●西寒川支線跡
|
相模線の枝線だった西寒川支線(1.5q)。廃止されたのが1984年(昭和59年)であった。当時高校生だった私は乗るチャンスがありそうだったが、1日に4往復(朝と夕方だけ)という運転状況では、部活で休みが無かった状態では、地方路線なみに訪問が難しい状態だった。貴重な休みは、もっと遠くの廃止候補路線を訪れたので、悔しいけれど、廃止されるのを指をくわえて見ていた。
相模線も変わった。小学生の頃に初めて乗った頃は、キハ10や20が走る非電化ローカル線だったが、1991年(平成3年)に電化され、ローカル線という雰囲気ではなくなった。西寒川支線を分岐していた寒川駅も近代的な橋上駅に変貌していたが、線路が剥がされた跡があった。
橋本駅方面に向かって歩くと、線路跡のらしき空き地が。相模線から左に分岐する。その先には歩道が現れた。西寒川支線の跡地は歩道として整備されている。後は、歩道を歩くだけである。途中の一宮公園には線路が残されており、ハッキリ廃線跡だとわかる。左右には住宅が迫るが、廃線当時はどのような景色だったのだろうか・・・。
終点、西寒川駅跡にも線路が残されているが、現役当時、この駅は駅舎も無い、吹きさらしのホームがあるだけだったとの事である。西寒川支線は相模川の砂利運搬用に作られた路線であり、この先にも線路は続いていた。しかし、旅客輸送はこの西寒川駅までであり、線路跡が残っているのもここまでである。多少なりとも、西寒川支線に乗った気分なる事ができた。
比較的最近廃止された路線という事もあり、廃線跡はハッキリわかる。右の写真は、歩道から相模線を臨んだものである。 |
|
一ノ宮公園には車輪と線路が残っている。雰囲気的には途中駅の跡地のようだが、西寒川線には途中駅は無かった。 西寒川駅には海軍工廠があり、旧日本海軍の兵器を作っていた。西寒川支線は、軍事輸送にも使われたと思われる。 |
|