神仙思想
神仙の論理
当初、神仙は神に近いもので、人間がなることはできないものと考えられていたため、人々はなんとかして渤海中の
三神山(蓬莱、方丈、瀛州えいしゅう)に住むという神仙に会い、長寿の薬をもらおうとした。しかし秦代(BC221~BC206)
ころからは、修行をすれば人間でも神仙になれるという思想が生まれたため、それ以降は、様々な神仙術が生み出される
こととなった。
不老長生は古くから中国人の夢であった。多くの皇帝がこの夢を追い求め、手っ取り早い手段として丹薬を得ようとした。
なかでも秦の始皇帝(BC259~BC210)や漢の武帝(BC156~BC87)の丹薬狂いは有名である。
その背景にはペテン師まがいの方法により皇帝たちを扇動した方士たちの存在があった。
晋代(265~419)の葛洪(283~343頃)が著した『抱朴子(内篇)』には、当時の神仙思想の状況が記されている。なお、葛洪自身は役人であり、その外篇では儒教思想を扱っている。
唐代(618~907)には、道教が優遇されたことを反映し、皇帝や側近のみならず、士人に至るまで神仙思想が広く浸透した。
(ウイッキペデイアフリー百科事典他)
【陰陽思想】は、森羅万象(のすべてを気(を
「陰」と「陽」の二相に還元する思想で陰と陽とは互いに対極の本質を持つが事物に固有の属性ではなく相対的に決まる性質
があるとしています。 陰陽説を天地創世について次のように説明されています。「もともと宇宙は天地未分化の混沌状態」
だったが、やがて軽く澄んだ気「陽」が 上昇して天となり、続いて重く濁った気「陰」が沈んで地となった。
【五行思想】の特徴は、「相生」 (と「相剋」(
という、それぞれの要素同士がお互いに影響を与え合うという考え方である。陰と陽が交合した五つの状態を「木・火・土・金
・水」と分類します。「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず」という関係を『五行相生』
という。「水は火に勝(剋)ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ」いう関係を『五行相剋』という。
この中で木気は最も陽で水気は最も陰、土気はちょうど中間の状態とされます。
【四神相応(】は、天の四方の方角を司る「四神」の存在
に最もふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢・地相のことをいいます。四方を神獣が守り、時間と色を表すという考え方で、そこ
には気象学、地理学、天文学的な意味も持っています。古代にさかのぼり、唐の落陽・長安の都城制を模して難破京・大津京・藤原京
・平城京・平安京もこの吉相をもってまちづくりされた。南北に朱雀大路を通し朱雀門(南)・羅城門(北)を配置した。今でも家を建て
るときに風水や家相による鬼門は四神相応の思想からきています。
・・・・神社弊殿に祭られる四神旗も”吉相”をもって配置されているのもこの為です。

草岡神社弊殿に掲げる四神旗
| 方角 |
| 東 |
| 西 |
| 南 |
| 北 |
| 四神 |
| 青龍 |
| 白虎 |
| 朱雀 |
| 玄武 |
| 地勢 |
| 流水 |
| 大道 |
| くぼ地・湖沼 |
| 丘陵 |
| 色 |
| 青 |
| 赤 |
| 白 |
| 黒 |
|