●深名線(/2)

・2001年6月9日作成
・2003年7月21日修正
訪れた日 1986年8月15日
 
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天塩山地の山奥を走る深名線は超赤字ローカル線。沿線は豪雪区間であり、道路が冬季通行止めになってしまう。その為、延命されていたがついに1995年9月3日、生き絶えた。

深川発10時45分発の1両のオンボロディーゼルカーは、赤字ローカル線とは思えぬほど乗客の姿があった。おそらく帰省客だろう。函館本線の立派な線路から離れ、いかにも貧弱そうな線路に踏み入れた。私は進行方向に向かって右窓側の席に座って、窓から吹き込んでくる風に吹かれ優雅な旅気分を味わう。強い日差しはとても北海道とは思えない、気温も高い。しかし、「丸山」に停車している時にトンボが飛んでいるのが見えた。秋も近いのだろう。

列車は暫く水田の中を走ってゆく。時々、白樺の林に飛び込むが、抜けるとまた水田・・・。そんな景色が続く。人の気配のない道東の牧草地と比べて温かみのある景色だ。遠くに見える畑が緩やかな丘を這い登っている。これもまた北海道らしい景色である。

「多度士」駅周辺には切り出された材木が多く見られ、ホームの反対側には今は使われていない側線があり、かつてはここが木材の積み込み場だった雰囲気があった。深名線はもともと、森林資源開発の為に作られた路線だ。

「宇磨」「幌成」・・・仮乗降場が続く。次第に奥地に入ってきた感じがする。なぜか少年が独り、列車を遠くから見つめている。不思議に思っていると、小さな小学校の分校のような所で、子供達が5〜6名、列車に向かって手を振っている。この列車に誰か乗っているのだろうか・・・。ほのぼのしていると「下幌成」。列車は後ろ半分しかホームにかからない。1両編成なのだが・・・。

「鷹泊」では列車交換。何もない駅だが、交換設備があるだけで立派な駅に見える。タブレット交換を行い易いように、上り、下りの各ホームが向かい合ったように配置されている。北海道のローカル線には多い配線だ。この駅から、いよいよ手塩山地に挑む。

うっそうとした森の中、きついカーブを繰り返し登坂するが、エンジンの唸りも空しく、速度計は15qを指したまま動かない。今にも止まりそうだ。トンネルを抜けて下りになると、今度はエンジンを止め、落下運動にまかせて急降下するように転がり出す。車輪を押さえつけるブレーキが、ガリガリと鉄を削る。激しい音と振動が床下から伝わってくる。それでも、速度計は70qに到達する勢いだ・・・。これでは車輪も痛むだろうと心配になる。古い非力なディーゼルカーが峠に挑む時、登りと下りの走りはまるで違う。まるで生き物みたいだ。

山の中を走っていて、突然目の前が開けて集落が現われ「沼牛」へ到達する。僅かひと駅、10qに20分も費やした。次の「新成生」は相変わらずの仮乗降場だが、周りは自然に群生した一面の花畑であった。山を登るとそこに桃源郷があった・・・。そんなメルヘンを感じさせてくれた高原であった。もう、峠はなく、列車はエンジン音も軽く高原を快適に進む。そして白樺の林を抜けると「幌加内」着11時57分。駅には帰省客を出迎える人が大勢、列車を待っていた。小さな駅は再会を喜ぶ歓喜で満ちあふれていた。車の乗客の大半はここで降りてしまった。

「幌加内」は、よくぞ、このような所に集落があるなぁ・・・と思わせる場所だった。氷点下41.2℃という低温記録も持っている。深川は夏真っ盛りだったが、桃源郷の水田は黄色味があった。こころなしか涼しく感じる。

「雨煙別」の次は「政和温泉」。ただし、温泉宿が1軒あるだけの秘湯だ。空気輸送になってしまったディーゼルカーは高原の無人の乗降場をいつくも過ぎ、快適な旅が続く・・・・筈だったが、にわかに天気が怪しくなり大粒の雨が降ってきた。急いで窓を閉める。そうこうしているうちに、この列車の終点「朱鞠内」に到着。12時48分。乗り継ぐべく「名寄」行きは3時間後だ。とりあえず、駅付近の唯一の売店でパンを買って昼食だ。

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朱鞠内湖へ


まずはオンボロディーゼルカーで「朱鞠内」を目指す
手塩山地を登る
数少ない、交換設備のある駅
木の電柱が北海道らしい
「共栄」付近だったと思う、イイ感じのカーブに駅
終点「朱鞠内」。大きな街があるわけでもない
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