●東武小泉線

・2014年6月7日作成
訪れた日 2013年1月5日
 

東武鉄道のジャンクションである館林駅には、特急「りょうもう」の他に、2両編成や、3両編成のローカル列車が集まってくる。そのひとつが小泉線である。伊勢崎線の迂回ルートのように見えるが、実際には小泉線の方が短く大田駅を結んでいる。「大田」は群馬県3番目の都市である。

館林駅を出た2両編成の電車は単線の線路を行く。線路脇には複線用の土地が確保されているが、1時間に1〜2本の運転本数という区間が将来複線化されるとは思えない。事前知識を持たずに電車に乗ったが、この区間がかつて貨物列車などで賑わっていた事を想像させてくれる光景だった。やがて、電車は東小泉駅に到着する。太田駅からやってきた電車が反対側に到着した。

小泉線は館林駅から太田駅までの路線であるが、この東小泉駅から西小泉駅までが枝線のようになっている。基本的に館林駅から来る列車が、西小泉駅に向かう事になっているようだ(例外もあるが・・・)。太田駅から来た乗客を乗せてやがて終点の西小泉駅に到着する。館林駅から30分弱である。西小泉駅の駅舎は、昭和を感じる古い建物であるが、かなり大きな作りになっている。しかし、人の姿は少なく、駅前も閑散としている。

西小泉駅は、軍用機のメーカーでもある中島飛行機の工場への物資や人を運ぶ為に作られた。戦後、工場は目的を変えて、米軍、三洋電機、パナソニックと受け継がれて現在があるが、三洋電機時代に縮小し、街も鉄道も寂れてしまった。この地を本拠地とし、強豪であった三洋電機ラグビー部はパナソニックワイルドナイツと名前を変えたが、強さを維持しているのが救いである(2013年度は優勝)。

西小泉駅から利根川に向かって遊歩道がある。後で調べてみると仙石河岸線という貨物線の跡地で、終点の仙石河岸駅では川砂利を積み込んでいたらしい。戦時中はこの路線を「熊谷」まで延長し、中島飛行機の軍事物資輸送に充てようとしたが、終戦により頓挫。貨物線も廃止されたが、埼群軌道新線なる構想がバブル末期に生まれ、この区間の鉄道敷設案が提示されたが、その後進展していないようだ。


小泉線は単線ではあるが、全線にわたり複線用の土地が確保されている。交換設備の有効長も長く貨物列車の運転に備えていた事がわかる。

かつて、伊勢崎線を走っていた赤城発着の貨物列車は、太田と館林の間は、小泉線を経由していたそうだ(こちらの方が短距離)。

成島駅で
東小泉駅で。太田からやってきた列車接続する。太田および館林から西小泉を目指すダイヤになっている。
終点西小泉駅。広い構内と立派な駅舎がかつての繁栄を物語っている。
貨物線跡は「いずみ緑道」という歩道になっている。やたらに裸婦像が目立つが、真冬に人気のいない所に立つ裸婦は寒そうで、何か着させたくなる。

外国人労働者が多い街としても知られており、電車も街も外国人の姿が目立つが、人そのものが少ない。海外から来て、このような寂しい街にいたらホームシックにならないだろうか?
西小泉駅に到着してきた電車。
手前の島式ホームが現役であるが、ヤード跡と使用していないホームも残っており、この駅の全盛期の賑わいを彷彿させてくれる。
終点の太田駅は立派な高架駅。なんと8番ホームまである。ひたすら田園地帯を走ってきたので、ちょっと驚きの光景である。しかし悲しいくらい人がいない。


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


back