですから、似たような話題の繰り返しもあったほうがいいでしょう。
小林よしりんですが、確かにハタから見ているぶんには退屈しない人なんで、遠くから観察してます。お近づきにはなりたくないですがね(笑)。とにかく彼と仲良くなるほど恐ろしいことはありません。過去の事例からすると80%以上の確率で敵にまわり、猛攻撃してきますから。
たぶん今は西部邁氏あたりに吹き込まれてるんだろうなーと思われます。
「正論」は未読ですが、西尾幹二氏とは昨年三月ごろ台湾をめぐる意見の相違でやりあって以来、かなり関係悪化してました。西尾さんの反撃というところなのかな。
もっとも、よしりんの「アメリカべったり日本保守」批判は共感しないでもありません。以前から僕も日本における「自称民族派・保守派」の卑屈なまでのアメリカべったりぶりには「あんたらよくそれで愛国者自称してんなー」と呆れていたものです。「史点」の一番最初の回で紹介した「日本はアメリカの執事(家老、番頭とまで言っている)になろう」という意見にこうした人たちの姿勢は象徴されますね。
ホントのところ、そのねじれ現象を保守側から指摘する人がいないのも不思議でした。その点では、よしりんはそれなりにただ者では無いのかもしれません。



#2349 
モーグリ 2002/02/01 23:36
過去ログを

徹夜城さんへ

以前から見ていたと言っても今月初めにここにたどり着いてからなのでまだ一ヶ月くらいです。そのせいで過去ログを見逃してました。おっしゃるように私が言おうとした話はほとんど+αさんが書いてました。

ところで今日出版された産経の月刊誌『正論』が大変なことになってます。
ついに西尾幹二をはじめとするかつて小林よしのりと共同戦線を組んだ保守評論家が「最近の反米保守論調はまずい」と小林よしのり批判を始めました。小林よしのりが最近親米保守や産経を「アメリカ・ホシュ」と呼んで批判をしだしたから、いつ産経に切られるかと思ってたんですが。
小林よしのりは横から見ていると笑えます(^^;最近SAPIOで連載された二本立ての中の伊勢神宮の話で、小林本人は天皇を尊敬しているつもりで今上天皇を「天皇」「天皇様」とか書いてます。普通「天皇陛下」って書きませんか。だいたい「天皇様」って”様”のどこが敬語なんだ?



#2348 
ホリ−・ハンタ− 2002/02/01 23:29
ご恩は一生忘れませんときたか。

マキ子氏も解任されて、内心、肩の荷が
降りたことでしょう。離党だけは回避したいのかな?
小泉がヤバいかどうかは分かりませんが
何か森を担ぐとかゆう話しがココに出てきてますが、
感心しませんな。
とゆうか、森サンは人間として一個人としても虫が好きません。
首相の時、西欧を歴訪した際、イタリアのセリエAの
中田選手に会い、あの横柄な態度、
私は忘れもしません。森サンにすれば
サッカ−がちょっと上手いだけの若造と思い
総理大臣の威厳でひれ伏させようと
思ったのか、中田に対し
『全日本は韓国に未だかつて1勝もして無いそうじゃ
ないかね。川渕クンから聞いたよ。しっかりしてくれたまえよ』
さすがに中田は、ムッとして
『そんな事無いですよ!総理は
サッカ−に理解が無さ過ぎませんか?!』
なんか〜、その後、中田は段々、
ツキが無くなってきたような。
森サンって疫病神?



#2347 
貧乏神 2002/02/01 21:58
そういえば

輩行ネタですが、さすがに名前が一文字の場合は使わないか、と思ってたら、
漢字の扁を共通にしたり、とかしてるんですね。またまた陳舜臣から
ひっぱってくると、耶律楚材の子が鉉と鋳だったりしてます。ちなみに楚材の
兄が弁才と善才。楚材だけ字が違うのは異母兄弟だからみたいです。
この伝でいくと、李鵬には李鶏とか李鵜とかいう兄弟が…いたりはしない
でしょうねぇ。

>カニ才蔵
愚乱・浪花というプロレスラーを思い出してしまいました。いや、プロレスは
そんなに詳しいわけじゃないんですが。

>首相
憲法的には、参議院議員でもオッケーのはずです。

>緒方さん
やっぱり断りましたね。恐喝まがいの誘いがあっても不思議はないとは
思いましたが。なんとなく、伊東正義氏を思い出してしまいました。

>曾我兄弟
っていう名前を初めて見たときから気になってたんですが、蘇我氏とは
関係あるんでしょうか?

>サムライ
南北朝〜戦国的な(それ以前もかな)価値観では、自分の生命・財産は、
自分で守るなんてこだわらず、使えるものは他人でも何でも使って守る、
っていうのが主流だったように見えますね。(^^)




#2346 
武道通信 2002/02/01 21:22
アフガンのサムライ

南北朝時代の武士でなくアフガンのサムライで恐縮ですが……

 『武道通信』の創刊のメッセージは《日本刀を鑑(み)ると、この国のかたちが見えてくる》でした。何も語らないように見える日本刀から万事を読みとる力を持つことから日本の武道が蘇生できると思うからです。延(ひ)いてはそれが日本の再生になる――そう信じての3年前の創刊でありました。
 
 敗戦後、日本刀を心に差している武道家がいなくなったのではないでしょうか。そして、自分の命を自分で守る、という武道家の基本さえも放棄して、他国(アメリカ)に自分の国に守ってもらい、何の義憤も感じない武道家が多くなってしまいました。

 知っていますか? 17年前、武道家として武人として「いざ、死ねるときに死ねるか」と自らにこの命題を突きつけ、ソ連に侵略されているアフガンに身を投じ、アフガンゲリラとし戦った武道家(古武道体術)がいました。
 
 最新刊『武道通信』十七ノ巻で、アフガンのサムライと称せられた田中光四郎氏が、<アフガン問題>をアフガン難民救援活動の中で語っています。いま多くの日本のアフガン報道の中で一番信じられる日本人としての肉声だと思うのです。なぜならそれは武道家としての肉声だからです。
 武をどうのように使うかでなく、武を何に使うかを『武道通信』とともに考えみませんか。

 弊誌HP「新刊案内」に、今巻の詳しい内容が掲載されています。お読みいただけましたら幸いです。
(※弊誌は書店にはありません。弊社へ直接電話・FAXでの注文か、武道通信HP「購入案内」からダイレクト・ショッピングで注文できます。また「Web武通」からインターネットでも読めます)

http://www,budotusin.com


#2345 
マナ 2002/02/01 20:36
あきれ果てて・・・

今度の、真紀子降ろし、これは一体何なのでしょうか?国民を馬鹿にするのもいいかげんにして欲しい。
小泉さんがただの調子者だったなら、まだ森さんのほうがよかったかも・・・
今の今まで、期待してメルマガに登録していましたが、昨日解除しました。
最近、つまらないと思っていたのですが、もうあきらめました。





#2344 
おやかた 2002/02/01 19:29
なめられているのに

気づかない、多くの国民のみなさん。
「鈴木宗男が国民を馬鹿にした、真紀子をいじめてかわいそう」などと
感情論で世論が動くから、老獪な永田町のじいさんたちになめられるのです。
で、世の中何も変わらないのです。頭がバーコードのあの方とか。ポマードの
方とか。
そして、野党には老獪な方はいないので、目先の攻撃材料をつつくことしか
できないのでしょう。
で、ほんとーーーーに力があり、日本の国益になるような方は、
日本を飛び出して、世界のためにNYで働いたりしているということです。

なんか、すごく厭世的な文章で申し訳ありません。
あと、幸太郎→孝太郎でした。訂正します。



#2343 
アール・ケイ 2002/02/01 18:38
森ヨシロウ再登板待望論(笑)

ここは森サンに再登板してもらった方が国民には分かりやすいんですけどねえ(笑)。本質的には森も小泉も同じだという事が。しかし、この国の国民もいいかげんですな、田中外相を切っただけでこんなに支持率が下がるとは。まあ、私も一時期小泉氏を危うく支持しそうになりましたけどね。

でも、いったい誰が首相をやればいいのだろう。とりあえず衆議院議員でないとなれないわけだから、(今回外相候補とされてしまった)犬養木堂の曾孫さんというわけにもいかないですしねえ…。

コータロー君は、いざとなればお父さんのかばん持ちでも出前持ちでもなんでもやるでしょうからご心配なく(笑)。困ったことに、彼、俳優としてもそれなりに器用な面があるようでして(いっそ大根だったらよかったのに)、なんとなく芸能界で生き残っていくのかもしれません。

戦前から続くナゾナゾのタネだったりします、曽我のゴロージュウロー。
「なんで兄貴が十郎で、弟が五郎やネン?」
確か、エンタツアチャコが漫才で使ってたような気がします。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2342 
おやかた 2002/02/01 16:50
余波

現政権危ないとなると、幸太郎君の役者生命も
危ないのかしら。
3月で今クールのドラマが終わって、4月政変だと。



#2341 
おやかた 2002/02/01 16:48
そうそう

森氏、なんで最近目立ってるんでしょう?
守旧派巻き返しなんでしょうか?
そして結局、何も変わらない。
野党も同じ穴のなんとか。



#2340 
あんしゅっつ 2002/02/01 14:48
曾我兄弟のあだ討ちは富士宮市の観光資源

元富士宮市民(いまだ本籍富士宮)登場です(*^^*)

あだ討ちの時の富士の巻き狩りが行われた朝霧高原〜白糸滝周辺には、兄弟の隠れた岩とか陣屋跡とか、こまごまと伝承遺物が・・ しっかりがっぽり稼いでいるようで。
富士宮市民にとって、あだ討ちとは、忠臣蔵でなくて曾我兄弟なんですねー。f(^^;)

ところで、曾我兄弟、頼朝挙兵初期の仇敵伊東祐親の孫ってことで、頼朝政権な関東ではかなり痛い立場な気もしますが、命名のいきさつから見て、同じ伊豆の北条に取り込まれつつあったんでしょうか? 挙兵前は北条-伊東は仲がよかったとか? むむ・・



#2339 
Q世代 2002/02/01 02:40
研究発表(^^;)

 「米百俵」(その米がなくて困ってるんじゃないか)だの「三方一両損」(どう見ても元外相の一方的損)だの、故事や古典巷談からキャッチフレーズを引っ張ってくるのが大好きな小泉首相ですが、そろそろ「(身内の)和を以て尊しと為す」とか言い出しそうですね。

>のよりんさん

 曾我兄弟の名前の秘密、得心が行きました。どうもありがとうございました。

 しかし他家の人間とはいえ、四郎義時の弟扱いで五郎とは、義時の“ホントの弟”時房の立場がないではないか?と思って調べてみたら、時房は義時とは12も歳が離れているんですね。むしろ義時の長男泰時の方が歳が近いくらい(8歳違い)。
 てことは曾我五郎の元服は時房の元服よりもずいぶん前だったのだろう、と思ったらあれれ、曾我五郎と時房の年齢はほとんど違いません。曾我五郎が1174年生まれ、北条五郎時房が1175年生まれでわずか一つ違い。時房は佐原義連が烏帽子親になって1189年に14歳(数えで15?)で元服(このときの諱は時連)しています。

 すると問題は曾我五郎がいつ元服したのか?ということになりまして、あまり期待せずにネットを当たってみましたところ、いやぁ調べてみるとあるものですね。奇特な方がいらっしゃいました。
http://www.asahi-net.or.jp/%7EHD1T-SITU/azuma.html

 というわけで吾妻鑑によると曾我五郎時致の元服は1190年で、これなら時房の名乗りが1年早く、“ホントの五郎”である彼が屈折を覚えずにすみますし、烏帽子親の時政が曾我兄弟に恩を売るというか、手駒にするためにおだてたというか、そのためにも効果抜群の手だったのではないかと思います。(だけどそれなら六郎扱いでも良いはずなんだよなぁ。曾我五郎の方が時房より年上なので慮ったんでしょうか。)

 以上、研究発表を終わります。



#2338 
貧乏神 2002/02/01 01:11
セント・ピータースバーグ

確か、革命の頃はペトログラードという名前だったな、と思ってちょっと
調べてみたら、第一次大戦のときに改称してるのですね。ドイツが敵国に
なったせいでしょうか。その後、革命とともに、レニングラードと改称
された、わけではなくて、レニングラードになったのは実はスターリン
時代だったようですが。
ソ連崩壊後の改称でも、てっきりペトログラードにするのかと思ってた
のですが、どういうわけか、サンクト・ペテルスブルクにしてしまったん
ですねぇ。

視点にちょっとでているインディ・ジョーンズも若き日には十月革命直前の
ペトログラードで活躍しているのですね。しかしまぁ、インディ君も、
少年時代にはウィーンでフロイトと出会い、長じてはアフリカで
シュヴァイツァー博士と出会い、その後ペトログラードで革命家たちと
出会い、と、これでもか、というほどいろんな事件に首を突っ込んでますね。
かれに匹敵するのは「獅子の時代」の平沼銑次くらいじゃないでしょうか。

>元外相など

最悪のタイミング、っていうのはまさに同感です。いずれ切らざるを得ない
にせよ、ここで切る、っていうのはいかにもまずいですね。
支持率下がって改革も進まないまま、ずるずる引きずる、っていう流れに
なりそうな気がしますが。

野次馬的興味としては、直接には(たぶん)関係ないですが、ツルネン遂に
国会へ、というのが気になります。ずっと次点、っていうのが義侠心を
刺激するし(河野洋平と同じ選挙区だったりしますし)、去年の夏には
選挙演説してる所に偶然出くわして、思わず握手してしまいましたし。(^^;



#2337 
徹夜城(あちこち多様なページをとびまわっていた管理人) 2002/02/01 00:26
いま、大受けしました。

>ひろさわさん
いや、ホント、いまモニターの前で大受けしてましたよ(笑)。そう見立てれば似てなくもない。「功臣」を自己保身のためにバサッと切ったというところでしょうか。
「新政を続けるためには止むを得なかった」というところなんでしょうが、それが政権の崩壊の始まりであった、なんてことになるとなおさら似てきます。
しかし鈴木宗男議員が足利尊氏の役どころになってしまうというのは勘弁してください(笑)。それとも阿野廉子のほうかな?

後任に緒方貞子さんを打診しているそうですが、僕の個人的かつやや感情的意見として。
緒方さん、引き受けないほうが身のためです。というか、かなりバカにした話ですぜ、これ。
外務省という役所がどういうところかは今度のことでよく分かったわけですし、その本質はまるっきり変わってない上に鈴木宗男議員みたいな族議員が依然影響力を持ち続けている役所のトップになれってことでしょ。それでいて「うまくやってください」というニュアンスの言葉ばかり出てくる。ということはこれ、要するに「真紀子おろし」をカバーする広告塔になってくれってことですよ。実のところ緒方さんに何かやってほしいという気はさらさら無いんだと感じます。
…だいたい一回打診して断られたから真紀子さんにしたってのに、その真紀子さんを更迭してまたもとの緒方さんに頼むってのがそもそもバカな話。

緒方さんも相当迷ってるようですね〜。正直なところこんな情勢で外相になるメリット感じないでしょうからな。でもそこまで頼まれては放っても置けないし、マジで田中前外相の「遺志」を果たす形で外務省改革をやろうという気もあるかもしれない。あえて引き受けてみるかという気もあるかもしれない。だけど、この政権、どうもやばいですよ。年明けまでは僕も案外長期かと思っていたんですが…
今度の更迭劇、なんか「英断」とか持ち上げている人がチラホラいますけど、少なくともこの時期にやっちゃったのは最悪のタイミングだったと思う。辞めさせるんなら昨年のうちにいつでも機会があったはず。よっぽど追い詰められていたのか、小泉さん。なんか最近森前首相がやけに元気に飛びまわってるしなー。四月ごろまた政変でしょうか。



#2336 
ひろさわ 2002/01/31 19:51
短文失礼します

田中大臣の更迭劇を見てると、
なんか護良親王を思い出すのは私だけでしょうか。
小泉首相が後醍醐天皇で。
「いまでは、首相のほうがうらめしい・・・」



#2335 
のよりん 2002/01/31 14:58
曾我兄弟

>「仇討ち」で有名な曾我兄弟なんですが、兄が十郎で弟が五郎
兄の十郎祐成は父が幼くして殺されたが、総領として家を立てねば成らないため祖父の養子分として元服。
そのおりに叔父の九郎祐清の弟分となったので“十郎”
弟の五郎時致は、片諱からもわかるように元服時の烏帽子親が北条時政で、江間小四郎義時の弟分として元服したので“五郎”を名乗ったようです。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/5784/haiyaku/index.html


#2334 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/30 21:00
相討ちなの?ホントに

ムネオさんって、一体、誰が操る鉄砲玉なんでしょう。
自民党が総選挙でイマイチなスコアを出した都度に
「万死に値する」と言い未だにピンピンしてる
あのお方が、操ってるの?
それともカトちゃんっぺ疑惑を回避するための
大煙幕なんでしょうか?



#2333 
徹夜城(だいぶこれで政治ショーがつまらなくなると思う管理人) 2002/01/30 00:51
外相更迭だそうな。

野上次官も更迭、鈴木宗男も議院運営委員長を辞任、小泉さんのことだから「三者一両損」とか言うのかもしれませんけどねぇ。
実質的に外務省高官の完勝という気がしますが。ゴネ得とも言う。田中外相の責任は今回の件に関しては単に「和を乱した」という日本風美学に沿わなかったってだけのことしか無いと思えるんですがね。
この一件では世間の風向きが以前より「真紀子より」になる空気がここ二日ほど感じただけに、両者更迭という結果はちと意外でした。それだけ恐れる存在があるってことかな。



#2332 
ホリ−ハンタ− 2002/01/29 20:46
どうも大袈裟に書く性格で

>モ−グリさん
すいません、私の表現が大袈裟でして、
ロシア軍全員がゴルゴ13だとは思いませんです。
でも、まあ、当時のロシア軍に、
平素も狩猟をして射撃が遺伝的に上手いコサック兵
が相当配属されてたそうですから。
陣地に腰をすえ狙い撃ちとゆう感じの狙撃。
当時、望遠付きライフルが在ったかは分かりませんが。
私が言いたかったのは、当時の平均・ロシア兵の射撃の
腕前が、平均・日本兵より優れていたことです。
まぁ、でも、それだけではロシア軍は日本軍を
壊滅でき無かったのでしょうね。
シベリア以西からの陸の援軍が滞ったあたりから
ロシアの誤算が始まったとか。
この情報を西欧に潜入中の諜報員により
逐一把握して日本陸軍は我攻めを強攻したとかゆう
のを聞いたことがあります。
だから、陸軍の大増援を極東へ送れなくなった
帝政ロシアが苦肉の代案としてバルト海艦隊を
遠回りして派遣して来るであろうことは
日本軍参謀本部は刷り込み済みだったそうです。




#2331 
モーグリ 2002/01/29 14:01
狙撃師団=歩兵師団

>スナイパ−を養成するというのがロシア軍の基本方針
こちらの思い違いかもしれませんが、「狙撃師団」の取り違えではないでしょうか?

ロシア軍やソ連軍では慣習的に歩兵師団のことを「狙撃師団」と呼びます。実態は普通の歩兵で別にゴルゴ13のようなスナイパーの集団ではありません。「自動車化狙撃師団」というものありますが、これも他国の機械化歩兵師団と同じ意味です。



#2330 
五番街 2002/01/29 10:49
ちょっと訂正

>じっさい、萩市でこの「あんの」の発音を聞くと、「三浦のぉ」のように「の」
>の部分に強勢がかかり、所有格の助詞のニュアンスが残っています。そのため、
>「阿武」の読み方は、「あむの」であり、阿武一族の者は「あむの何とか」と
>呼ばれていたことは確実で、「三浦のォ」と同様に、「あむのォ」と呼ばれて
>いたことも考えられると思うのです。

この部分の「あむの」を「あんの」に訂正します。



#2329 
五番街 2002/01/29 10:32
「の」の問題(これで打ち止めにします)

>「三浦の」「土肥の」の話を受けての五番街さんの書き込みですが、
>少々「の」の取り上げ方にズレがあったと思うのですよ。海音寺
>潮五郎の話は「三浦の○○」という名称の話ではなくて、日常的な
>呼び方についてのことだと思うのです。鈴木小太郎さんが
>「全然別の話」とお書きになっているのはそのことだと思われます。
(徹夜城さん)

このように徹夜城さんがお考えになるのも、ある意味ではもっともなことだと思うのですが、私の発想としては、本姓の「平何とか」を「平の何とか」とか家名の「那須何とか」を「那須の何とか」と呼び、そして三浦何とかを「三浦のォ」と呼びかけるのも、全てこの「の」は「何とか一門の」、「何とか家の」、「何とか地域・場所の」などの広い意味での出自を示すものであり、基底の部分においては意味が共通していると考えています。特に、「平」とか「源」の本姓は、ちょっと最近の言い方を借りて言えば、近畿天皇家の制度に過ぎず、この勢力あるいは影響力が乏しかった地域、時代では通用しない規則ではないだろうか、と思うのです。

従って、本姓に「の」をつけることと、家名に「の」をつけて読むこと、さらに、「何とかのォ」という呼びかけは、【これは全然別の話ですね】と、簡単に断定できるものかどうか疑問に思っています。

そこで、実例を挙げて説明します。

大相撲の年寄名に「阿武松」というのがあります。これは「おうの松」と呼ぶそうで、そういえば、数年前にテレビの解説に「阿武松親方」が出ていましたね。相撲本によりますと、毛利藩お抱えの力士のなかで最強の者に与えられるしこ名がこの「阿武松」で、それが年寄名として残ったそうです。

この「阿武」は姓として使われており、女子柔道の選手で「阿武教子」がいて、この場合、「あんの・のりこ」です。

「阿武」を「おうの」と呼ぶべきか「あんの」と呼ぶべきかを考えてみると、まず結論を先に言えば「あんの」です。おそらくは、江戸(あるいは明治以降の)相撲界で「阿武」の読み方がほとんど分からなくなって、「おうの」だったらしいとか、「あんの」とは読めないために、何となく一般的に親しみのある「おうの」という読み方に変化していったと考えられます。「あんの」がもともとの読み方と考える理由については、以降の私の説明を呼んでもらえればお分かり頂けるものと思います。

さて、「阿武」は、通常の読み方では「あぶ」であり、「あむ」ということも考えられますが「あんの」とは読めません。そのため、この姓を名のる人数は「海江田」や「阿川」と同程度なのですが、非常に珍しい名前に感じられるようです。平安時代に編まれた古今著聞集には、「周防の国司阿武何某」という記述があり、祖先は神話時代の景行天皇の時代まで遡ると言われています。そして萩市の近くの阿武郡福栄村(ふくえいそん)には現在でも阿武の苗字を持つ者が多く、この村が阿武一族の本拠地であったと考えられます(このあたり、詳しく調べたことはないのですが)。

一方では阿武は、現在の萩市周辺のあちこちに地名として残っていて、たとえば「阿武町」(旧阿武村-あぶそん)があり、「阿武松」は萩城周辺の松林の名称です。他にも、大阪と京都の境の山に「阿武山」(あぶさん)があり、阿武隈山系、四国のある村には「阿武」と呼ばれる地域があるそうです。なお、阿武山の古墳は藤原鎌足の墓という説が有力ですね。

こうした点から、古代において「阿武」は特定の特徴をもった地域、地形を指していたことは推測できるのですが、具体的にはどんな特徴かは全く分からなくなっています。しかし、この苗字の由来が萩市周辺の「阿武」という地域の名称にあることは間違いないと考えられます。

これを「あんの」と呼ぶにはそれなりの理由があって、まず「阿武」を「阿牟」と表記する古文書が残されていて(実は、この古文書の名前は忘れてしまったのですが)、古代においては「阿武」は「あむ」と呼ばれていたことが分かります。

従って、「あむ」+「の」(あむの)が、「あんの」に変化したと推測されます。つまり、阿武一族の、とか阿武という土地に住む者、という意味での「阿武(あむ)の」の「の」が苗字の一部となって「あんの」となったと考えるのが、もっとも合理的な解釈の仕方であろうと思います。

じっさい、萩市でこの「あんの」の発音を聞くと、「三浦のぉ」のように「の」の部分に強勢がかかり、所有格の助詞のニュアンスが残っています。そのため、「阿武」の読み方は、「あむの」であり、阿武一族の者は「あむの何とか」と呼ばれていたことは確実で、「三浦のォ」と同様に、「あむのォ」と呼ばれていたことも考えられると思うのです。

いうまでもないことですが、この地名に由来する「阿武」は、近畿天皇家の本姓とは無縁でありながら、「の」をともなっているのです。

さて、この「阿武」にはバリエーションがあって、「阿武野」という姓も現存します。この読み方を確認したわけではないのですが、「あんの」と読むことは確実と思えます。あるいは、「阿武」では誰も「あんの」と呼んではくれず、さらに、読み方は正しくとも「阿武野」と誤記される場合がおおかったなどの理由から、自ら「野」を加え「阿武野」として、読みやすくしたものと思います。

そのため、「那須の与一」や「三浦の何とか」も、「那須」や「三浦」という家名自体で「なすの」、「みうらの」という読み方に変化したり、「那須野」や「三浦野」になったりすることもあり得るのではないかと思うのです。

最後になりますが、阿武一族は江戸時代には農民であったと考えられるのですが、この時期に農民も苗字をもっており、正式な場所、文書では苗字が使用できなかったワケですから、阿武という苗字が存続されたとしても、いったい、彼らは通常、どのように呼ばれていたのだろうか、という疑問がアタマをかすめます。




#2328 
Q世代 2002/01/29 04:34
どうにもとまらない

 こんにちは。

>鈴木小太郎さん

 ご教授ありがとうございました。ウェブページの方も読ませていただきましたが、角田文衛氏の“氏と家名”についての解説は分かりやすく、納得のいくものと思いました。
#このやり方に則ると、後年の明智光秀は惟任日向守源光秀ということになるんですね。

 平家物語は語り物ですからなおさらなんですが、あんがい当時の人は、語呂の良し悪しで「の」を入れたり入れなかったりしていたのかなぁとも思います。地名や官職名ががそのまま家名になってゆく過渡期(というには長い期間のようにも思いますが)にあって、「の」は混在していたのではないでしょうか。

 時代劇や歴史ドラマで生きた会話を作ろうとするときに、通称を呼び合うというのは個人的にツボですし、この辺の教養はシナリオの新たな切り口になると思うんですよね。

>スズメ♂さん
>柳田説

 そういえば藤原秀郷は田原藤太と呼ばれていますね。源義平は悪源太。梶原景時は平三ですし、三浦義村は平六が通称です。吉や勘になるとちょっと具体例を思い出せませんが。
 根拠レスと言いきるのもなんですし、眉に唾をつけて考えるとしても、例えば歴史小説を書く人が、架空のキャラクターや通称の知られていない人物に通称をつける必要を感じたときに、手掛かりになりそうな面白い説ではありますね。

>ホリー・ハンターさん

 可児才蔵の“可児”は美濃の地名で、それが転じて家名となったと考えるべきもので、そもそもの語源がなんであれ、“動物名”と言うには無理があるのではないでしょうか。前田犬千代や山中鹿之助は動物名と考えても良いと思いますが。


 武士の苗字については、概略の分かるウェブページがありました。
http://www2.harimaya.com/sengoku/bk_myozi.html

 で、名前の話もそろそろ切り上げようかとは思うのですが、歴史上の人物名についてあれこれ考えたり調べたりしているうちに、以前から疑問に思っていたことをひとつ思い出してしまいました。
 「仇討ち」で有名な曾我兄弟なんですが、兄が十郎で弟が五郎というのは、これはいったいどうしたことざんしょ?

 それではまた。



#2327 
徹夜城(ただいま仕事から帰宅した管理人) 2002/01/29 00:31
日露と輩行とムロタイと

それにしても最近月曜のアクセスがすごいなぁ…やはり「週明けチェック」みたいなもんなんでしょうか。

>モーグリさん。
はじめまして。以前から見てらしたそうで管理人としては有り難い限りです。
さて、乃木希典将軍のことですが、「しりとり」で書いた乃木観については、以前戦史研究者の「+α」さんに指摘を受けたことがあります(「史劇的伝言板」#555をご覧下さい。前世紀の話でございます)。
思えばあれが+αさんがこの掲示板に登場したキッカケでございました。時折登場されますので、この辺は+αさんにご説明いただいたほうがいいかな、と他人任せなことを言っております(笑)。あ、中西豪さんでもいいですが(^^;)
その+αさんがやっておられる「戦史研究所」サイトに乃木将軍無能論への疑義を挙げた文章が掲載されております。もちろん決して有能でもないというところですが。僕もそれらの意見を考慮した上で特別無能とは言わなくなっています。「しりとり」については一度書いちゃった文章を今さら書き直す気も無いということでして。ただ「白襷隊」みたいな精神論的特攻攻撃のルーツみたいなことをやってるあたりは決して評価は出来ませんね。
日本は第一次大戦に学ばなかった、うんぬんは誰かさんの歴史本の受け売りみたいなもんですが、異議がおありとのこと、戦史マニアならずとも大変興味深いところなので是非うかがってみたいです。
陸軍・海軍の航空部隊のことはよく知りませんが、松本零士の短編マンガで海軍のパイロットと陸軍のパイロットが一緒に飛びながらドタバタと喧嘩する、それも戦後の年老いてからもずっと喧嘩しているって話があったのを覚えてます。「戦争に負けたのは海軍のせいじゃ!」「戦争を始めたのは陸軍じゃろうが!」などと喫茶店で喧嘩してるってな話で(笑)。

>輩行字
中国において世代ごとに共通の一文字を持つというのを輩行と言います。今でもちゃんとやってるようで、先日TVでどっかの村から実例を見せてました。あくまで「世代」(というか正確には共通の祖先から何代目、というべきかな)で共通の文字を使うのですね。名前を見ればお互い一族の中の何代目か分かり、自分よりひと世代前の人に対しては目上の人として接しなければなりません。このため自分より年齢が下でも世代が上である人が出てきたりしまして、その場合一応年齢よりも世代が重視されるようです。ただ、都市部なんかではだいぶ崩れてきてるんだろうな。
日本の歴史物を見ているとわかりますが、日本の場合そのときの執権だの将軍だの支配者の名前の一字をもらうため輩行もどきの世代共通の字が出てきます。足利「高」氏と佐々木「高」氏(道誉)もそうですし、確か二人とも親は「貞」氏だったような(道誉の父じゃなかったかも)。高氏の方は後醍醐天皇の一字をもらって「尊氏」となるわけですが、思えば天皇から一字もらった人ってそうはいないのではないでしょうか?
その後の歴代足利将軍の名の「義」の下の文字は室町・戦国時代の武将たちの名前にしつこいほどに登場しますよねぇ。

>「ムロタイ」
今回は自分でも書いていて錯綜しがちでした(^^;)。あんまり執筆時間無かったし。
だんだん面倒になって頼之の徳島地区大会前哨戦(笑)に話をしぼっちゃおうと考えるようになってました。なお、地理関係がわからない方はYAHOOの地図検索で「徳島市」あたりをあたってみると分かるかも知れませんよ。何を隠そう、僕もあれを利用しました(笑)。「八万」という地名が徳島市街地に確認できます。徳島から吉野川をちょっとさかのぼったところにある「土成町」を詳しく見ると「秋月」という地名もちゃんとあります。
アール・ケイさんがお気づきですが(笑)、『真田太平記』を多少は意識してます。それよりも例の『関ヶ原』ですかねぇ。相良さんがお書きのようにこういうとき判断を誤ると実際一家の存亡に関わるわけで、みんな大変なんです。確か六角佐々木の当主なんて判断に迷った挙句ノイローゼになって出家しちゃってましたから。その点やはり道誉はタフでした(笑)。
なお、光厳上皇らが一斉に拉致されるのはもうちょっと先です。そのあたり、この仮想ドラマ最初の山場になるはずです。



#2326 
古屋三日月 2002/01/28 23:57
ムロタイ第3回

●観応の擾乱
この戦いはうっかりきちんと描写してしまうと、
3ケ月分は軽く時間を取られてしまう危険地帯ですね(^-^;
ご苦労が偲ばれます。

でもこの戦、足利兄弟や上杉氏の視点からでしか眺めていたかったので
細川氏視点だとこんなにも直義が遠い人なのだという事が感慨深かったです。

(でも大丈夫、桃井くんや斯波高経が出ている、
その遠くで豆粒ほど直義の姿が私には見えましたわ♪)

あと、個人的に道誉と清氏くんとの絡みにニヤリ。
こんな初期から微妙な対立感情を持たせるなんて、ステキです〜。
道誉はこの時もうりっぱな重鎮だけど、
いつまでも婆娑羅な振る舞いは忘れないで頂きたいものです(^^)

>徹夜城さま
名前があって台詞のない直義の姿に今回も涙は止まりませんが、
基氏はじめ、鎌倉公方が登場すると伺って元気出ました(^^)
頼之が管領になる時、うそ臭いけど基氏推挙説(by「細川頼之記」)を
使って下さるよう勝手に祈ってます(笑)

http://www.anotoki.com/top/index.html


#2325 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/28 21:37
日露戦争

>モ−グリさん
はじめまして。私の住む町に日露戦争の戦没者慰霊碑と
ゆうものが立っております。苔むして刻まれた字も
よく見えませんが、石川の金沢師団へ、我が町の
人々が徴兵されたようです。

ロシア陸軍は、伝統的に狙撃の訓練時間が長いそうで、
スナイパ−を養成するというのがロシア軍の基本方針
なのは、大平原で騎馬民族を待ち伏せ攻撃する歴史と経験
の積み重なった地勢的な理由からだそうで。

旅順攻防戦において日本側に多数の死傷者が出たのは
ヤミクモな日本軍の突撃ばかりでは無かったそうで
ロシア陣地から日本陣地への正確な狙撃によるものも
相当数あったようで。
それと、未確認情報ですが、徴兵された非・職業軍人
の、いわゆる庶民の兵隊さん の方々で将校の無茶な
突撃命令を拒否したり、無理矢理、突撃させられ
引き返して来るところを敵前逃亡として
味方の日本陣地から撃たれてしまった方々も多かったとゆう
話しも聞きます。映画『スタ−リングラ−ド』の
哀れな赤軍下級兵士たちと同じ運命が
旅順攻撃での日本軍にもあったのでしょうか?



#2324 
相良義陽 2002/01/28 13:41
ムロタイ読みました(笑)

光厳上皇・崇光天皇がかっさらわれたのって、ひょっとしてこの時ですか?
うう、日本史関係の資料、全部実家に置いてくるんじゃなかった……。

名前で思い出したのですが、佐々木道誉を京極高氏っていうことはやっぱりないんでしょうか。
六角のみなさんが泣いてます。

まあ与太話はともかく。
観応の擾乱はやっぱり読んでて混乱しますね。ある程度覚悟してたんですが。
人物関係が錯綜するともう……。
系図とか見てると「観応の擾乱で直義方に与し没落」という文字をよく見ます。身の振り方を間違えて没落した人がたくさんいたみたいですね。

http://www.h3.dion.ne.jp/~jtpage/cy/


#2323 
アール・ケイ 2002/01/28 01:56
短信

ムロタイ…『太平記』みたい。いえ『真田太平記』みたいだと(笑)。真田昌幸親子が生き残るためにあっちについたりこっちについたり、息子2人を東西両軍に分けて味方させてたのを思い出しました。戦国の知恵なんでしょうがねえ。

乃木将軍…未だに評価が分かれていますねえ。
最近「AERA」で山縣有朋の再評価をやっているとおもったら、読売西部版(ネットで読めます)ではよりによって頭山満をなんとか評価しようと(笑)してたり、ま、ヒトラーでもビンラディンでもブッシュでも誰でも1つぐらいはいいことしている、と言い張ることは出来る、ということだと思います。
歴史上の人物を評価する時は余程注意しないといけませんねえ。さりとて変な遠慮や配慮があってもいけないし。実に難しいなあ。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2322 
スズメ♂ 2002/01/27 16:42
ホームズ/通字

>徹夜城さん

 「奇岩城」は読みました。確かにあれはヒドイ(^^; ホームズ可愛想。
 色々とあるんですねぇ。ひさびさに読んでみようかな。なにより、もいちど史点、ちゃんと読んどきます。

>貧乏神さん

 名前の一字を共通させる話ですが、あれは従兄弟はもちろんずっと広く及ぶのがホントらしいです。排行表示(字はあってないかも)と言って、特定の先祖から何世代目にあたるかを表示しているのだそうです。
 王族でなくても同様らしく、確か韓国でも、かなり先の世代まで名前のうちの片方の字は決められている、という風習をどこかで読んだ記憶があります。
 日本の場合、最初(平安前期)はその傾向に近かったのですが、定着せず、親子さらには家の通字という文化になった、そこに中国と日本の違いがあるんだろう、という話でした。




#2321 
モーグリ 2002/01/27 15:37
乃木希典は

はじめまして、モーグリと言います。以前からこのサイトを見ていました。

乃木希典のことで質問です。
ここのサイトに乃木希典の話が掲載されていましたが、本当に乃木は無能なのでしょうか?
ここの参考文献は司馬遼太郎の『坂の上の雲』を使用していますが、自分で調べたところ小説に描かれた乃木や第3軍の行動は実際の旅順攻防戦とはかなり違います。

それに第一次大戦と比較した場合、旅順はそれほどひどい損害ではないです。ソンムの戦いでは初日だけで旅順攻防戦に匹敵する6万人の死傷者を出しています。それと比較した場合あの損害だけで旅順を落とせたのは凄いと思いますが。

それとここの掲示板で日本軍が第一次大戦の教訓を学んでいなかったとありますが、個人的にその見解には異議があります。これはいずれ述べたいと思いますが。

>これは空軍とゆう区分の無い旧・日本軍独特ですね?
米軍も第二次大戦まで空軍が無く、陸軍航空隊・海軍航空隊・海兵隊航空隊が存在していました。戦後陸軍航空隊が空軍に昇格しますが、海軍・海兵隊の航空部隊はそのまま残っています。
米軍の場合陸軍航空隊が主力ですが、日本では陸海軍半々です。日本海軍の場合基地航空隊の比重が大きいせいです。
意外に知られていませんが、海軍航空隊の主力は基地航空隊で空母航空隊はあくまで補助戦力に過ぎません。



#2320 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/27 12:40
草食哺乳類は未だしも〜

人間に食われてしまうカニが名前に付いてる
『可児 才蔵』 とゆう侍なんてどうなんでしょうね?
可児は河の児が変化した言葉で淡水系の沢ガニを
意味するとか聞きました。
しかし、この人はシャレ気があったようで自分のカブトに
リアルなカニの飾りを付けるのがトレ−ドマ−クだったそうで、
大阪のカニ道楽の看板みたいなもんで戦場では目立ったそうで。
当時、戦場で目立つとゆうのは重要でして禄、給金をくれる
大将に覚えめでたくするため皆、カブトとかに個性を競ったそうで。
まあ、それを逆手にとり、戦場ではカブトを被らず、
編み笠を被り続けて目立った『編み笠・清蔵』こと伊藤清蔵
とゆう侍もいたとか。(破れ笠刀舟のヨロズヤ錦之介サンみたい)
才蔵にしろ清蔵にしろ戦場で鬼気迫る働きをみせるタイプだそうで
可児才蔵は人に食われるような男では無かったとか。
カニ殿は美濃の侍で、明智光秀の配下だったそうで、
しかし本能寺の変では光秀軍から離脱してて、
豊臣方の明智狩りからは対象外。その後の経緯は
私は知りませんが、関ヶ原では東軍に参加したとか
聞きます。徳川幕府の確立前後まで、ご在命であったとか。

史実かどうか分かりませんが面白い寓話があります。
戦国の荒武者カニ殿も隠居して穏やかな生活を過ごした
頃は、世は戦国雰囲気も薄まり、血気さかんな若侍たちは
宮本武蔵のように1対1の決闘を好むような風潮の下、

茶屋か何かでカニ殿は、或る若侍にインネンを付けられたそうで。
相手はカニ殿を戦国荒武者の数少ない生き残りと知り倒せば
自分にハクが付くであろうと決闘を申し込んだワケで。
カニ殿は茶屋で決闘をしては商売の邪魔であるから
明日早朝、近所の原っぱ では?と提案、若侍はOK。

明朝、原っぱ で若侍が一人待っておると甲冑で槍を
揃えた騎馬隊が迫って来ます。先頭で率いるは
カニ殿。若侍は、あっとゆう間に包囲され
槍ぶすま の寸止め でホ−ルド・アップ。

若侍『おのれ!大人数とは卑怯なり!』

カニ殿は済ました顔で
『されど、我、かような決闘しか知りませぬ。
ギブ・アップなされぬ場合は貴殿の首
召し上げることとなりますが如何?』

若侍『恐れ入りました。』



#2319 
貧乏神 2002/01/27 11:19
名前・なまえ・ナマエ

名前がらみのウンチク話の種は尽きないですね。別冊歴史なんとか
の特集でも、名前関係は定番のネタなんじゃないでしょうか。

四郎次郎とかの名前については、私も
「日本人の名字」(文春新書・武光誠)
だったかで読んだ記憶があります。
中国あたりだと、数字+郎は祖父を同じくするイトコ同士の中での
順番でつけたようですね。というわけで、歴史やお話の中には、
二十三郎なんてのがうじゃうじゃ出てくるようです。
あと、諱の一字を共有するのも、兄弟だけでなく、イトコで共有
という例が多いようですね。皇室なんかだと、(代の数で)同じ世代
はみんな同じ字を使ってたりして。おかげで長子相続の続いた皇族
だと、阿片戦争の頃に既に「溥」の字が使われてたりしますね。
どの世代でどの字を使うかは、あらかじめ陰陽五行説かなんかで
決めてたんでしょうか。
#ちなみにこの辺は陳舜臣の著作からの受け売りですが (^^;;

戦国で動物の名といえば、山中鹿之介でしょうか。ライバルの狼之介
の方は噛ませ犬という扱いのようですが。(ファンの方ごめんなさい)
しかし、やはり草食動物ではいまひとつ迫力に欠ける気がするのは
私だけでしょうか。
とはいえ、繁殖期の鹿って、結構凶暴みたいですけど。あ、闘牛の
牛もそうか。

>戦闘機

日本軍独特、っていうか、官僚主義の産物という気が…
米軍も海軍や海兵隊が戦闘機や攻撃機を持ってたりするようですし。
海軍は空母持ってるから当然といえば当然なんですが。
そういえば、特殊部隊がいろいろある(陸軍にグリーンベレー、
デルタフォース、海軍にシールズ、他にもあるのかな)のも
官僚主義の産物ではないかとにらんでるのですが、ちがいますかねぇ。
さすがに空軍特殊部隊ってのは聞いたことないですけど。




#2318 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/27 08:34
追伸

それと桂 小五郎の寓話が江戸川乱歩さん を刺激したって
感じもあります。桂さん は女装して幕府の検問を突破したって
ゆうヤツ。現存する桂 小五郎=(改名)木戸孝允の写真を見て
成る程、女装すれば現代でもMr・レディで通りそうな優男かと。
変装といえば明智探偵の十八番ですものね?




#2317 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/27 07:24
明智小五郎光秀だったんですかぁ

ア−ル・ケイ様ものすごい情報ありがとうございます。
本能寺の変は、乱歩センセイには織田信長・殺人事件
と映ったのでしょうかね?山崎の合戦で光秀が
死ななかったのだとすれば
『犯人が自らの死を装う』とゆう推理小説の理想も
達成しているわけで、日本史上では、いたく
乱歩さん の創造意欲を挑発するような人物かも
知れませんね?
よく乱歩さん の書かれる描写で
悪役・怪人・妖女は、皆、高笑いして
『フフフフフ、解けるかな明智クン』と言い
明智・探偵をことごとく挑発しますが、私には
乱歩さん のお茶目なとこが、たまらなく好きです。
乱歩さん は隠れ・明智光秀ファンだったかもね。



#2316 
アール・ケイ 2002/01/27 01:16
ネットの森は暗く深い…

えー、私も「明智小五郎=明智光秀+桂小五郎」説は聞いたことがありますが、乱歩本人が言及したことがあるかどうかは分かりませんねえ。ただ、ミステリー評論の世界ではそういうことだ、ということになっているみたいですが。
で、「明智小五郎 光秀」でネット検索していくと、“明智小五郎光秀”なるハンドルの人物が存在することがわかりました(別にどったこともないのですが(笑))。
あと、ちょっと驚いたことは光秀生存説って天海僧正になるのばかりだと思ってたら、光秀生誕の地と伝えられる美山町には下記のような言い伝えがあるそうです。

明智光秀は、天正10年(1582)山崎の合戦に敗れ身代わりをたてて戦死したとみせかけ、ひそかに郷里の(美山町)中洞に落ちのび、荒深小五郎と名を変えて住みました。 そして雌伏すること18年。慶長5年(1600)、75歳のとき関ヶ原合戦に東軍へ参加するため、一族郎党を引き連れて出陣の途中、折からの増水した藪川(根尾川)に溺れて亡くなりました。 
その遺骸を持ち帰り、美山町中洞に葬られました。明智光秀卿の墓は、桔梗塚と呼ばれています。毎年、4月と12月に供養祭が営まれています。

これも“小五郎”なんですよね。全くの偶然なのか、乱歩はこの伝説を知っていたのでしょうか?

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2315 
徹夜城(ただいま史点執筆中の休憩がてら覗きに来た管理人) 2002/01/26 23:41
ルパンvsホームズ(趣味の話なのでやや暴走)

>スズメ♂さん。
そうなんですよねぇ。ルパンはホームズと対決してまして、これがだいたい1901年のことであるというのは前々回の「史点」で書いたことです。
ただ、ご存知の方も多いでしょうが、このルパンシリーズへのホームズの勝手な登場はホームズの作者ドイルの抗議を受け(まぁそりゃそーだという気もします)、やむなくルブランは「Sherlock Holmes」を「Herlock Sholmes」(エルロック=ショルメス)なる人物に改名して登場させ続けることになります。頭文字入れ換えただけですがな(笑)。ちなみにワトソン博士はウィルソンに改名されました。日本の翻訳では面倒だし商売上のこともあるので「ホームズ」のままにしちゃってるわけです。
ルパンとホームズの対決は以下の通り。
「遅かりしシャーロック=ホームズ」(「怪盗紳士ルパン」所収)
…ルパンがホームズの時計をくすねただけで逃走(笑)。痛み分け?
「金髪の美女」(「ルパン対ホームズ」所収)
…終盤のどんでん返し三連発。まぁホームズの勝ちでございましょう。
「ユダヤのランプ」(「ルパン対ホームズ」所収)
…ホームズは事件を解決するが、不幸な結末。あまり後味が良くない一作。
「奇岩城」
…ネタばれは避けますが(まぁ超有名な作品ですが)ホームズの扱いはかなり酷くなってます。
「続813」
…ホームズが謎を解くためにドイツ皇帝に招聘されるが結局解けぬまま帰国。ルパンは全くの偶然で解決してしまう。
どんどんホームズの扱いが軽くなってるのが分かりますな(笑)。

「ルパン対ホームズ」なんか読むと、歴史的なフランス人のイギリスに対する対抗心がいろいろ見えてきて、面白いんですよね。ルパンが「ワーテルローの復讐戦だ!」などと言ったりもしまして、僕は少年時代に西洋史知識のかなりの部分をルパンシリーズで知ったようなものです。「813」もナポレオンが絡むし、ルパンの少年時代の「初仕事」がマリ=アントワネットゆかりの首飾りだったり、あれ読んだだけで随分知識を得たもんだと思ってます。
ちなみに史点でも書きましたが、南洋一郎訳のポプラ社版は少年向けの改訳ですので、それしか読んでない方は完訳版をぜひお読みください。全然違う世界と言っても過言ではないですから。

で、ホリー・ハンターさんが映画の掲示板でお書きになっていたことですが、僕も分からなかったのでここに公開質問みたいに書かせていただきます。
江戸川乱歩の生み出した「明智小五郎」なる名探偵、この名前はひょっとして明智光秀と桂小五郎を分解・合体させたものではないのか(なんだか島田荘司の『占星術殺人事件』みたいになってきました(笑))、という質問です。つまり由来について乱歩は明言してるんだろうか、ということですね。分かる方、おられましたらお書きください。

>「の」の話。
「三浦の」「土肥の」の話を受けての五番街さんの書き込みですが、少々「の」の取り上げ方にズレがあったと思うのですよ。海音寺潮五郎の話は「三浦の○○」という名称の話ではなくて、日常的な呼び方についてのことだと思うのです。鈴木小太郎さんが「全然別の話」とお書きになっているのはそのことだと思われます。鈴木さんも即ツッコミを入れる形ではなくもう少しその辺を説明した上で指摘されたほうが良かったように思うのですが。



#2314 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/26 22:09
江戸川乱歩

あんまり読んでいる方では無いですが、
個人的には『黒蜥蜴』にハマリましたかな?(苦笑
聞いた話しでは、美輪明宏サンは故・三島由紀夫 氏
と演劇『黒蜥蜴』で共演なされたとか。
もちろん美輪サンは怪盗・黒蜥蜴の役、
三島由紀夫 氏は女王?黒蜥蜴の下僕の役(苦笑
だったと聞いておりますが。



#2313 
スズメ♂ 2002/01/26 21:52
山嵐・ルパン・名前のこと

>徹夜城さん

私、高校の体育の授業に柔道がありまして(女子が家庭科の時間、男子は武道をしてました、むかし)、その時の先生が「山嵐」も教えてくれました。
ウロ覚えですが、とにかく投げ技で、ふつうは相手の向かって右の襟を(右手で)つかむのに、この技は逆の襟をつかむ、というところまでは確かです。
なつかしい。

ルパンが明智小五郎と対決したのも読みました。むかし、江戸川乱歩はハマリましたから。
いっぽうのルパンはホームズとやってますよね(ルパンの中で)。
そのホームズ(というかコナンドイル)については、『漱石事件簿』(古山寛/ほんまりゅう)という、ハードカバーのコミックスが新潮社から出てますが、ごぞんじですか?
ドイル・漱石・熊楠・外骨・乱歩といった有名人から二山久・伊藤晴雨まで登場する面白い作品です。

>みなさん

「小太郎」「四郎次郎」等々のことですが、確認しました。
ちくま文庫『柳田國男全集』20の中の「名字の話」です。明治44年初出の文章なので、現代にどのていど認められているかはわかりませんが…。

同じ「名字」の中に、こんな話も入っていました。面白いので紹介します。

--------------

…自分の家の姓によって、源氏の家の太郎なら源太といい、平家の三郎なら平三というのも一つの方法だったのであります。今日行われている名頭というもの、すなわち人の通称の吉というのは橘氏であります。勘というのは菅原氏、弥というのは小野氏、清というのは清原氏、忠というのは中原氏、藤はもちろん藤原氏であります。

--------------

うーん、ここまで来ると、「柳田先生、ホンマですか?」と言いたくなりますが、面白いことは面白いです。




#2312 
鈴木小太郎 2002/01/26 21:34
ウイスキーの町じゃないので

×「余市」
○「与一」

でした。




#2311 
鈴木小太郎 2002/01/26 21:31
続「の」

>Q世代さん
『平家物語』を実際に見ればよかったのに、思い込みで変なことを書いてしまいました。
「那須の太郎助高が子に、余市助宗こそ小兵なれども手はきいて候へ」という具合に、
「地名・家名」+「の」+「通称」は当たり前でしたね。
他にも「北条の四郎時政」とか「佐々木の三郎盛綱」「三浦の和田の小太郎」と
書かれています。
ただ、「地名・家名」+「の」+「諱」は変ということです。


>五番街さん
私の書き方のどこに「トゲ」があるのか理解できません。
もし五番街さんがそう感じるなら、それはむしろ五番街さんの側の問題でしょう。
私は岩倉具視の墓に「源具視」と書いてあったのを見て、ちょっと人名に
興味を持つようになって、たまたまその種の話題が出たから書いてみただけです。
別の人へのレスだとしても、挨拶以外の表現はまったく同じだったでしょうね。



#2310 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/26 18:09
隼は、鳥類、人のみにとどまらず

『隼』は生物、人の名にとどまらずマシンにも名付け
られましたよね?
旧・日本陸軍・戦闘機『隼』というのがあったそうです。
ここで素朴な疑問が。旧日本軍は海軍だけでなく
陸軍も航空機を有してて、生産台数は半々だったとか。
これは空軍とゆう区分の無い旧・日本軍独特ですね?



#2309 
アール・ケイ 2002/01/26 17:03
テレドラ・オフ会帰りの、薩摩隼人のなれの果て(笑)

…の私としては、この話題乗らない訳にはまいりません(笑)。
ネット検索だとか広辞苑でも調べてみましたが、
「新辞林」の記述が一番分かりやすいと思います。

「はやと【隼人】 〔「はやひと」の転〕
(1)古代,薩摩・大隅に居住した人々。敏捷・勇敢なことで知られ,たびたび反乱を起こしたが,8 世紀には朝廷に服属して,宮門の警衛などにあたった。はいと。
(2)鹿児島県の男子の称。「薩摩―」

また、広辞苑には「隼人司(はやとのつかさ)」という官職についての記述もあります。要は古代ローマでもバーバリアンを矯正して兵士や警備兵に使ったというのと同じことを日本でもやってたということなのでしょうか。そこから転じて、「勇壮な男(オノコ)」といった意味にも使われるようになっていったのだと私は考えます。

>「茶屋四郎次郎」の由来
長年の疑問が解けて、便秘が直ったような気分でいます(笑)。
しかし、例えば「三男」の「次男」のそのまた「長男」の「四男」だったら、小泉三郎二郎太郎四郎になるわけですな(笑)。確かアラビア世界だと苗字というのはなくて、歴代の先祖の名を延々と並べてその人物の氏名にしていたんではなかったでしたっけ?

惟任日向守光秀、というのが「本能寺」の時点での彼の正しい呼び方だと思っています。ですので、ドラマでも…
信長「誰の軍勢だ?毛利か上杉か」
森蘭丸「惟任日向守さまの手勢でござりまする」
信長「み、光秀め、裏切りよったな」
…てな会話でないと納得しなかったりします、私(笑)。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2308 
五番街 2002/01/26 15:38
鈴木小太郎さんへ

鈴木小太郎さん、お久しぶりですね。ここは、かつてのレキシンの「ウヨサヨ」じゃあないんですから、トゲのあるような書き方はやめましょう。もっとも、小太郎さんにとっては自然な書き方なのかも知れないのですけどね。

鈴木さんの「那須与一」投稿では、「の」投稿で否定された家名に「の」をつけることは、実はあり得るようだ、ということで、

>海音寺潮五郎氏が、鎌倉頃までの関東の武士たちは、「〜の」と呼び合って
>いたかもしれないと書いていたのを思い出しました。つまり道で出会うと
>「おう、三浦の」「おう、土肥の」と、後のヤクザ物みたいにやっていたと
>いうわけです。

という海音字説が息を吹き返してきた、というところでしょうか。

ところで、
>与一は那須宗隆(なすむねたか)の通称ですけど、確かに「なすのよいち」
>といいますねー。ただ、近世になって歌舞伎などに採り上げられて有名に
>なった人ですから、近世的な言い回しのような感じがするのですが。

あぁ、そうなんですか。私は平家物語の昔から「那須の与一」だったと思いこんでいましたが、平家物語ではそうではなかったんでしょうか。



#2307 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/26 10:10
隼人ねぇ

>相良さん
そうなんですか、そんな大昔から薩摩隼人って言われてたのは
知りませんでした。
でも、『隼人』って名前じしん は九州に限らず全国的に見られ、
昔は結構、人気のある名じゃないのかな?
現代でもダイエ−の寺原隼人って大物ル−キ−がいますよね?
まあ、親御さん はハヤブサのように俊敏に育って欲しいと
願って付けられたのでしょうが、ホンマにハヤブサみたく
150km/h代の速球を投げれる投手として
育ったわけで、名とゆうのは言霊なんですね。

実際、隼人って名は多いです、私の同級生にも
隼人って名の奴が3人いました。



#2306 
鈴木小太郎 2002/01/26 02:23
那須与一

>Q世代さん
>那須与一は「なすのよいち」ですし、熊谷次郎直実は「くまがいのじろうなおざね」と呼ばれていたような記憶があるのですが、

こんにちは。
与一は那須宗隆(なすむねたか)の通称ですけど、確かに「なすのよいち」といいますねー。
ただ、近世になって歌舞伎などに採り上げられて有名になった人ですから、近世的な言い回しのような感じがするのですが。
それと、私は「くまがいのじろう」という言い方は聞いたことがないのですが、あるいは歌舞伎などでそう言うのでしょうか。
今は手元に資料がないので、後で何か分かったらお知らせします。
ちなみに私が書いたことは角田文衛という学者の単なる受け売りです。
角田文衛氏は徹底的に「本姓+諱」にこだわる人で、例えば「足利」は家名であって本姓ではないから「足利尊氏」という表現もダメだと言われ、自著では必ず「源尊氏」と書く人です。
当時はそういう表現はしなかったと言うだけではなく、昔の正しい表記を現在でも実行してしまう学者はさすがに珍しいですけどね。

http://www2.justnet.ne.jp/~jingu/just-tunoda-reizeikenorekisi.htm


#2305 
相良義陽 2002/01/26 00:37
お久しぶりです。

戦国武将の名前のお話が出てるのでちょっとレス。

>犬千代
は、戌年生まれだからと聞きました。
>薩摩隼人
は、戦国時代の呼び名じゃなくて、古代九州南部にいた反朝廷部族では?
ハヤトという言葉に当て字したのではないかと思います。

あ、ひょっとして今年初めての書き込みだったりするんですかね、私(笑)

http://www.h3.dion.ne.jp/~jtpage/cy/


#2304 
徹夜城(実は「ルパン」も趣味の一つだったりする管理人) 2002/01/25 23:45
ご指摘ありがとうございます。

>町村さん
ご指摘ありがとうございます。そうですか、「山嵐」は別に禁じ手ではなく単に使われない、とのことなんですね。「禁じ手」と紹介しているHPがいくつかあったのですが…
そういえば昨年やってたセゾンカード(?)のCMで柔道の技が次々と繰り出されるのがありましたが、あれに「ヤマアラシ」が紛れ込んでいた覚えがあります。
それと「ウデヒシギ」。これも勉強になりました。ルブランさん(ルパンの作者)、いい加減なことを書いていたわけじゃなかったんですね、すいませんです(汗)。

ついでなんで連想話でも。ルパンのことです。
ルパンシリーズにチラチラと日本関係のものが出てくることがあるのはホームズシリーズともどもこの時期のヨーロッパの日本趣味が感じられるところですが、さすがのルパンも日本にまで行ったことはありません。モロッコあたりに独立王国築いちゃう話がありますけどね。モロに帝国主義丸出しであります。
このルパンを強引に日本に出張させてしまったのが江戸川乱歩。「黄金仮面」(少年探偵団のやつじゃないぞ)という作品で明智小五郎とルパンが日本で対決してます。ルパンと言えば「殺人はしない」がモットーなのですが、乱歩は本作でルパンに日本人を殺させています。これ、実は非常に興味深いというか乱歩という作家の鋭いところだったと思えるのですね。
先述のようにルパンは「虎の牙」という作品内で北アフリカに独立王国を築いちゃうのですが、その中でルパンは現地住民を平気で殺しています。そう、彼らを殺すのは「殺人」ではないのですね。それなりに人道主義者であったと思えるルブランですが、何の疑問も無くこうしたお話を書いている。乱歩はこのルブランから多大な影響を受けつつ、その無自覚の人種差別意識に気がついた。そこでわざわざルパンを日本まで出張させて殺人を犯させ、明智小五郎にそれを非難されるという物語を書いちゃったわけです。
まぁ「黄金仮面」ってお話自体は完全にルパンシリーズのパクリばっかりで構成されたB級作品なんですが…(^^;)
実は全然更新してないけどこのサイトにはルパンコーナーもありましてね。ちゃんと整備したらこうした話など満載にしてみたいのですが…「史点」でも書いたことですが、ホントにあの時代のフランス・ヨーロッパを知るのに最適のテキストですよ、あれは。
先日というか昨日新たにPCエンジンページを開設したりするんですが(笑)、この調子でアシモフやルパンもちゃんと整備していきたいもんだと思います。
…ああ、でもまた「史点」と「ムロタイ」の締め切りが…(^^;)



#2303 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/25 22:06
動物の名の人々

日本史人物の呼び名で大いに盛り上がってますね?
まとめて『日本人・呼び名の系譜』なる本を書かれたら
どうですか?徹夜城サン。

日本史の人物で動物の名が付いてる人って多いですよね?
特に戦国期では、その傾向が強くないですか?

犬千代〜前田利家の幼名

長尾景虎〜上杉謙信の本名

猫 御前〜或る家康の側室の通称

猿&禿げネズミ〜信長が秀吉に付けたアダ名

可児 才蔵〜美濃の武将。可児は「カニ」と読むそうで、この人は
カニのリアルな飾りをカブトに付けて戦場では目立ったとか。

蜂須賀 小六〜此れは地名、彼が長良川の蜂須賀とゆう名の中州の出身なので。
長い口上を嫌う織田信長は、彼の事を「蜂小」と呼んでたとか。

薩摩隼人〜此れがよく分からない、鹿児島の武士の総称に
なんで、ハヤブサの名が付けられたのか?
やっぱ、関ヶ原での島津軍団の強行突破が当時の
世間に強烈に印象づけられたからかな?







#2302 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/25 21:17
山嵐をしかと拝見

>徹夜城サン
貴重な情報、ありがとうございます。
早速、くだん の山嵐の写真、見に行ってきました。
なんか、よく分からん技ですね。相手の
ひじ関節をかなりねじるような感じで、危険な技な気も
します。とゆうか、襟首を捕まれた場合の必殺技とゆうことで
合気道の技のような感じがしますね。



#2301 
町田玲彦 2002/01/25 20:30
初めまして

初めまして。町田玲彦と申します。
2年ほど前からROMしております。
今回ちょっと気になる事があったので書きこみします。

下で徹夜城さんが書きこまれている話ですが、
「山嵐」が柔道で禁じ手という事実はありません。
危険な技でもなく、使い勝手が悪いから誰も使わないだけです。

「腕ひしぎ(腕挫)」についてですが、
これは肘関節を極める技の総称で、何種類もあります。
足を使う「腕挫脚固」、手を使う「腕挫手固」など柔道ルールで決まっているのは8種類です。
そして、ルール上の制限から難しいのですが、立ったままかける技もあります。
(これも禁じ手ではなく、ルール上反則を取られやすいので廃れています)
だから、ルパンが使った技も寝技とは限らないわけです。

柔道そのものがヨーロッパに伝わったのは1889年。
講道館の創始者である嘉納治五郎が柔道普及のために訪欧したのがはじまりです。
中でもフランスは熱心に取り入れたようで、現在でも柔道人口が日本の倍以上あるとか。

http://members.jcom.home.ne.jp/chivalries/index.html


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