小浜線
|
大時化の日本海でロシアのタンカーが破断事故を起こし、原油が北陸の日本海沿岸を埋め尽くした事故があった。この時、ボランティアで海岸清掃が行われた。この時のボランティアの活躍は凄いものがあった。そして、重たい原油をスコップですくい、捨てて、またすくって捨てて・・・。気が遠くなるような作業を延々と続けたが、なんとかしたいと思うボランティアの人達の熱意は凄かったし、正直言って感動した。そして自分が偽善者のような気がして恥ずかしくなった。1997年冬の事であった。
その時の朝、はるばる夜行急行の「能登」を使って敦賀駅に辿り着いた。ボランティアの集合は敦賀駅前だと思っていたが、美浜駅に変更されていた。途方に暮れていると小浜線に急行列車がやってきた。2両編成のディーゼル急行であったが、今思えば、急行「わかさ」だったと思う。ゴツゴツした走りで、当時でもえらく老朽車両だと思った記憶がある。
そして、2003年、小浜線は電化され、新型車両が運用を開始した。鄙びた総延長84.3qの非電化ローカル線だったが、急に利用客が増えた訳ではない。優等列車が乗り入れて来るわけでもない。ちなみに風光明媚な若狭湾沿いを走るが、14基の原発(廃炉も含む)が並ぶ原発銀座としても知られている。小浜線電化については、沿線の電力会社から多額の寄付を受けている。
当時の新型電車もデビューから20年近くたっているが、老朽ディーゼルカーと比べて綺麗に感じる。電車なので走行音も静かであった。沿線の海岸風景を楽しみにしていたが、案外、海沿いを走る区間は少ない。そして、生憎の天気であった。美浜駅は観光地の入口であるが、駅は立派だが、乗客の姿は疎らであった。
ここから暫く内陸部を小浜駅まで走る。小浜駅は、沿線最大の拠点である。駅も2面3線の立派なものである。美浜駅同様、観光拠点としての雰囲気はあるが、列車は観光客よりも地元客の方が目立っていた。ここから先は、若狭湾に沿って走る。日本海沿いのリアス式海岸が続き、半島などが島のように見える。この付近が小浜線の車窓風景の白眉であろう。
沿線の住宅も増えてきて、敦賀口よりも賑やかに感じるが、観光輸送は高速バスに奪われ、定期優等列車も運転されていない。多少は乗客が増えて終点の舞鶴に到着したが、何の為に費用をかけて電化したのか私にはわからない。現在、小浜線の廃止の噂すら聞こえてくる。
単行列車も多いが、乗車したのは2両編成の電車だった。2ドア車であるが、中間にドアを増設できるような構造になっている。妙な空間になっていて、中途半端感がある。 | |
美浜駅、小浜駅と主要駅は、立派な雰囲気がある。長いホームにかつての繁栄の歴史を感じる。 | |
大島半島を結ぶ青戸の大橋。この橋は原発建設のために作られたが、無かった頃は、半島の端に行くには小浜湾を大きく迂回する必要があった(左)。 若狭本郷駅には花博で走っていた義経豪のレプリカが保存されていた(左下)。 敦賀の少し手前の若狭高浜駅は大きな駅であった。敦賀口よりも、活気があるように感じる(下)。 |
|