白山周辺と一番堀 その1

白山神社
新潟の鎮守、白山神社は境内の広い公園とともに、昔から多くの人々に親しまれてきました。
新潟の古地図では、白山島という島になっています。江戸時代には、ここに米蔵が立ち並び、米の集積地として賑わっていました。有名な新潟県令、楠本正隆が明治6年(1873)に白山神社境内の米蔵を撤去させて造ったのが現在の白山公園です。
白山神社の例祭は、白山祭りとしてとても賑わっていました。昭和30年代までは、露店が古町1、2番町まで続いたそうです。私が子供のころも、サーカスや見せ物小屋が立ち並び、今よりも遙かに多くの人出がありました。

昭和29年(1954年)頃 新潟市白山神社境内    Photo by Keiichirou Watanabe.

▲上の写真は、初詣の様子です。人出が一段落したところでしょうか。日がさして、穏やかな天気のようです。
傷痍軍人らしき人が、喜捨を乞うているのが見えます。

昭和30年(1955年)12月  新潟市白山神社境内    Photo by Keiichirou Watanabe.

▲おじいちゃんにつれられて、鯣を焼きに行った帰りでしょう。

昭和30年(1955年)12月  新潟市白山神社境内    Photo by Keiichirou Watanabe.

▲上の写真は露店の駄菓子屋さんです。普段でも駄菓子屋や、金魚すくいが数軒でていたそうです。

昭和29年(1954年)頃  新潟市白山神社境内    Photo by Keiichirou Watanabe.

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