●新垂井駅跡

・2006年4月23日 作成
訪れた日 2005年5月14日
 

ちょっとした都会、大垣を出て普通の水田地帯を車で行くとその駅はあった。東海道本線の廃駅「新垂井」。放置された長いプラットホーム、撤去された線路跡、草に覆われた駅舎跡・・・。しかし、すぐ横の通過線は残され、レイルは光り、この路線が現役だという事が判る。全くの人煙稀なる所ではなく、適度に民家もあるのに廃駅とは・・・。

雪で有名な東海道本線の関ヶ原。急勾配区間が存在しているため、戦時中の1944年(昭和19年)、下り列車専用の迂回線が作られた。通称「新垂井線」の中に設置されたのが「新垂井駅」だった。しかしここは市街地から離れ不便だったようだ。結局、下り普通列車の殆どは旧線を走り、「垂井」駅に停車した。「新垂井」駅は下り列車の一部のみが停車する駅となり、晩年は数本しか止まらなかったようだ。そして、「新垂井」駅は1986年(昭和61年)に廃止された。

迂回線は貨物列車や特急列車に有効だったようだが、車両の性能があがった現在、この迂回線の必要は無いであろう。それでも、今も貨物列車と、数少なくなった特急列車はこの迂回線をノンストップで駆け抜けてゆく。誰にも注目されない地味な迂回線になってしまったが、長いプラットホームが、鉄道全盛期、長大編成の長距離普通列車が走っていた事を物語っている。


右側の茂みが新垂井駅跡
駅舎があったあたりだろうか

階段が見える

米原方面を見る
岐阜側


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


back