越美北線

・2023年3月4日作成
訪れた日 2022年5月2日
 

越美北線の始発に乗ろうとしたら、なんと9時8分の九頭竜湖行きだった。通勤、通学の時間帯も終わっている。時間があったので、この列車に乗るまでに、同一方向に向かうえちぜん鉄道を、勝山駅まで往復してしまった。厳しい状況は知っていたが、ここまで本数が少ないとは思わなかった。

始発駅の福井駅は、高架線の巨大な駅で、長編成の特急列車が行き交っている。その長大ホームの先に切欠ホームがあり、そこが越美北線乗り場である。車両は軽気動車、キハ120の単行。JR西日本のローカル線の定番である。今でこそ、長大ホームに特急列車が行き交っているが、新幹線が開通したら、ここもJRから切り離され、長大編成の旅客列車は見る事ができなくなるだろう。

車内は超満員。ほとんどがレジャー客であるが、外国人の姿もあった。列車は北陸本線を1駅走り、越前花堂駅からローカル線の旅となる。しばらく広大な福井平野を走るが、すぐに足羽川沿いの狭い谷に入ってゆく。谷に入っての最初の駅が一乗谷駅。戦国大名朝倉氏の居城があった場所である。現在は小さな無人駅がポツンとあるだけで、栄えていた時代を想像する事も出来ない。山岳区間を抜け、盆地が開けると、越前大野駅に到着する。沿線最大の中心駅である。

越前大野駅の約10q北にえちぜん鉄道の勝山駅がある。かつては、大野市の中心部まで路線が伸びていたが、越美北線が開通した後に廃止された。現在の越美北線の状態を見ると、えちぜん鉄道が大野市の中心まで伸びていた方が良かったのではないだろうか。そして、越美北線の存続は保証されていない。この駅を出ると、スタフ閉塞式区間となり、運転手はタブレットを駅員から受け取って出発する。懐かしい光景である。

柿ケ島駅より再び狭い谷に入る。並走する川は九頭竜川である。1972年(昭和47年)開通の比較的新しい区間で、谷を忠実にトレースする事なく、長大トンネルで山間部を貫く。スノーシェードでつながった白谷トンネル(809m)、荒島トンネル(5,215m)を抜けると、越前下山駅に到着。駅を出ると、すぐに下山トンネル(1,915m)に入る。やがて終点の九頭竜湖駅に到着する。山を貫いて、中京方面を目指し、越美南線(現在の長良川鉄道)と接続し越美線になる計画があったが中止されてしまった。現在、この区間を走るバスも廃止され、岐阜方面に抜けるのは難しい。


近代的な高架線に乗り入れている軽気動車。北陸本線との分岐は越前花堂駅であるが、直前に分岐するので、北陸本線のホームとは別になっている。

下の一条谷駅は、かつては城下町であったが、今は静かなな水田地帯。付近に一乗谷朝倉氏遺跡博物館があるが、アクセスに気軽に利用できる運転本数ではない。
列車は足羽川を7度渡る。2004年の豪雨で、5つの橋が流失してしまったが、3年後に復旧した。
沿線に植えられたタイムが美しかった。
越前大野で乗客の大半が下車した。今年の3月までは「みどりの窓口」もあった越美線最大の駅であるが、なにしろ越美線の運転本数が少なすぎる。

ここからスタフ閉塞式区間となる。タブレットを受け取って進行する事になるが、この光景はもう日本ではほとんど見る事ができなくなってしまった。
沿線の川は九頭竜川本流となる。トンネル掘削技術が進んだ近年に開通した区間なので、列車は川沿いを走る事なく、トンネルで山をぶち抜き、川は高い橋梁で乗り越えてゆく。
終点九頭竜湖。途中で下車客があっても、ここまで座る事は出来なかった。ほとんどが観光客で、そのまま折り返し乗車していた。

また、隣接する道の駅は観光客が多く訪れており、とてもローカル線の末端だとは思えない賑わいであった。

駅業務は委託されていて、記念に切符を買う人が多かったが、完全無人化の方針だとか。
盲腸線なので、来た道を戻るしかない。

早めに並んで、なんとかロングシートの席に座る事が出来た。帰路も満員状態で、今度は景色を楽しむゆとりはなかった。


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


back