●青函連絡船
・2001年6月24日作成
・2003年8月9日修正 |
訪れた日 |
1983年8月8日
羊蹄丸 |
1983年8月10日
大雪丸 |
1984年8月6日
摩周丸 |
1984年8月12日 大雪丸 |
1986年8月12日 摩周丸 |
1986年8月25日 大雪丸 |
1988年3月1日 摩周丸 |
1988年3月13日 石狩丸(連絡船最終日) |
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1988年3月13日、青函連絡船の最終日。敢えてこの日を選んだ訳ではないが、北海道旅行の最後がこの日に当たってしまい、偶然、最後の日に乗る事になってしまった。3月12日の夕方、函館に到着し、整理券の行列に並ぶ。私が確保できたのは0時10分発の臨時便。船も貨物船改造の石狩丸型で定期便の船に比べ見劣りしていた。
この日の函館駅は異様な雰囲気だった。桟橋は入場制限されていたが出航時には見送りの人が溢れていた。19時20分、十和田丸は大勢の人達に見送られながら出航。「さようなら!!」の声が船からも、桟橋からも聞こえる。テープカットも行われていた。その様子を桟橋から見ていたが何とも言えない気持ちになった。「バヴォー!」独特の汽笛を残し、まばゆいばかりの照明、室内灯を暗い海に反射させつつ遠ざかって行く…。
23時15分、青森からの157便が第一桟橋に接岸した。これが折り返して私を乗せる102便になる。大勢の人達と接岸作業を見守る。普通、興奮して走りまわっているのは鉄道ファンが多いと思うのだが、この日の函館は鉄道とは無縁そうな人も沢山いた。「凄いですねぇ…」と話し掛けてきた女の子など、鉄道とは無縁そうな人だった。
船の中は装飾が行われおり、最後の航海を盛り上げている。0時10分、タラップが外れ出航…。ものすごい興奮状態だったので、いつもの蛍の光も、銅鑼の音も聞こえなかった。ただ、桟橋につめかけた人達が手を振ってくれた事。色とりどりのテープが舞っていた事が強烈な印象として残っている。
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終航前、このような垂れ幕が貼られていた |
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第二桟橋で出航を待つ摩周丸(最後の夜行便) |
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夜遅かったが見送りも多かった |
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大賑わいの函館駅を出発する |
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最後の活躍をするタグボート |
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青森駅第一桟橋に到着、長い桟橋が印象的 |

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