●舳倉島

・2003年4月14日  作成
訪れた日 2003年3月22日
 

「島の石を持ち帰ると、不幸や災難に襲われると言い伝えられています。そのような事のないように注意してください」船のアナウンスは恐ろしい事を伝える。一体、私は何処へ連れてゆかれるのだろう。船から降りた一般客は私ひとり。1週4qの島を歩いたが、売店も自動車も無い、島の中央に聳える灯台以外に近代的な建物は無く(学校も木造だ)、石垣の防風壁に囲まれた番屋のような木造の建物がポツポツあるのみだった。港付近の集落を見ていると、大昔の漁村のような雰囲気が漂っていた。21世紀を迎えた日本に、このような時代に取り残されたような場所があった事に驚いた。海女さんの運転する三輪自転車を時々見かける以外、人の姿もなく、その秘境ぶりは山口県の「見島」を凌ぐものがあった。

離島ファンとして憧れの舳倉島。この島の存在を知ったのは相互リンクを張って頂いているサイト「股旅」さんより得た情報だった。鉄道と同じくらい、それ以上かもしれない・・・くらい好きな離島訪問。正直言って、能登半島を代表する「輪島」から船で1時間30分程度の島だから、噂ほど秘境ではないと思っていた。それに、能登半島は関東在住者にとっては遠すぎる。無理と思っていたが、3月の3連休の直前、福井への出張が決まった。すぐに思い浮かんだのは「舳倉島」。しかし、福井はおろか、金沢に泊まっても舳倉島に行く一日一往復の船に間に合わないと判った時は愕然とした。

出張先から能登半島の七尾に向かった。友人宅にに泊めてもらった翌日、「輪島」に泊まる。朝市を冷やかして「舳倉島」航路の乗客となる。船の中には海運関係者と思われる人はいたが、島民や観光客の姿は無く、3連休だから多少は観光客がいると予想していただけに驚いた。周囲4qの小さな島は絶海の孤島と呼ぶに相応しく、真っ平な島は日本海の海風を防ぐ自然の手段を持ち合わせておらず、石垣の高い防風壁が目立つ。

人口250名といっても、この島は海女島で、漁が出来ない時期は人口が激減するとか・・・。昔は、漁のシーズンしか人が住んでいなかったらしい。島にはやたら神社が目立ち、地図に載っているだけで7つある。灯台が無かった時代に目印を・・・という事で積み上げたケルンが多く、ある意味不気味。それだけ真っ平な島という事。

「舳倉島!? 何しに行くの?」と七尾の友人にも驚かれたが、確かに観光地ではない。地元の人も行かない。渡り鳥にとっては大切な休憩場という事で、バードウォッチャーにとっては人気スポットらしいが、それでもガイドブックに載る程ではない。日本にまだこのような場所が残っている事に正直驚いた。泊まってみたいとも思ったが、定期的に商売している売店も無く、余所者が長時間滞在できる場所ではなかった。

真平な島の中央に聳える灯台
このような素朴な神社が多い
草原と神社。島の裏側はこのような光景が続く
ケルンと灯台。役割は同じ
集落の様子。21世紀とは思えない
憧れの舳倉島灯台


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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