●石見銀山
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大田市駅は特急列車も発着する比較的大きな駅で、観光案内所もあり、世界遺産の入り口としての風格もあった。しかし、駅前は寂れて物悲しかった。また、山陰本線といっても、私が乗って来たのはバス級の単行小型ワンマンカー、乗客は僅かで、観光客の姿は無かった。石見銀山行きのバスにはまだ時間があった。早速観光案内所に行き、バスの時間と見所の確認を行う。とても親切にアドバイスをしてもらい、地元を見て欲しいという思いを感じた。
石見銀山が世界遺産に登録された時、何処? と思った人は少なくなかったと思う。私も知らなかったが、今まで訪れる人も稀だった所が脚光を浴びる事になった。今の日本では、駅と観光地を結ぶバスは何処もガラガラな事が多いのだが、私が乗った石見銀山行きはほぼ満席。しかも若い人が多い(女の子のグループが多い)。ブームは本物なんだと認識した。
30分弱で石見銀山の中心地に到着する。圧倒的に車で来る人が多いが、車の乗り入れが禁止されているので、人の多さと比べて落ち着いていた。石見銀山は街並みが評価されて世界遺産に登録されており、その雰囲気は岐阜の妻籠・馬篭に似ていた。まずは銀山地区と言われる山間に入る。レンタサイクルも脳裏をかすめたが、遊歩道を歩きたかったので徒歩で行く。歩道から外れ、清水沢精錬所跡を見学する。1894年(明治27年)に完成した銀の精錬所の跡である。ここまで来る人はいるが、さらに山奥の採掘場、選鉱場、シュート跡、まで行く人は稀だ。相当な山道の上に猿と夏草が行く手を阻む。北海道の廃坑などは怖いぐらいであるが、ここの施設が操業をやめたのは1896(明治29年)の事である。自然に戻りきっている。
歩道に戻り、源龍寺の通り抜け坑道跡に到達する。ここでは坑道跡を歩く事が出来る。今度は車道を歩いて山を下るが、車道を走るのは自動車ではなく人力車とレンタサイクルばかり、どこも賑わっていて、国内でこれほど賑わっている観光地を見るのは久しぶりで嬉しくなる。
次は町並み地区を歩く。武家や商家、神社仏閣が所狭しと立ち並び、気に入った所を訪問して歩いた。よくぞ、これほどの古いままの街を残してくれたものと感心する。今日は快晴だが、雨の日のしっとりした街並みも見てみたい気がする。銀山資料館を見て、勝源寺を訪問すると時間が無くなった。名物のそばを駆け込んで、バスでJR駅まで戻る。私は半日観光だったが、急ぐ人は町並みエリアだけを見るだけでも価値があると思う。
石見銀山を歩いて感じたのは、地元の人が必死になってこの地を観光で活性化しようという意気込みだった。人力車を漕いでいる人は皆、地元の若者なのだろう。聞こえてきた台詞、−世界遺産登録前までは道も整備されず、何もなかった。−世界遺産に登録され、観光客が集まってきたので、彼ら若者も地元で働けるのであろう。寂れる一方の過疎地ばかり見てきたので、この街の明るさが日本の地方に広がる事を祈らずにはいられなかった。
JR大田駅。公共交通機関を使う人は、直接バスで石見銀山まで行く人が多いようだ。しかし、JR利用者も皆無では無い。 | |
周りの風景と感じの良い歩道 | |
精錬所跡と坑道跡。石見銀山には沢山の坑道跡がある。 | |
見学のできる源龍寺の坑道 | |
神社仏閣も多く、五百羅漢は銀山で働いていた方の安全祈願と、亡くなられた方を弔う為に造られたとか。石窟の中に無数の石像があった。 | |
街並みはレトロな感じ。自動販売機も・・・ | |
高台から俯瞰した街並み。よく、この廃坑された地区にこれだけの古い街並みが残ったものだ・・・ |