●養老鉄道
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時々小雪が舞う中、養老山地を右手に眺めながら。濃尾平野の中を電車は進んだ。線名にもなっている養老であるが、居酒屋チェーンの由来にもなっている、養老の滝が有名な観光地である。しかしながら、関東在住の私としては、養老といって思い浮かぶのは千葉県の養老渓谷である。
近鉄養老線時代に、桑名駅から大垣駅まで乗車した事があった。しかし、揖斐駅までは未乗車だった。養老鉄道はひとつの路線であるが、実際には大垣駅を中心に、揖斐方面と桑名方面に分かれている。大垣駅はスイッチバック構造になっている。どちらも養老山地沿いに濃尾平野を進むローカル線である。
養老鉄道は、1911年(明治44年)に設立された後、様々な私鉄に合併され、最終的には近鉄として長らく営業していた。しかし、2006年、上下分離方式の合理化が行われ、設備は近鉄が保持し、運行は養老鉄道が行う事となった(設立時の養老鉄道とは関連性は無い)。実際、乗車していると近鉄のお古が活躍しており、一見、近鉄のローカル線かと思われるが、東急の中古車で置き換えが決定しており、車庫には元東急7700系が休んでいた。雰囲気は変わってゆくのだろうか。
揖斐駅から大垣駅に向かう。 採掘が進み、山の原形を留めていない金生山を右手に眺めながら進む。 大垣駅はスイッチバック構造。ここで桑名行きに乗り換える。隣の西大垣駅に車庫があり、ここへの回送列車を営業列車として扱うようになり、懐かしい行き先系統板が使われていた(現在は乗務員室窓に掲示に変更) |
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車庫には元東急7700系が、東急時代の姿で留置されていた。現在の元近鉄車両を置き換えるが、双方、同世代の車両であある。 「50年前の車両をあと30年使う」という事で話題になった。 |
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近鉄時代に撮影した養老駅。養老公園の入り口であり、沿線最大の観光拠点である。 ホーム天井に吊るされている瓢箪が特徴的である。 養老町のホームページに記載されている養老に伝わる「孝子物語」によると、 「孝行息子が泉の水をひょうたんに汲んで老父に飲ませたら酒の味がした」 との事である。 |
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寒々とした景色の中、電車は進む。田植えの頃だったら、さぞ美しかっただろう。 終点の桑名は近鉄との接続駅。近鉄の軌間(線路幅)は標準軌であるが、養老鉄道は狭軌である。近鉄時代から乗り入れは不可であった。 また、桑名駅のすぐ隣の西桑名駅には近鉄北勢線(現在の三岐鉄道北勢線)がナロゲージで乗り入れてきており、同じ近鉄で3種類の軌間が揃う事で有名だった。 |
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