●端島(軍艦島)
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絶海の孤島というより要塞、林立する高層アパートが海に浮かんでいる。あきらかに異様な光景、そして近づいてみるとその迫力に言葉も失う。高層アパートで埋め尽くされた島ときけば、近代的なイメージがあるが、これらは大正初期に造られたものばかり、100年近くも前によくこのような建物が造れたものだと感心する。しかし、2007年現在、この島は無人島で、これら高層アパートは全て廃墟である。朽ち果てたとはいえ、木造の神社を除き、鉄筋コンクリートの建物はそのまま残り、強烈な印象を与える。
長崎県の端島は「軍艦島」と呼ばれている。島の姿が日本海軍の戦艦に似ていたからである。炭坑と、そこで働く家族が住んでいた小さな島である。1.2kuに5千人以上が住むというのは、世界一の人口密度だったとの事である。高層アパートが林立しているが、エレベータも無く、トイレも水洗ではなかったようだが、当時では最先端だったのだろう。炭坑そのもは1800年代初頭から採掘を行っていたようだが、高層アパート郡が現れたのは1916年(大正16年)、日本初の鉄筋コンクリートアパートが完成してからである。1960年代の最盛期を経て、1974年に炭坑は閉山、島民も移住して端島は無人島になってしまった。
この島には学校、病院、神社は勿論、映画館などの娯楽施設もあって、島で全てが事足りたようである。波が高い海域でもあり、台風の時は島を越える大波が押し寄せる事もあったようだ。船に展示されている端島の写真の中に、島を飲み込む高波の写真も掲示されていた。島から出ずに住むという事は隔離ともとれ、この島の住民だった人には本当に申し訳ないが、絶海の孤島の収容所、アルカトラズの監獄島を連想させてしまう。ちなみに、この高層アパート郡、炭坑施設や幹部社員の住宅を守る為の防波堤の役割もしていたという。
島に上陸している釣り人が見えたが、この島は上陸禁止である。それにも関わらず、漁船をチャーターして上陸する人も少なくない。廃墟サイトでも紹介されていたりするし、ここで撮影されたヌード写真集まである。これだけ注目を集めれば、観光地として整理しようという動きもあり、世界遺産の申請も具体化してきている。北海道の山の中で人知れず朽ちてゆく炭坑の街と違い、端島の元住民は幸せなのかもしれないが、強制連行で連れてこられ奴隷のように働かされた人の立場では、遺構すら見たくないかもしれない。
三浦半島のかもめ団地のような光景 | |
白い建物は隔離病棟 | |
島の姿が戦艦「土佐」に似ている為、軍艦島と言われた | |
無人となった島には灯台が必要になった | |
肥前端島灯台は閉山1年後に設置された | |
炭坑設備や積み込み施設は波の穏やかな東側に集中している | |
軍艦島を一周して帰路についた |