●玉造町
|
いまどきの派手な格好の女子高生が待合室で仲間と会話していた。それ自体は別に珍しくないが、喋っている言葉が茨城弁である。東京から近い場所なだけに、当時は違和感があったが、後日、茨城県で仕事をする機会があり、若い人が使う茨城弁にも慣れる事となる。駅待合室で待ち合わせ・・・そんな当たり前の光景がいつまでも続くといいのだが。
鹿島鉄道の玉造駅構内の食堂では、貸し自転車が置いてあり、早速、借りて街を走ってみた。玉造町を知ったのは中学生ぐらいの頃だった。地図を見ていて、霞ヶ浦を取り囲むように点在する町に興味を持った。新選組を創った男・・・芹沢鴨の出身地」と売り出しているが、多摩出身の私としては、やはり新選組といえば土方や近藤だと思いたい。
食堂に自転車を戻すと、お茶をご馳走になった。まだ列車まで時間があったので、名物「そば寿司(そば稲荷)を食べてみる。稲荷の甘味とそばがマッチして美味しい。食堂内には鉄道の写真が貼ってあり、ついつい見とれてしまう。鹿島鉄道廃止後はこの立派な駅はどうなるのであろうか。
後日、車で、霞ヶ浦沿いにある「霞ヶ浦ふれあいランド」を訪れてみる。高さ60mの「虹の塔」に登ると、霞ヶ浦を見下ろす事が出来る。今でこそ霞ヶ浦は普通の湖だが、もともと海跡湖であり、太平洋の入江のようだった。このため、湖畔の町は江戸と水運で結ばれていた。かつては大層な賑わいだったとか。1965年に完成した常陸川水門の完成で、海と分離され、霞ヶ浦は淡水化して塩害は無くなったとされている。
今日はイベントの日だったので「霞ヶ浦ふれあいランド」の施設は全て無料だった。その為か、「虹の塔」のエレベーターも少々待つ必要があったし、公園施設も家族連れで大層賑わっていた。しかし、最寄駅の玉造駅から来た人は皆無だろう。ところで、玉造町だが、現在は市区町村合併で名称が消滅している。
玉造町駅 | |
虹の塔 | |
虹の塔から | |
霞ヶ浦大橋 |