●友ヶ島
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東の猿島、西の友ヶ島。いずれもかつての要塞の島である。神奈川県の猿島は、横須賀から船が頻発運航されるが、和歌山県の友ヶ島は、定期4便、臨時2便である。とりあえず、9時発の第一便に乗りたいので、和歌山市駅を7時半すぎの南海加太線に乗り、加太駅に向かった。船に乗り継ぐには適当な時間であったが、観光客はあまりいなかった。それで安心していたが、船のチケット売場にたどり着いて、船を待つ観光客の長蛇の列に驚いた。
結局、船に乗れたのは12時。小さな船が精一杯ピストン輸送しても1時間に1便が精一杯。淡嶋神社など、付近の観光地を訪れて時間を潰したが、今日の予定が大幅に影響を受けてしまった。オフシーズンは1日2便まで減る航路である。この日の為に、予備船を用意する事は出来ない事は理解できる。折角、和歌山に泊まったので、早く来れば良かっただけの事である。
船は4つの無人島郡を目指す。これらを総称して友ヶ島と呼ぶ、約30分後、最大の沖ノ島の桟橋に到着する。民宿も売店もあり、無人島という印象とは少し異なる。島が大きいので、上陸してしまえば、大勢の観光客で溢れているという事はなく、快適なハイキングが楽しめた。この島の特徴は、何といっても大阪湾を防御する由良要塞の拠点のひとつだった。この遺跡を見たくてこの島を訪れた。ハイキングコースは遺跡を巡る3.3㎞のものと、自然散策コースの6.1㎞があり、ふたつとも巡りたかったが、時間が無いので、遺跡だけを巡る事にした。
1890年(明治23年)に発点灯した友ヶ島灯台、明治時代に作られたレンガ造りの砲台跡(一部、崩壊しているが・・・)、第二次大戦時の遺跡もある。島は起伏に富んでおり、ちょっとしたハイキングとなってしまう。見所は多いのだが、少し急いで周っていると船の案内が聞こえてきた。「これから混雑が予想されます。ピストン輸送しますが、いつ乗れるかわかりません。なるべくこの船に乗ってください」。
14時30分、上陸してから2時間。見所はもっとあるが、今日はこの後、和歌山線を経由して東京に戻る予定である。和歌山線に乗る余裕があるかどうかは微妙になったが、とりあえず島を出る事に・・・。名残は惜しいが、この島を訪れる事が出来た事に満足感はあった。10年前にも加太港を訪れた事はあったが、船の便の時間が合わず、泣く泣く折り返した事があったのだ。
加太線に乗車するのは二度目。ワンマン運転であるが、ドアの開閉をミラーだけに頼っているのが、他の地区と違うような気がした。 | |
3時間待ちでやっと出航。田倉埼灯台を眺めつつ沖へと進む。虎島、神島の沖を迂回しながら野奈浦桟橋に到着。ここには売店もあり、島の中心部である。 | |
海沿いを歩き、第2砲台跡を訪れる。千葉沖の第二海堡を思い出す。このまま朽ちさせるよりも整備した方がいいのでは・・・。 | |
この島を訪れた理由のひとつは友ヶ島灯台である。 旧海軍聴音所跡は、大阪湾に進入する連合軍の潜水艦の動きを探知していた場所である。戦時中も、ここは要塞だったのである。 |
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島の中央部にある第3砲台跡および、地下要塞はこの島を代表する遺跡である。地下通路には灯りが無いので、懐中電灯を持って行く事をお勧めする。 この後、探照灯跡を巡った。 |
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