平日は午前中に2往復のみ、日曜と第2、4土曜日は運休。随分なめた鉄道だと、そして存在意義があるのかと疑問に思っていた有田鉄道。かつてみかん輸送で賑わっていたミニ鉄道も、現在は押して知るべしである。
JR紀勢線(きのくに線)の藤並駅からレールバスに乗り込む。このレールバスは今や貴重品となった2軸の車両で、もと樽見鉄道の車両。お名残乗車の鉄道ファンを満載した列車は細い荒れた線路の上をグラグラ揺れながら走る。線路も荒れているが、夏草が茂りすぎて、車両に当り、バンバンと音がする。普通に保線されていたら、こんな事にはならないだろうし、まして列車が走っていれば草もここまで生長しないだろう。
付近はみかん畑が多いが、日本中、何処にでもあるような普通の田舎。列車は民家の軒先、畑の中を、まるで景色に同化されているかのように走る。同化というより存在が無視されているとも見えるが・・・。途中駅も3駅ばかりあり、それぞれ、古い鉄道を彷彿させるような、素敵な感じがした。ノンビリした旅だが、僅か5.6q、15分弱で終点金山口。
有田鉄道のターミナルは、この金山口であるらしく、不相応とも思える立派な駅舎と、切符の販売を行う駅員までいた。駅を出ると、有田鉄道本社があり、国内外の旅行代理店も営業し、バスターミナルには平行して走る路線バス(マイクロバス)も客待ちをしていた。雰囲気的には鉄道駅を中心に有田鉄道の営業拠点が存在するように見える。しかし、実際には、有田鉄道とはバスと旅行会社なのだろう。線路に並走するバスの方が便利そうだし、本数も遥かに多い。そして鉄道が無くなっても誰も困らないだろう。
金山口駅には、かつてメインで働いていた大型ディーゼルカーと、新潟県から呼び寄せ保存している蒲原鉄道の木造貨車などが展示されていた。正確には駅構内なのだろうが、線路に下りても、鉄道会社の人は何も言わなかった。小屋の中には紀州鉄道で働いていた(と思う)旧型ディーゼルカーも保存されていた。鉄道があってこその保存車両たちだと思うが、この鉄道そのものの存在が危うい。鉄路が遺構になる日はすぐそこに来ていた。
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有田鉄道のディーゼルカー |
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線路は廃線跡のよう |
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お名残乗車が多かった |
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かつての主力「富士急の国鉄乗り入れ車」 |
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蒲原鉄道の木造貨車 |
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記念入場券 |
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記念スタンプ |
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