日本語名 広州
中国語名 广州
国名 中華人民共和国
・2011年10月23日作成
訪れた日 2007年1月27日
2007年4月15日
2011年7月10日

路地裏に出てカメラを構えると嫌な視線が気になった。同行している日本人は、「怖いから早く離れよう・・・」という。そしてレストランに入ると、閉店前だったので、受け入れをした人が怒鳴られ、これもまた嫌な感じ。ただし、受け入れしてくれた人は少しばかりの英語を話し、愛想は良かったが、それは彼女だけに限定したもので、店の雰囲気は良くない。それが2007年に初めて広州を訪れた時の経験だった。印象は最悪だった。

広州は中国第三の都市である。香港からの直通列車もあり、香港との結びつきも深い。香港の隣町の深圳が出稼ぎ者の街で、広東語が全く使われていないのに対して、広州は広東語が日常語として使われていて、不思議な気がする。これは、広州が歴史のある街である事を示しているのであるが、最近は政府の普通語普及政策の影響で、急速に広東語が失われつつあるそうだ。私が訪問した時は、庶民が利用するスーパーなどでは広東語で買い物が出来たが、若い人には広東語が話せない人もいるという。いずれ中国本土での広東語は滅びるのではないかと思う。

最初の訪問は、旅なれない人との珍道中だったが、再度、ひとりで訪問して、一通り観光地を巡ってみた。当時は地下鉄がまだあまり無く、移動がとても面倒であったが、少し中国にも慣れてきたのか、あまり怖さは感じなかった。歴史ある街で、歴史を感じようと、越秀公園を訪れ、広州のシンボルの五羊石像を拝見したり、中山紀念堂も訪れてみた。中国の公園はとにかく大きい。古い建築物も大きく荘厳である。しかし、一番印象に残ったのは、何かのイベント会場の外で「日本語で通訳します」などのプラカードを持った若者達。勿論、有料で、アルバイトなのだろう。その数、積極性、ちょっと圧倒されてしまった。

広州は、それから時々プライベートで訪れる事もあったが、その間に地下鉄は恐ろしい勢いで伸びて利便性が増した。近代化は進んでいるが、中国は何処に行っても同じ景色になってきた。独自性の文化が失われつつあるような気がする。そして、やはり「広東語使用制限への抗議集会」が行われた事自体異常だと思う。


広州駅。こちらの方駅だとが街の中心だと思うが、国際列車も高速列車の殆どは、隣の広州東駅に到着する。初めて訪れた頃は地下鉄で遠回りしなければ、広州駅に辿り着けず不便であったが、5号線の開通以降、比較的短時間で両駅が結ばれるようになった。また、数は少ないが、広州駅を起点とする深圳行きの高速列車もあり、利用した事があるが便利だった。すべて広州駅発にすれば良いのに・・・と思う。
こちらが広州東駅、国際列車と深圳への高速列車の起点となっている(前述の通り、一部広州駅発はあるが・・・)。現在建設中の香港からの高速鉄道と、武漢への高速鉄道は広州北駅が起点となっており、目的地によって駅がわかれている。中心地からかなり離れた不便な場所にある。つくづく日本は便利な国だと思う。
越秀公園の五羊石像(広州のシンボル)と鎮海楼(広州博物館)
総面積約84㎡、園内には人工湖と丘陵があり、石碑なども多い。ボートで遊ぶ人もいる。
こちらは中山紀念堂。中はホールになっていて見学も出来る。
広州はトロリーバスが多い。珠江新城旅客自動輸送系統(APM)・・・何だかわからず訪れてみたが、空港内のアクセスモノレールのような新交通システムであった。
広州塔。スカイツリーが完成するまでは世界一の高さを誇る。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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