●巾着田

・2015年3月29日  作成
訪れた日 2013年9月28日
  

西武鉄道の特急列車は高麗駅に臨時停車した。飯能駅から高麗駅間のシャトル臨時列車も走っていた。駅は大勢の乗客で賑わい、その人波は静かな山里を貫いていた。目的地は、巾着田。

秩父連山の麓にある「高麗」という集落。その地名の由来は朝鮮の高句麗。1300年前、国を追われ亡命した人々がこの地に住んだとの事である。「こうらい」と発音せず「こま」と読ませている。ここには巾着田という水田地帯があった。高麗川によって作られた後背湿地が、巾着の形に見えるからというのがその由来である。私は東京の郊外で育ったが、小学校の遠足で、この地を訪れた事があった。その頃の、巾着田は水田地帯であった筈である。

巾着田の水田は殆どが休耕地になってしまった。放っておけば、荒れ放題になるか、宅地になってしまったであろう。しかし、公園として整備し、観光地として生まれ変わらせる事になった。曼珠沙華の大群生地は日本最大級である。このような形で里山を守った方に敬意を表したい。

この日は海外の方も大勢訪れていた。花畑に入って撮影しているのはアジアの外国人であったが、見てみぬふりをした私も同罪だろうか・・・。まるで真っ赤な絨毯のような川沿いの散策路も素晴らしいが、観光牧場もあって、牧歌的な風景に好感を感じられた。露店も多く出ていて、この日は地元のグルメに舌鼓をうつ事が出来た。前回の訪問時、閉店前の焼き鳥の屋台に並んでいたのだが、前の人が「残り全部」と言い、在庫の全てを買ってしまった。その為、泣く泣く諦めた事を思い出した。他人に気を遣えるのが日本人だと思っていたのだが・・・。

この時期、レッドアローは高麗に停車。普段は飯能から先には入らない3000系も、シャトルトレインとして活躍。

LEDの表示機には高麗の文字があるが、方向幕にはその用意はないようだ。臨時と表示されている。
駅から公園につながる道もまた楽しい。露店が並び、地元の特産物を売っていた。

会場の露店も大いに盛り上がっていた。
この花が咲くと墓参りを思い出す。それゆえ彼岸花と言われるのであろう。500万本あるという。

白い彼岸花は初めて見た。
広大な休耕田は、コスモス畑や駐車場として使われていた。

休耕田になってしまった現実を考えると複雑な気持ちになる。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)

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