1990年3月7日
出航。北海道の礼文島もそうだったが、YHは派手に見送ってくれる。しかし、ここではYHでなくても、一般の民宿も、ペンションも、それぞれ派手に見送っている。港では、様々な人が大勢集まって、それぞれ船の上と別れの挨拶をしている。
ここでは海を汚すテープは使わず、1輪の花輪が海に投げ込むのが儀式のようだ。大勢の人が動く船を追って灯台に向けて走る。何でも、港で飛び込む事は禁止されているが、灯台から飛び込む分にはお構いなしだそうだ。そこで、大勢の人が灯台に走って、そして飛び込んでくれた。飛び込む事が別れの挨拶なのだ。
港が遠くなり、手を振る人間の識別が困難になった。父島も、皆ともお別れだ。さらば小笠原‥‥と感傷に浸る間もなく、新しい見送り部隊がやってきた。
軍歌を流し、「おがさわら丸」を追いかけてきたのは「南星丸」ではないか!。さらに小笠原ダイビングセンターの「韋駄天・」など、小型船が次々と「おがさわら丸」を追いかけてくる。これが、小笠原流の見送りだ。
一番、派手だったのは何といっても「南星丸」だ。軍歌を流してやって来たと思ったら、「おがさわら丸」と並走して、スピーカーで挨拶。そして、例のラッパでもって演奏をしてくれた。船では、大爆笑と、割れんばかりの拍手が沸き起こった。そして、さらに船長が、わざわざ操舵席から出てきて、海軍旗の「日の丸」を持ち出して振ってくれた。
他にも、沢山の若者を乗せた小型船が追いかけてくる。乗っている若者達は、最初は、手を振っているだけだったが、突然、全員が海に飛び込んだ。そして手を振って別れを告げた。随分と派手な見送り方だ。
1隻が、そのようにして別れを告げたあと、残るは「南星丸」と「韋駄天・」だけになった。「韋駄天・」も、「南星丸」よりひとまわり大きな小型漁船、といった感じの船だったが、屋根から甲板まで、若者が黒山のように群がっている。そして手をふっている。「南星丸」と違って、スピーカーが無いのでそれが唯一のコミュニケーションの方法だ。 やがて、港の外に出て、二見湾から離れる頃、「韋駄天・」に乗っていた若者が、次々と海に飛び込み出した。それが小笠原流の別れだった。
東京までの船旅について・・・
「本日の太平洋は、低気圧の影響で波が高い見込みです。なお、当船はどんな高波をうけても安全なように設計されていますので、ご心配ないよう‥‥。」思わず、皆笑ってしまったが、冗談じゃない。波はどんなに高いのだろうか?。かえって不安心を抱かせるような放送にビクビクした。
風は半端じゃなく強く、波も相当高かった。最上部甲板にいるというのに、波が降り注ぐ事もある。船の先頭と後方を見比べると、そのゆれの大きさがわかる。相当激しいものだ。この時点で、私が体験した大型船の最高に激しいゆれとなっていた。とても船旅を楽しむどころではなく、皆が船酔いする訳だ。
ドーン!!、激しい衝撃と音がする。船は、普通波にのって、ユラユラ揺れるのが普通だ。しかし、今日だけは、波の頂上から、落下する感じがして、海面に叩きつけられるような音がする。そして、ゆれも、ユラユラに加え、魚雷でも当たったか、座礁でもしたのかと思われるような、堅い衝撃もあった。まるで、ジェットコースターに乗っている感じだったが、本当に落下する時の、フワッとした無重力状態だけは勘弁してほしかった。
「おはようございます。現在の航海状況をお知らせします。只今、当船は○○沖を午前零時に通過しまして、現在位置は八丈島の沖、○○・を、速力16ノットで航行中です。なお予定時刻より大幅におくれております。東京竹芝桟橋到着は午後6時20分頃の予定出す。(1時間20分遅れ)現在、海上はごらんのような状態ですので、レストランの朝食営業はいたしません。かわりにお弁当を作って、皆様の席までお届けにまいります。」
東京湾に入り、やがて横浜ベイブリッジが見えてくる。その頃になるとそろそろ夕方の雰囲気になりつつあった。本当に良い天気になった。空には雲ひとつなく、海は穏やか、風もそよ風程度。こんな天気が最後にきてあるというのも、なんだか悔しい。
羽田沖を通過する時には、完全に夕方だった。空は赤く染まり、その夕日の向こうに、飛行機が離着陸してゆく。羽田空港の奥には、大東京の高層ビルが、シルエットとなってそびえている。
赤い夕焼け空に、シルエットとなっている、飛行機、ビル、クレーン、コンビナート、工場郡。東京がこんなに美しく見えたのは初めてだった。いままで自然美ばかり追い求めていたが、こうした都市の光景も捨てたものでない。また、超ど田舎から、こんな大都市に戻ってきた事がなにか信じられなかった。
小笠原をそのまま乗せて、東京に着いた「おがさわら丸」だが、港からは、バラバラになってそれぞれの帰路につく。長くて10日以上行動を共にした人達ともお別れだ。港で名残を惜しむ。皆との別れは辛い。しかし、出会いの数だけの別れがあるのだ。