●新京成電鉄

・2010年4月4日作成
訪れた日 2009年12月19日
 

初めて新京成電鉄に乗った子供時代。先頭車に乗っていたら、老婆が、「この線はいかに曲がりくねっているのか。ここからよく見えるよ」と自分の孫に話してた光景が思い浮かんだ。それから30年。あの時主力だった京成電鉄の中古車の寄せ集め編成の姿は無く、近代的な自社発注電車ばかりになっていた。今日乗車しているのは30年前にデビューした車両で、ちょっと憧れていた車両だ。

この鉄道は旧日本陸軍の鉄道連隊演習線跡地を利用したものである。鉄道連隊では、敷設距離を稼ぐ為に、故意に蛇行して建設されたいた。本来なら真っ直ぐ走れそうな習志野台地を右に左にカーブしているのはその為である。昔はもっとゆっくり走っていたと思うが、今回感じた限りでは、電車の速度は案外高く、遠回りを感じさせない。

「松戸」から乗車したが、乗客はそれなに多く、当時感じた、中小ローカル私鉄の寂れた雰囲気は全く無い。沿線も宅地開発された。原野の中に立派な高架橋が聳えていた北総開発鉄道(現北総鉄道)との分岐跡も、今はよくわからない。北総開発鉄道は開通当時は新京成電鉄と乗り入れいていた。北総開発鉄道の近代的な新型車は新京成電鉄のオンボロとは一線を画しており、新京成線内で見ると「掃き溜めに鶴」といった雰囲気だった。

北総線の途中駅の「鎌ヶ谷大仏」で下車してみる。大仏を見たかったからであるが、目の前に現れたのは地蔵をちょっと大きくした感じのもので拍子抜けした。しかし、「大仏商店街」、「大仏コンタクト」と色々なものに大仏という名を冠しており、地元では愛されているのがよくわかった。

「新津田沼」から単線になり急カーブを描いて京成線の「京成津田沼」に潜り込む。30年前は揺れたつり革が網棚を直撃し、凄い音がしたものだ。さすがに今はそのような事はないが、ふと当時を思い出した。30年・・・当時の最新型がそろそろ引退の時期を迎えつつある。文中の北総開発鉄道の近代的車両は京成の標準車両に置き換えらた。新京成線にしても、この30年間は様々な先鋭的なオリジナル車両を生んできたが、最近では京成電鉄の標準型に置き換えれつつある。

面白い顔つきの電車
かつて、高架の北総線に駆け上がる線路が分岐していたが、その面影は無い
8両編成の電車も多く、乗客が多いという印象だった
駅名にもなっている鎌ヶ谷大仏
大仏コンタクトって・・・
リバイバルカラー・・・・懐かしい

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