[凡例] 古事記 神話の世界 和銅5年(712年)太安万侶によって献上された日本最古の歴史書。 編纂した。稗田阿礼が暗誦していた『帝紀』・『旧辞』を太安万 侶が書き記し、初代天皇〜第33代天皇までの系譜を記す 古事記 ○八岐大蛇(原文)〜須佐之男の大蛇退治 故所避追而。降出雲國之肥(上)河上在鳥髮地。此時箸從其河流下。於是須佐之男命。以爲人有其河上而。尋?上往者。老夫與老女二人在而。童女置中而泣。爾問賜之汝等者誰。故其老夫答言。僕者國神。大山(上)津見神之子焉。僕名謂足(上)名椎。妻名謂手(上)名椎。女名謂櫛名田比賣。亦問汝哭由者何。答白言。我之女者自本在八稚女。是高志之八俣遠呂智【此三字以音】毎年來喫。今其可來時故泣。爾問其形如何。答白。彼目如赤加賀智而。身一有八頭、八尾。亦其身生蘿及桧榲。其長度谿八谷峽八尾而。見其腹者。悉常血爛也【此謂赤加賀知者今酸醤者也】 古事記 ○八岐大蛇(現代訳1) さて、追放されて、出雲國の肥の河の上流の鳥髮の地に降りました。この時、お箸が河を流れ下ってきました。そこで須佐之男命は、其の河の上流に、人がいると思って尋ね?(モ)とめて上って往くと、二人の老夫と老女がいて、二人の仲に童女を置いて泣いていました。「汝等は誰か」と問われますと、其の老夫が答えて言うには、「僕は國の神です。大山津見神(オオヤマツミノカミ)の子ですよ。僕の名は足名椎(アシナズチ)と謂(イ)う。妻の名は手名椎(テナズチ)と謂う。女(ムスメ)の名は櫛名田比賣(クシナダヒメ)と謂います」 亦、問う「汝は何の理由で哭(ナ)いているのか」。 答えて白(モ)して言うには、「私の娘は、元八人の幼い子がいました。そして、高志(コシ)の八俣(ヤマタ)の遠呂智(オロチ)が毎年来て喫(ク)ってしまいました」「今が来るときなので泣いています」と。 その形は如何かと問いますと、「その目は赤加賀智(アカガチ)の如くで、身が一つなのに、頭が八つあり、尾が八つあります。 亦、身体には蘿(コケ)と桧と榲(スギ)が生(ハ)え、その長さは八つの谷峽と八つの尾根に度(マタ)カがっています。其の腹を見れば、どこもかしこも血で爛(タダ)れています」【此に赤加賀知と謂(イ)うのは、今の酸醤(ホオズキ)なり】 古事記 ○八岐大蛇(現代訳2) こうしてスサノオノミコトは、高天原(たかまがはら)を追い払われ、出雲の国(現在の島根県)の肥(ひ)の河上、鳥髪(とりかみ)という場所へ降り立ちました。すると、この河に箸(はし)が流れているのを見て、上流に人が住んでいるに違いないと思い、たずねて行くと、老人と老婆が、小さな女の子を間に抱いて泣いていました。スサノオノミコトが、「お前たちは、だれだ。」と尋ねると、その老人が、答えました。 「わたしは、この国のオオヤマツミ(大山津見)という神の子で、名をアシナヅチ(足名椎)、妻はテナヅチ(手名椎)、この子の名は、クシナダヒメ(櫛名田比売)と申します。」「お前たちは、なぜ泣いているのだ。」「わたしたちの娘は、8人いましたが、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)が毎年やってきては、食べてしまいます。今、そいつが又やってくる時期なので、泣いているのです。」「そのヤマタノオロチというのは、どんな形の動物なのか。」 「はい。それはもう恐ろしい怪物です。その目は、ホオヅキの花のように真っ赤で、ひとつのからだに頭と尾が八つづつある大蛇(だいじゃ)です。そのからだには、コケや杉やヒノキの木などが生え、その長さは八つの谷と八つの山ほどもあり、その腹は、いつも血がしたたって、ただれています。」と老人が説明すると、スサノオノミコトは、少し考えて老人にこう言いました。 「あなたの娘さんを私の妻としていただけませんか。」「恐れおおいことですが、あなた様はどなたでしょうか。」「わたしは、アマテラスオオミカミの弟です。今、天から降りてきました。」「なんと、それは恐れおおいことです。ならば、わたしの娘を差し上げましょう。」こうして、スサノノミコトは、その娘を櫛(くし)に変身させ、髪に刺しました。そして、アシナヅチ、テナヅチの老夫婦にこう命じられました。 「あなたたち、まず強い酒をたくさん造ってください。そして、家の回りを垣(かき)で囲んで八つの入り口を作ってください。その入り口すべてに、台を作り、その上に酒の桶(おけ)を置いて強いお酒をたっぷり入れておいてください。」老夫婦は、言われたとおりに準備をして待っていると、本当にヤマタノオロチがやって来ました。すると怪物は、八つの桶に八つの頭を突っ込んで、酒を飲み始めました。とうとう怪物は、酔っぱらって、その場にドーンというもの凄い大きな音とともに倒れて寝てしまいました。すこでスサノオノミコトは、持っていた長い剣で、大蛇をずたずたに切り刻んでしまったので、肥の河が血の川となって流れていきました。 しかし、大蛇の尾を切り裂く時に、剣の刃が少し欠けました。これは、おかしいと思って、剣の先を刺し、切り開いてみると、一本の立派な太刀が現れました。スサノノミコトは、これは珍しい変ったものだとお思いになり、これをアマテラスオオミカミに献上されました。これが、後にヤマトタケルが、敵から火ぜめにあったときに、草をなぎはらったということで有名になる「草薙の剣」(くさなぎのつるぎ)なのです。 こうして、スサノノミコトは、自分の宮殿を作る場所をこの出雲の国に決められました。そして、須賀(すが)の地にたどりついた時に、「私は、この地にやってきてから、心がたいへん”すがすが”しい。」とおっしゃって、宮殿を建てられました。それで、そこを今でも「須賀」というのです。そして、初めての宮殿を建てられたときに、そこから雲がもくもくと立ち昇りました。その時に、次のように歌を詠まれました。 や雲たつ 出雲八重垣(いずもやえがき) 妻隠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を(たくさんの雲がわき立つ わたしの宮殿 妻と一緒に暮らすための宮殿を造ろう その見事な宮殿を)そして、アシナヅチの神をお呼びになり、「あなたは、わたしの宮殿の長官におなりなさい。そして、稲田の宮主(いなだのみやぬし)須賀の八耳(すがのやつみみ)の神と名乗りなさい。」と命じられたのでした。 Copyright© Kiku tamio Office 2010
| |