皇祖神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祭る伊勢神宮
      持統天皇4年(690年)



  天孫降臨(てんそん−こうりん)神話で天孫の降臨にあたって太陽の女神・天照大御神(農耕 儀礼)から、この国は、皇孫の子々孫々が永久に納める国であるという「天壤無窮の神勅」が発せられた故に天照大御神が皇祖神とされる由縁である。
 伊勢神宮が、天皇家の氏神として全国の神社に君臨する超然とした位置を確立し、祭儀の制度や社殿が整備されたのは壬申の乱(じんしんのらん)(672)後、文武2年(698)とされる説が有力とされる。約1300年前、天武天皇が定めた「式年遷宮」持統天皇4年(690)に第1回の遷宮が行われ、平成25年10月には第62回式年遷宮を迎える。20年に一度定められた年に古式にそって社殿を新造し、御装束神宝(おしょうぞくしんぼ)を新しく調え、大御神に神殿へお遷り(おうつり)を仰ぐ祭りです。


写真は昭和48年度平凡社ギャラリ-より提供
千木(ちぎ)勝男木(かつおぎ)が美しい伊勢神宮



 【皇位継承】
 天孫降臨(てんそん−こうりん)神話は、始め天照大御神(女神)の子天忍穂耳命 (あまのおしほみみのみこと)を降ろすはずだったところ、孫の邇々芸命(ににぎのみこと) が生まれたので、そちらを降ろした、という。

 ではなぜ・・・・・・子ではなく、孫を降ろしたのか。上山春平の説では天照大御神 は持統天皇。天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)は草壁王子。邇々芸命( ににぎのみこと)(軽太子)は文武天皇に当たるとする説である。 天武天皇が崩後すると皇位継承の有力候補だった大津皇子を叛乱をくわだてたと理由により自殺においこみ、持統は子の草壁王子に皇位 をを譲ろうとしたが王子は若死にし、時の孫の軽太子すなわち文武天皇に譲位した。皇位継承は兄弟相承が原則だったが父子相承の 原則を打ち立てた。


  1. 第39代・弘文天皇(即位がなかたという説!)大友皇子
  2. 第40代・天武天皇(即位:673〜686)
  3. 第41代・持統天皇(即位:686〜697)女帝
  4. 第42代・文武天皇(即位:696〜707)15歳で即位したが持統が後見人


【草岡神社奉賛会】
Copyright© Kiku tamio Office 2007

| HOME |