●宇野線

・2013年10月20日 作成
訪れた日 2012年8月12日
 

広大な空き地としか思えない宇野駅前の広場に立って、瀬戸大橋が出来るまで、この「宇野」と「高松」を結んだ本州−四国の「宇高連絡」の在りし日を想像してみる。一度、訪れるべきであったが、結局、ここに立つのは今日が初めてとなってしまった。

「宇高連絡」は1988年(昭和63年)4月に廃止されてしまった。まだ学生だったから、訪れる事は可能だったが、北海道にしか目が向いておらず、現役の賑やかな宇野駅界隈は知らず仕舞いである。

巨大な設備は撤去されたが、この空き地を見ていると、「宇野」という場所は交通の要所として成り立っていたが、再開発も思うようにいっていないような気がする。鉄道連絡線は廃止されたが、民間航路として四国を結ぶフェリーや、瀬戸内海の島々を結ぶフェリーは残ってており、駅付近の宇野港から出てゆく船を見る事が出来た。宇野線に乗車していても観光客らしき外国人の姿を見る事も出来た。

この民間フェリーも存続が厳しいと話は聞く。これが無くなったら宇野はますます寂れてしまうのだろう。付近を走っていたナロゲージのローカル私鉄「下津井電鉄」が宇高連絡の後を追うように廃止されてしまった事を思い出した。

高規格で作られた高架複線から分岐するその姿はローカル線そのもの。厳密にはこちらが本線で本四備讃線が分岐するのだが、線路の規格や線形は現在の立場を表している。
まだ古い国鉄色の電車も多く残っており、落ちぶれた感じは否めない。しかし、単線とはいえ行き違い設備の有効長は長く、かつての幹線の面影はいたるところに感じる。
宇野駅に到着。かつては引込み線も多く、巨大な駅だったそうだが、再開発されてその面影は無くなってしまっている。
宇野駅の駅舎もローカル線らしくコンパクトに造られている。再開発により駅舎も新しくなった。かつては巨大な駅本屋を持つ駅だった。その面影はどこにも無い。
かつての駅舎や構内があったと思われる場所の一部は広大な広場になっている。不思議なオブジェがあるが、足があるのでマーメイドではないし、伝わってくるものが無かった。
宇高連絡線バース跡。とり残された遺構に見えるが、保存されている設備である。ただし、広大な空き地の中にポツンと残っていて、もう少しなんとかならないかと思ってしまう。
かつては、この桟橋の中に巨大な船が発着していたが、現在は利用されていない。高松側も再開発されたが、あちらは都市中心部なので原型を留める遺構は殆ど残っていない。


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