●奥尻島
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18時45分に出航した船の乗客は殆どいなかった。これほど客のいない大型船に乗った事はかつて無かった。船は真っ暗な日本海を進むが、右手には常に街の灯りがあり、北海道に沿って北上しているのがわかる。20時55分、奥尻港に入港。民宿は港に近い筈だが、真っ暗で人がいないので少々迷った。江差線とセットで訪れた奥尻島、出だしはあまりに寂しかった。
旅装を解いて、街を彷徨うとコンビニがあった。酒を買い、港で海を見ながら呑んだ。寂しいのも旅情のひとつであろう。翌朝は、徒歩で街外れの商店に行きレンタバイクを借りる。危なっかしい乗り方に、車にしたら? と言われたが、風を感じながら走れるスクーターの方が面白い。まずは「うにまるパーク」の佐藤義則野球展示室を訪れる。
広大な敷地内に人影はなく、3階建の立派な建物を訪れていたのは私だけだった。佐藤義則氏は奥尻島出身のプロ野球選手である。これだけ立派な施設を作ってしまってしまって、維持費も人件費も島の負担になっている事はないだろうか。ホームページに寄付金の募集と結果が出ていたが、平成24年度 2,539円 とあった。レストランが併設されていた跡もあり、少し悲しかった。ブラウン管のテレビとVHSビデオも久しぶりだった。施設が綺麗に維持、整備されていた事は救いだった。
奥尻島を代表する鍋釣岩(左)、そして佐藤義則野球展示室(右) |
続いて長浜海岸を進み青苗エリアにやってきた。1993年の北海道南西沖地震で津波の大きな被害があった場所である。奥尻島津波館には、当時の資料が残っており、希望すれば解説員がついてくれるが、静かに見たかったのでひとりでまわった。重たい気持ちになるが、奥尻島を語る上で、避けて通るわけにはゆかない。
青苗地区は防波堤に囲まれ、港にはかさ上げされた人口地盤もあった。この小さな集落にとって、これだけの施設を維持するのは負担が重いだろう・・・。比較的高台にあるように見える青苗岬灯台も、津波で破壊されたとの事。青苗港まで来るフェリーは廃止され、静かな漁港となった青苗地区であるが、奥尻空港がある。行ってみたが、1日1便の運行用にしては立派な設備であった。
青苗地区の港にある人口地盤(左)。右の徳洋記念碑、は震災と津波を耐えた昭和初期の記念塔(右)。 | |
青苗岬灯台は内陸側に聳えていた。震災以降再建された(左)。奥尻空港は立派な施設であるが1日1便(右) |
荒涼とした奇岩と牧場の中、島の北西部を行く。人気がなく寂しいが、天気が良いので気分よく快調にバイクを走らせる。人もいない所に前衛的なモニュメントが現れる。北追岬公園はモニュメント郡を巡る散策路が作られているが、この地に前衛芸術は似合わないような気がする。そして、訪れる人も果たしているのだろうか・・・。公園内のゴルフ場だけは現役のようだったが、楽観視できるのだろうか。
神威脇温泉保養所は港に面した温泉だった。海が見える温泉も「かけ流し式」で贅沢、老朽化していたが、それなりに立派な施設だった。ここで遅いお昼を食べたかったが、ここにも、付近にもそのような施設が無い、奥尻港まで行かないと店は無いとの事。これは昼抜きか・・・。続いて球島山に向かう、頂上付近まで道路が完備されているので、楽々、頂上に立つ事が出来た。この日は快晴、360度、北海道本土が間近に眺められた。
北追岬付近は荒涼とした景色が続く。人気は全くない。 | |
北追岬公園はモニュメント郡は正直わからない。神威脇温泉は港に面した温泉だった | |
なかなか良いお湯だった(左)。球島山からの景色は最高だった(右)。 |
山から海に向かって下ってゆくと賽の河原公園が見えてきた。道南五霊場の一つとの事であるが、無数のケルンは誰が積み上げているのだろうか。ここも津波の被災地で、慰霊の地蔵もある。卒塔婆に烏が群がっているのが少し怖かった。ここには売店があり、ようやく食事にありつけた。
最後は 宮津弁天宮に行く。 岩山を登ると息が切れた・・・。そして売店に行きバイクを返して港に戻った。夕方の船は相変わらず空いていたが、来る時と違い、ほぼ無人という事は無かった。船から日没を眺めて感慨に耽る。海に沈む夕日は少し悲しい・・・。船には江差港から函館市方面の連絡バスの時刻表が表示されているが、江差線の表記は無かった。かつて、江差港から江差線、瀬棚港から瀬棚線が函館市方面に連絡していたが、鉄道とフェリーという組み合わせは過去のものである。ちなみに私は今晩の「北斗星」で帰京するが、江差線と津軽海峡線の接続駅である木古内駅を通過してしまうので、函館駅まで乗り続けなければならない。
賽の河原は荒涼としていた(左)。すぐ近くに見える北海道を見つめる稲穂岬灯台(右)。 | |
宮津弁天宮(左)。日中の船は奥尻島のゆるキャラ「うにまる」が出迎える(右)。 | |
奥尻島を出航する。土産物屋もあり立派な港だった。 |