●鹿島鉄道(石岡機関区)

・2007年2月26日作成
訪れた日 2006年4月30日
 

鹿島鉄道の旅を終えて、名残惜しそうに車庫を覗いていると、車庫内をファンと思われる人たちが歩いているのが見えた。最初は無断侵入に見えたが、職員はあまに気にしている様子もない。聞いてみると、機関区事務所で申し込めば車庫内の見学ができるという事だった。ならば・・・という事でホーム端の職員用踏切を渡って機関区事務所を訪問した。

事務所で申し込み用紙に必要事項を記入して、首から吊るすタイプの許可証を貰い車庫内の見学が許された。決して大きな車庫ではないが、古典気動車や機関車などバラエティは豊富である。先ほど乗車した加越能鉄道加越線の2両は本日のお役ご免という事で車庫で休んでいた。同じ形でそれぞれ異なる塗装、仲良く重連状態で定位置で休んでいる姿は、兄弟のように見えて微笑ましかった。

最大の関心は旧夕張鉄道の車両。1975年(昭和49年)の同鉄道廃止後、鹿島鉄道にやってきた炭坑育ちの道産子である。北海道の主な炭坑は全て閉山になり、炭坑鉄道は全滅した。炭坑の跡地は殆どがゴーストタウン化、廃村の憂き目に合ってしまった。生まれ育った街は無くなってしまったが、当時の車両がこの関東で頑張っているのだが、どこか哀れに見えて愛おしかった。ただし出番は殆ど無く、月1回の定期運用だけが乗車できるチャンスとなっている。

かつてジェット燃料輸送に従事したディーゼル機関車もまた役目を失って車庫で休んでいた。貨車も同様である。この他に日本最古のディーゼルカーの2両、軽快なレイルバスの4両がここをネグラとして活躍している。油が染み込んだ板張りの建物の整備工場、古びた事務所も、何もかもがレトロでどこか懐かしかったが、温かみがあった。この場所が1年後には廃墟になってしまうのだろうか・・・。

日本最古のディーゼルカーが帰ってきた。手動でポイントが切り替えられ、代わりにのレイルバスが出庫して行く。古い気動車は軽い整備の後、定位置で休むようだが、間近で床下の機械を見る事が出来た。クルクル廻る回転軸が見えたり、動く仕組みがよくわかった。どこにも電子部品が無さそうな、本当に昔の機械そのものという感じがした。しかし、デビューから70年、疲れが至る所に見える。台枠は明らかに歪み、車体の中央部分が沈み込んでいる。歪んだ鉄道車両を見たのは初めてである。

ここの古典気動車たちは、廃止されたとしても大往生なのかもしれない。無理をしないで余命を頑張って欲しい。そのような気持ちにもなったが、やはり寂しさは感じる。廃止が決まれば、大勢のファンが押しかけるだろう。このように、自由に車庫内を見学できるのもこれが最後かもしれない。名残惜しいがきりがないので引き上げる事とする。

機関区内
工場から
工場内
旧夕張鉄道
ディーゼル機関車
貨車
機関区全容

後日撮影


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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