●大船渡線

・2003年3月29日作成
訪れた日 2003年3月29日
 

列車は三陸海岸沿いの小さな駅に到着。この駅で列車の交換待ちである。少し迷ったがホームから駅前に出てみる。三陸を案内してくれた人とこの駅で別れたのは10年前、駅は10年たっても変わっていなかったが、私は歳をとって少し変わってしまった。これからも旅を続けてゆけばそのような辛い思いも覚悟しなくてはなるまい。

1921年に一ノ関から三陸方面を目指して伸びてきた大船渡線。まっすぐ着工されずに政治家に利用され右へ左へ迂回を重ねた俗称「鍋づる線」と言われる政治路線である。「我田引水」ならぬ「我田引鉄」とも言われた。開き直って「ドラゴンレイル」とJR自ら愛称を与えた。もっとも政治家の公共事業の私物化は、現在も、新幹線や高速道路に見られ、いつの時代も公共交通機関は誰のものだか考えさせられる。

三陸海岸には何度か訪れた事はあるが、車だったり、気仙沼線を使ったりで大船渡線を通して利用した事はなかった。珍しい車両が走っていたわけではないが、三陸海岸を訪ねた事があるくせに大船渡線に乗っていないのが悔しかった。そう思ってから10年。ようやくJR東日本パスを利用して訪れるチャンスがめぐってきた。「一ノ関」9時25分発の「盛」行きに乗り込んだ。

途中駅に日本百景の猊鼻渓最寄駅である「猊鼻渓」もあるが、石灰の切り出しのために削られた山肌などが目立つ車窓から絶景は想像できない。車窓から景色を楽しもうというのは少々甘かった。やはり有名な「猊鼻渓」船下りをしないと景色は味わえないのかもしれない。やや退屈な山越えを続け南三陸を代表する漁港の「気仙沼」に到着。ここからが大船渡線の白眉である。三陸海岸沿いに、時には山を越え、広田湾を眺めながら進む。リアス式海岸は日本海沿いを思わせる断崖絶壁もあり、車窓から充分に楽しませてもらえる。3年前の夏には仙台から八戸まで結ぶ「リアスシーライナー」でたも走破したが、あの時は陸側の席だったので、海側の車窓は新鮮だった。いくつも漁村を通り、やがて終点「盛」に到着。1992年まで旅客営業をしていた岩手開発鉄道の玩具のようなホームを見る事が出来た。

雪景色の列車交換
開き直った愛称
広田湾
岩手開発鉄道の機関車
ホームの跡
列車交換

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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