夕張線

2014年12月21日作成
  
訪れた日 1984年8月4日
2003年10月5日
2013年8月17日

清水沢駅を18時39分発に出た「夕張」行きディーゼルカーは、まるで死んだような廃墟の中を進んでゆく。夕張駅は何も無かった。ここで夕食を摂る事も考えたが、街の中心がわからない。交番へ行ったがパトロール中で警官は不在だった。仕方なく駅に戻り19時07分発の「苫小牧」行きに乗る。左手に廃墟の街が広がっているのが見えた。いや、明かりが灯っている家もある。

上記は1984年(昭和59年)の紀行文である。ここで登場する夕張駅は翌年、街の中心部に移動(1.3q短縮)。1990年(平成2年)にはリゾート開発に伴い、ホテルの場所までさらに0.8q短縮したのが現在の姿である。この結果、駅は街の中心部から離れてしまったようだ。夕張線は、石勝線の支線扱いになっているが、「新夕張」−「夕張」間が一般的に夕張線と呼ばれている。

10年ぶりの夕張訪問。夕張駅の背後には巨大ホテル。そして駅舎はお洒落な雰囲気。イタリアンレストランを併設、中に入ると各国の国旗が天井に張り巡らされていて観光で生きる夕張を感じた。駅の中に窓口があったので業務委託駅かと思ったが、観光案内所で駅業務は委託されていない様子だった。脱線事故で大混乱中の列車の運転状況を聞きたかったが、JRの事はわからないと残念そうに丁寧に伝えてくれた。その代わり、観光マップを貰って、食事するところを探す事が出来た。

夕張線に乗るのは初めてではないが、過去の記憶があまりにも曖昧なので実質初めて乗車したようなものだった。炭鉱跡の街も撤去が進んだのか、あまり廃墟っぽい景色は無い。夕張駅の次の鹿ノ谷駅は、かつて夕張鉄道が接続した駅であるが、広大な引込み線の跡が空しく広がっていた。無人駅であるが、大きな駅舎が残されているのはかつての繁栄の名残である。その次の清水沢駅は三菱石炭鉱業大夕張鉄道線に乗り換えた駅であるが、炭鉱の閉山とともに1987年(昭和62年)に廃止されて久しい。次の南清水沢駅で下車。迎えに来た車に乗り換えた。

駅員にJR北海道の運転状況を確認する為に清水沢駅まで車でやってきた。駅員さんは親切に業務連絡と思われるプリントを見せてくれた。その結果、指定券を押さえている「はまなす」号の運休、「函館」方面へは臨時特急「森」行きが運転される事がわかった。脱線事故なので、簡単に復旧するわけがない事はわかっていたが・・・。駅員さんに調べて貰っている間に改めて駅舎内を眺める。広い駅舎は、かつてここが乗換え駅として、また地域の玄関として賑わっていた事を彷彿させる。大夕張鉄道の写真が沢山提示されていた。

もっと夕張を堪能したかったが、急遽、函館方面に向かわねばならなくなった。まずは、「幸せの黄色いハンカチ」ではないが、黄色いのぼりを立てた食堂を探して「夕張カレーそば」を食べる。そして、炭鉱の煙突が残る日帰り温泉「夕鹿の湯」に浸かり、急いでこの地を去った。夕張のリゾート開発は結果的に市の財政破綻という結果になった。夕張駅に併設されたイタリアンレストランも2014年現在、撤退したと聞く。日本の将来を見てるような気がするのは私だけだろうか。

背後のホテルと手前の駅舎はリゾート開発に生きる新夕張を物語っているが、現状は・・・・。
これが夕張名物カレーそば。市内の数箇所で食べる事が出来る。映画「幸せの黄色いハンカチ」に因んでいるのか?
清水沢駅。1面1線になってしまったので、10年前にあった跨線橋は無くなり通路で駅舎と結ばれている
1984年の清水沢駅。石炭列車や炭鉱鉄道で賑わっていた
10年前は、交換設備があったので、腕木式信号や、寒冷地仕様(室内に設置)のポイント切替機があった。
これも10年前だが、現在も映画で盛り上げようとしている。この頃に残っていた炭住は減ったような気がする。


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