えちぜん鉄道勝山永平寺線
|
以前乗車したのは、まだ京福電鉄時代。それから廃止を経て、第三セクターとしての復活を果たしてえちぜん鉄道。福井駅も高架化され、寂れた雰囲気は全くしない。車両も、綺麗になり(とはいえ愛知環状鉄道譲渡車が中心だが)、イメージは変わった。以前は永平寺口駅(当時は東古市駅)から永平寺線に乗り換えたものだが、勝山方面に乗るのは今回が初めてである。
高架駅を出発した電車は福井口駅で三国芦原線と別れ、地上に降りる。そこから先はローカル線らしい走りとなる。永平寺口駅で、ノスタルジックは雰囲気の駅舎を見た時に永平寺線の記憶が蘇った。20年前から時が止まったかのようだった。珍しくなった、電鐘式踏切警報器の構内踏切はあえて残しているのだろうか。
電車は九頭竜川が作った扇状地の水田の中を走ってゆく。朝もやが晴れて、太陽が水を張ったばかりの水田を照らしていた。次第に扇状地は狭くなり、電車は河岸段丘の上を走る。ちょっとした山岳路線の雰囲気である。今日は平日、すれ違う電車は2両編成が多く、学生が多く乗っていた。
2001年に一度は廃止された路線ではあるが、その結果、道路が大渋滞を起こして、鉄道の果たす役割が再認識された。そして、2003年に第三セクターとして鉄道が復活。ただし、永平寺線はそのまま廃止されてしまった。電車は30分間隔で走り、多くの駅で列車交換が行われた。すれ違う電車に、乗客は多く、活気があるようにみえた。折り返して帰る際に、京福電鉄時代から1両だけ残る車両と出会い、撮影したかったが、大勢の乗客がいたのでの撮影する事が出来なかった程である。
終点勝山駅は風情のある駅舎であった。かつては、ここから大野駅まで路線が伸びていたが、国鉄越美北線と競合するので廃止されてしまったのであるが、その越美北線が鉄道としての役割を充分に果たしているとは思えないので、残っていれば良かったのにと思った。
高架駅になり、電車も綺麗になり、ローカル線の雰囲気ではなかった。 | |
三国芦原線との別れてから、ローカル線の雰囲気になった。水田を眺めながらののんびりした雰囲気であった。初夏の朝の雰囲気が気持ちよく、楽しい旅であった。 | |
京都電燈テキ6形電気機関車(1920年製)が保存されていた。折り返し時間が少なかったので、あまりゆっくり見学できなかったのが残念である。 |