我路

2004年6月13日作成
訪れた日 2003年10月5日
2003年11月2日

「ここは昔は花街なんかがあって、美唄よりも栄えていたのよ・・・」。我路に住んでいる老婆の言葉が切ない。てっきり廃村だと思っていた我路の街。雪で潰れた家が散在し、人気の無い廃墟が続く。長い、長い、美唄鉄道のホーム跡がかつて、そこが栄えていた事を物語っている。1950年代には人口3万人を数えた炭坑の街は、この我路を含め、実質上、廃墟、廃村になってしまった。

たまたま行き違った老婆の話によると、我路は、美唄炭山の隣にあって、商業の街として栄えたそうだ。炭坑の給料日後は、盛り上がったそうだ。炭坑は、廃鉱されればある程度、整理されるものだ。しかし、自然に出来た街は、自然に朽ちるに任せていたようだ。雪で潰れた家々を眺めて切なくなる。

日が暮れてきた。失礼ながら、てっきり廃墟だと思った家に灯りが点る。老婆の話だと、ここに住む人も、数えられる程度だが、残っているそうだ。唯一の売店も閉鎖してしまい、この老婆はどうやって生活しているのだろうか。

「何故ここに残っているのですか?」 と聞きたかったが、流石に言えず、この悲しい街を後にした。


残った家がポツポツ残っていた
崩れた廃屋はそのまま放置されていた
病院跡と言われている郵便局(使っているのは一部だけのようだ)
我路駅跡


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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