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小手指ヶ原は現在の埼玉県所沢市内。西武池袋線に乗って所沢の2つ先にずばり「小手指」という駅があります。 池袋から所沢まで一気にすっ飛ばし、そこから飯能まで各駅停車の「快速急行」が便利です。上の写真が僕の乗ったやつ。 | ちと見づらいアングルになりましたが、これが小手指駅の南口。特にこれといった特徴もない典型的な郊外ベッドタウン型橋上駅者です。なお漫画「がんばれ!タブチくん」でしばしば出てきたというのは帰宅後に知ったこと。 |
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駅から地図を頼りに「小手指ヶ原古戦場跡」を目指して歩きます。まぁ徒歩30分程度は覚悟しましょう。 途中の交差点にもちゃんと「小手指ヶ原」とあるのを発見。 | てくてく歩いているうちにうっかり目の前を通り過ぎて1キロほど歩いてしまいました(汗)。そのくらいめだたずポツンと建ってるんです。 最寄りバス停が「誓詞橋」、すぐそばに「埋蔵文化財センター」があります。 |
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戦場も広いだろうにどうしてここに石碑を立てたんだろ、と思っておりましたら、説明版の向こうにこんもりとした小さな丘が見えました。 道先案内によるとこれが「白旗塚」。何やら源氏の白旗と関係してきそうなので行ってみます。 | 「白旗塚」の登り口。せいぜい4〜5mくらいの「標高」でしょうか。現地の説明版によると古代の古墳らしいとのこと。「白旗塚」という名前になったのは新田軍が戦場を見渡せるこの古墳の上に本陣を構えたかららしい、ということのようで。だから古戦場石碑も近くに立てられたんでしょうね。 |
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分倍河原駅の駅前ロータリー中央には「新田義貞騎馬武者像」がカッコよく飾られています。一番カッコイイ義貞銅像がここにあるというのは案外知られてないかもしれません。 | 義貞最大の戦功といえば鎌倉攻略ですが鎌倉市としては恨みもあるのか銅像なんか建てませんし、劇的な勝利を収めたこの地に建てるのが順当、ということなのかな。 |
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「分倍河原古戦場跡」の石碑を探して駅周辺をウロウロ…事前に地図で調べていても現地に来るとなかなか…僕はどうも道に迷うクセがあるようでして。 そうこうしてるうちに上の写真のように「鎌倉街道」と電柱にあるのを発見。当然新田軍も鎌倉街道を通ったわけで、あとは簡単でした。 | 分倍河原駅から徒歩10分弱くらい、中央自動車道とクロスしたそばの公園に上の写真の「分倍河原古戦場碑」があります。見れば平成10年と割と最近の建立で、なぜこの地点に建てたのかもよくわかりません。 |
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これが「武蔵新田」駅。「武蔵」がつくのは宮城県に先に「新田(にった)」駅があったためと思われます。 | いかにも門前町風の商店街を抜けるとあっさり「新田神社」に到達。今度は迷いませんでした(笑)。「新田大明神」の旗には家紋の「大中黒」があります。 |
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これが境内。神社自体はこじんまりとしてますが説明版やらアイテムはいろいろと。都会の神社らしく「若者向け」「女の子向け」に媚びた感じも目についたような。ま、神社も大変なんでしょう。本堂裏手に義興が葬られたという塚があります。 | 境内に立つ巨大「破魔弓」。説明によるとゆかりの人物である平賀源内のアイデアで神社で魔よけの弓矢を売り出したのが「破魔弓」の始まりということでこのモニュメントがあるんだとか。この手の有名人の「始まり話」は話半分に聞いておいた方がよさそう。 |