●留萌鉄道(ホロピリ湖)
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明日萌駅こと恵比島駅を訪れた時に発見した廃墟が事の始まりだった。ここに何かがあった筈・・・・調べてみると、そこは昭和炭鉱、雨竜炭鉱から石炭を運び出していた留萌鉄道の起点であった。ところが、地図を見ても、現地を訪れても鉄道跡はおろか、街があった気配すらない。
雨竜炭鉱は1968年(昭和43年)11月に閉山。沼田ダムの完成によりホロピリ湖の底に没してしまったが、大きな炭鉱と炭住のあった昭和炭鉱は、ゴーストタウンだが、今でも街がそのまま残っているらしい。
探索初日は、遺構の跡は何も拝めず、ホロピリ湖に沈む夕日を見るにとどまった。翌日、民宿で聞いた情報を元に、手塩鉄道の跡を辿るように達布に入り、昭和炭鉱跡を探す。日も暮れてきて、ようやく、昭和炭鉱跡に向かう林道を発見。
林道はロープで閉鎖されていた。正直言ってホッとした。朽ちて崩壊しつつある昭和炭鉱の街を載せている廃墟サイト多い。訪ねた人はこのゲートを越えたのだろうか。街が、そのまま残っているという点では羽幌炭鉱以上と予想される。誰も入れない山奥に眠るゴーストタウンは成仏できたのだろうか。
帰り道でホッパーを発見、携帯のカメラで撮るには難しかったが、留萌鉄道の遺構はこれしか発見できなかった。その帰り、危うく鹿を轢きかけるハプニングがあったが、死人を掘り起こすような行為に警告を受けたのかもしれない(その後2007年に撮影する為に再訪した)
留萌鉄道は1969年(昭和44年)4月をもって昭和炭鉱とともに廃止された。今も茨城交通で走っている留萌鉄道の車両(2016年追記:茨城交通はひたちなか海浜鉄道となり、北海道から来た車両は2015年12月引退)の故郷は山奥に眠っているのだ。そして訪ねる事のできない故郷なのだ。
恵比島駅から見える廃墟(左上). 訪れる人も少ないホロピリ湖。この底に街が沈んでいる(右上)。 ひたちなか海浜鉄道で走っていた、元留萌鉄道のディーゼルカー(左 2010年撮影) |
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立ち入り禁止の昭和炭鉱への林道入り口 2007年再訪時に撮影 |
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ホッパーの遺構が道端にあった。 |