●岐阜市内線

・2005年8月20日 作成
訪れた日 1986年8月11日
2000年9月 3日
2005年3月27日

「初めて乗ったね」などと言う声が満員の車内に聞こえる。廃止日までカウントダウンが始まった週末。車内は名残乗車の家族連れ、地元の人々ですし詰めだった。写真を撮っている鉄道ファンを冷やかしながら、「乗ったことない」などと呟く若者たち。新岐阜駅前では乗客が道路に溢れ、係員が規制を行っていた。まるでアミューズメントパークの乗り物のような様相を呈していたが・・・。

岐阜市内線は名鉄の路面電車の事であり、正確には岐阜駅前〜忠節間の3.7q区間である。徹明町〜競馬場前は美濃町線に含まれるが、純然たる路面電車という事で、雰囲気的には岐阜市内線のような感じだった。岐阜駅前(JR)〜新岐阜(名鉄)の1区間は休止されたまま廃止の日を迎えた。

初めて乗ったのは、揖斐線に乗るために乗った時だった。揖斐線もそうだったが、室内灯が白熱灯のオレンジの優しい光に包まれた古い電車が印象的だった。80年代後半だったが、当時でも相当な老朽電車が主力であった。

岐阜市内線の印象を強烈にしたのが、2000年に乗った時。停留所が道路の真ん中にあり、段差も、安全柵も無く、電車を待っていると自動車に轢かれてしまいそうだった。こんな危険な状態を放置していて良いのだろうか? そんな疑問が沸いてきたが、その答えは5年後にハッキリした。

シャッター街の岐阜駅前。クルマ優先で路面電車を廃止に追いやった岐阜市。公共交通機関を追いやれば、郊外のアウトレット店へ客足が向く傾向が加速するのは当然。全国的に路面電車が見直されている昨今、市議会で路面電車廃止を決めた岐阜市は冷たかった。安全地帯の無い危険な停留所。今時めずらしい軌道内の自動車通行許可。極めつけは、1988年、中部未来博覧会開催時、交通の邪魔になるという理由で、路線の縮小を迫った。

それなりの運転間隔で、明らかな閑散区間という程ではなかった岐阜市内線。それが廃止されるのは名鉄だけの問題かと思ったが、岐阜市の冷たい態度がマスコミでも報じられていた。岐阜市民でない私は何も言う権利は無いが・・・。

徹明町で
競馬場前で
左折車に轢かれそうになった(ドライバーが逆ギレ)
電車待ち
電車に乗り降りも命がけ
徹明町。雑居ビル内の待合室が印象的だった。
チンドンヤと路面電車


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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