●寝台特急「日本海」
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屋根を打つ激しい雨音で目が覚めた。A寝台上段から眺める景色はまだ夜明け前。日本海側を走る鉄道は、海から吹き込む厳しい風雨や、豪雪に晒され遅れる事が多い。国鉄時代はそれでも走ったが、最近では躊躇無く運休する。この列車が廃止されるのは、運行の不安定さもあるのではないだろうか。
「大阪」と「青森」を結ぶ寝台特急「日本海」。新幹線の恩恵を直接受けない地域を結ぶ貴重な列車。利用客も多く、最後まで廃止されないと思っていたが、夜行列車廃止の傾向には逆らえず廃止が決まってしまった。今夜のA寝台は満席。廃止が決まってから切符が取れなくなるのはいつもの事であるが、特に開放A寝台はこの「日本海」でしか使われていない貴重な車両。人気のある下段はすぐに売り切れてしまい確保できなかった。
暗いホームに浮かぶ青い車体。行灯に浮かぶA寝台の文字を見ているだけで旅情が沸き起こってくる。しかし、乗ってしまえば上段寝台に閉じ込められて寝るしかなくなってしまう。食堂車も無ければ、ロビーカーも無いこの状態は辛い。まだ19時すぎだがすでに夜中のような雰囲気になってしまう。小窓はあるが、とても景色が見れるような代物ではない。ただし、進行方向に水平のベットは揺れが心地よく、とても良く眠れた。
約40分遅れ・・・。風雨でこの列車が遅れるのは日常茶飯事のようだ。「おはよう」放送はお詫びから始まった。下段の乗客が車掌と相談している。「金沢」からの後発の特急に乗り換えるように薦めていた。急ぐ旅でもない私達は勿論このまま乗車する。まずは「加賀温泉」で「金沢」を後に出た特急電車に抜かれる。特急が特急に抜かれる・・・。最近の特急電車との性能差は如何ともしがたく、これが時代遅れを象徴する光景だ。「武生」でも後発の特急に道を譲る。
「敦賀」でも長時間停車。ここでは機関車の交換が行われた。ここから湖西線に入る。高規格で高速で飛ばせる路線であるが、最高速度でも100km/h(他の電車は130km/h)。飛ばすというより滑るように走るという感じで琵琶湖沿岸を走る。天候は回復してきて、沿線から写真を撮る人はきっと良く撮れた筈だ。次のスケジュールもあるのでこれ以上遅れない事を願ったが、「大津京」でも特急サンダーバードに道を譲るために停車。次の行程が微妙になってきた。
東海道本線に乗り入れて、最終的に「大阪」に着いたのは約30分遅れの11時過ぎ、もう昼前といえる時刻である。定刻で走ったとしてもビジネスで使うには遅すぎる時間である。
青森から大阪まで1023.4q。かつては、昼行の「白鳥」と夜行の「日本海」が結んでいたが、「白鳥」に続き「日本海」も廃止されてしまう。これで日本海縦断の旅客列車は無くなった事になる。
特急「白鳥」は新青森から函館行きとなって名称は残ったが、大阪行きとは別の列車と考えるべきだろう。これも北海道新幹線が開業したら無くなるだろう。ちなみに新青森駅開業で、「日本海」の運転時間も僅かであるが伸びた。 |
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出発15分前に、入れ替え用のディーゼル機関車に牽引された11両の車両が入線してきた。主役の入線という感じだった。しかしA寝台車は1両あるが、個室も無ければ食堂車も無い。このような質素な列車で長距離はしんどい。 | |
A寝台と書かれた扉の向こうに入れるのは優越感がある。手前に4名分のコモンスペースがある。 | |
加賀温泉で後発の特急に道を譲る。列車が遅れている為にこの駅で退避したが、本来はこの駅で抜かれる事にはなっていない。ダイヤが乱れると、回復運転するよりも、レギュラーの特急列車の邪魔にならないようにする事に重点を置いているように思える。 | |
「日本海」大阪行き。臨時列車として暫く残る事は決まっているが、A寝台車は連結されない。お昼近くまで旅は続くが、A寝台上段では体の置き場所が無い。 | |
敦賀で機関車交換。トワイライト色から国鉄時代からのローズピンク色に。こっちの方が似合うように思う。 | |
天候が急速に回復。左手に琵琶湖、右手に山を見ながら走る。 | |
終点大阪には30分遅れ。次に乗る列車にタッチの差で乗れずに残念。Webに書かれている紀行文を読む限り、遅れるのは日常茶飯事化していたようだ。 2往復走っていた2008年以前は函館にも乗り入れていた。大阪駅では、東京から来た「銀河」と並んでホームに到着していた。私は「銀河」を大阪駅で下車した際、同じホームで「日本海」と遭遇した事があった。 |