1990年2月26日
三日月山までの道は小さなハイキングコースといった感じ、さすが亜熱帯、樹木、植物とも本土のものとは全然違う。亜熱帯に来るのは初めてで、見るもの聞くもの全てが珍しい。そして、南国の夕方は、静かで、ロマンチックで、ものすごく良い雰囲気だった。途中にあった休憩小屋も、柱が数本立っていて、屋根は上に草を乗っけただけの単純なものだが、これがまた南国情緒を感じさせる。しかし、その向こうには第2次世界大戦、太平洋戦争の時の洞窟がそのまま残されていて不気味。
ここからの展望は、ちょうど父島の二見港のある集落(殆ど唯一の集落と言っても良い)大村が見渡せる。父島の人口は約1000人。小笠原丸の定員とほぼ同じだが、ここにその殆どがひっそりと集まって住んでいる。その大村の集落は、西日をあびて静かにたたずんでいた。小笠原丸が、唯一の交通手段という事は、小笠原丸によって生活物資の全てが運ばれてくる事になる。すなわち、小笠原丸を中心に、小笠原の生活は成り立っている。ここで、二見港の集落を見渡すと、本当に、停泊している小笠原丸を中心に集落がひらけているのが判る。