●土合駅
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巨大な関東平野から抜け出そうとするとそこには急峻な峠道が待っている。天下の険・・箱根峠、碓氷峠、小仏峠、そして川端康成氏の小説にも出てくる上越国境。ここには3本の鉄道トンネルが存在する。
上越国境は上越線開通当初は二つのループ線と長い清水トンネル(9,702m、1931年当時最長)で日本の背骨を貫いていた。昭和42年10月、上越線の複線化の時、下り線は峠を避けて、新清水トンネル(13,490m)でこの峠をブチ抜く事になった。この時、「湯檜曽駅」と「土合駅」がトンネル内に設置され、特に土合駅は地上に出るまで約10分、486段の階段を歩かねばならなくなった。距離にして480m、高低差70mは日本一のモグラ駅と呼ばれている。
上越国境は大変な思いをして敷設された区間だ。昭和初期、登山者でも遭難する事の多い、谷川岳を越えて測量した人達には頭が下がる。トンネル工事も、岩はね現象とよばれる現象もあり、難工事だったようだ。殉職者も49名を数える。この事は土合駅に掲示されている手書きの「3本の清水トンネルの歴史」に詳しく書かれている。
1980年5月に新幹線の清水トンネル(22,221m)が完成、東北新幹線岩手一戸トンネルが出来るまでは世界陸上トンネル最長記録を誇っていた。これで上越国境を貫く鉄道トンネルは3本になった。
1982年11月に完成した上越新幹線によって、上越国境を走る在来線列車が極端に減少して、2003年現在、普通列車が5往復、夜行列車が4往復走っているにすぎない。もし、上越新幹線開通が分割民営化後だったら、この区間は廃止されたであろう。現在でも廃止の噂は聞こえてくる。これほど列車本数が少ないと、単線化の計画も出てきたりする。難工事区間だっただけに、殉職された方はこの状態をどのように思っていらっしゃるのだろうか。
土合駅を訪ねるのは2回目である。初回の夏など、トンネル駅を体験しようと団体さんまで現れ、意外とにぎわっていた。ただし、それも一瞬だけ・・・。ポツンと独りトンネル内に佇むと不気味というより怖くなってくる。地上駅にある駅舎は山小屋風で、かつては登山客で賑わったようだ。しかし、現在は無人駅。在来線はもう役割を終えたのではないだろうかと思ってしまった。
列車が行ってしまうとこの状態の中で独り・・・ |
バリアフリーの時代にこの階段! |
地上に出ると、小川を渡る橋に出る |
さらに迷路のような通路を経て駅舎へ |
シェルターでトンネル駅と駅舎を結ぶ |
雰囲気の良い土合駅舎 |
こちらは上り線 |