●寝台特急「富士」

・2009年1月29日作成
訪れた日 2008年11月22日
 

轍の音を酒の肴に、同席の人と語り合う。「横浜」、「熱海」、「沼津」、「富士」・・・・歩めども、歩めども進む速度は遅く、時間だけが過ぎてゆく。急ぐ事は無い。しかし18時から呑み続けていると段々酩酊してくる・・・。昔の旅はそんな感じだった。山陽本線に入るとレイルを軋ませる音が断続的に続き、眠れなくなって起きる。九州行きのブルートレインはいつも爽快な目覚めとはいえない。それでもコンビナートと瀬戸内海を眺めていると旅の実感が沸く。「下関」で機関車交換、九州に入って「門司」から「はやぶさ号」から切り離され、単独で日豊本線を行く。のどかな景色が続き、列車はノンビリムードになる。「杵築」では運転停車の間に、後続の特急電車に追い抜かれる。こんな亜幹線でも、足の遅いブルートレインは邪魔者扱いである。

まだ新人社員だった頃の夕方、事務所の窓から外を見ると、九州へ向かう寝台特急が両側を機関車で挟まれて、次々と東京駅に回送されてゆくのが見えた。この景色に、そろそろ定時だなと思ったものだ。朝も九州から帰ってくる列車を眺めて、そろそろお昼だと思ったものだ。それが当たり前の光景であったが、1本、また1本と削減され、ついに最後の九州行きブルートレインの廃止が決まったとの情報が入ってきた。今日は情報を聞きつけたファン達で一杯だが、普段はガラガラなのだろう。

特急「富士」の歴史は、欧州連絡特急の役割を担って、日本初の特別急行列車として誕生した頃まで遡るが、私にとっては、日本で唯一24時間以上かけて走る特急列車というイメージが残っている。ブルートレイン「富士」は、子供時代に憧れた存在であった。時代が進み、編成は食堂車を含めた15両編成から、末期は6両にまで短縮されてしまった。行き先も、「西鹿児島」から、「宮崎」、「大分」と次第に短縮されたが、それでも17時間14分の運転時間は驚きに値する。

別府を出る頃には11時をまわった。フェニックスと別府湾に浮かぶフェリーを眺めていると南九州が新婚旅行のメッカだった事を思い出した。ブルートレイン「富士」が輝いていた時代、この列車は大勢の新婚旅行客を乗せたに違いない。今、役割を終えて消え去ろうとしている「富士」だが、最後の日まで誇りをもって走り続けて欲しいものだ。


東京駅在来線ホームで九州の地名が見られるのもあとわずか
随分くたびれた客車
先に「はやぶさ」号が分離・出発してゆく
景色はノンビリしたものだ
当然だがU・S・Aとは無関係
別府湾を見ると終点は近く
格好いいヘッドマークだ

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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