監督:ディーン・パリソット 脚本・原案:デビッド・ハワード 出演:ティム・アレン、シガニー・ウィーバー、アラン・リックマン ”Never Give up , Never Surrender ” おたく ― オタク ... この言葉が世間で認知されるようになって早10数年が経とうとしている。 自分を含め大体数の人がこの言葉を色々な媒体で初めて見聞きしたのがあのM被告による連続幼女誘拐殺人事件からではないだろうか。 当時はオタクをお宅とも表記とされていたように記憶するが、初めて聞いた時は正直なところ何のことかさっぱり判らなかった。 だがM被告の自室が公開されるなどして その普段の様子が垣間見れるようになるとだんだんとその言葉の意味がつかめてきた。 なんのことはない所謂”マニア”のことだったのである。 では、このように世間にマイナスイメージで広まったオタクとは 果たして悪なのか? 世間一般に知られるようになったきっかけがあのような凶悪事件であった為に その後オタクに貼られたレッテルはアブナイ集団、ヘンタイ、暗い....等と負のイメージばかりであった。 これは昨年の”ひきもり”少年が起こした何件かの事件によりあたかも”ひきもり”自体が犯罪予備軍のように思われてしまったことと同種な現象であろう。 確かに アニメ、ゲーム、アイドル、ミニタリー、コンピュータ、フィギュア、コスプレ等に執着するあまりオタクは”現実逃避”しがちであることは否めない。 また現実逃避の手段としてのこれらの事象へのコダワリというのも頷けることだ。 だが、執着心をオタクという言葉に置きかえることが出来るならば誰にでもオタク心というものはあり、その度合は色々あれど何かに少しでも執着していればある意味全ての人はオタクであるように感じる。もちろんこれは極論、暴論であるかもしれないが....(それこそ盆栽や将棋などに凝る年配の方も有る意味、オタクのように感じるが。) また映画―映像に関して言えば”イイ意味で”オタクな人は多いのではないだろうか。 オタク的な映像への拘り ― 最近これで映画を見せる人が多く、このはしりはタランティーノあたりなのだろうが、超巨匠のスピルバーグ、ルーカスも間違いなく”映像オタク”であることは間違いない。 このようにオタク道極まれりで、世界を制覇すれば、あるいは大きな商売 ― Big Businessとなればもうだれも蔑む人もいない。では 前述のオタクと彼らはどこが違うのか? しいて言えば「生産性」だろうか。モノに執着し、コレクションしてもやはり何も生まれない。それにこれからの展望も無い。 まあ そんなこと考えているわけではなく、ただ単に楽しいから単純に好きな事に興じているのだと思うが、悲しいかなそれは他からは奇異に映ってしまっているのは事実である。 映画の感想なのに 自分なりのオタク論へと話がそれてしまったが昔から少し思うところがあったので、少し書いてみました。 それではようやく、「ギャラクシークエスト」の感想なのですが まずはストーリーの紹介から NSEA(宇宙探査局)に所属するプロテクター号の乗組員たちの活躍を描いたSFテレビドラマ「ギャラクシー・クエスト」は、打ち切りから20年経った現在でも熱狂的ファンを持つ人気シリーズ。 でも華やかにメインキャストを演じた5人の俳優たちは、イベントやコンベンションなど同番組関連の営業回り専門の仕事をこなす毎日を送っていた。 ある日、同番組の電波を宇宙で傍受し、"歴史ドキュメンタリー"と勘違いして見ていたネビュラ星のエイリアン、サーミアンたちが地球へやって来た。 宿敵エイリアンの攻撃を受けて和平交渉は決裂、惑星存続の危機に瀕した彼らは“あなた方しか頼る人がいない”とプロテクター号の乗組員らに訴える。 プロテクター号の艦長役を演じたネズミス(ティム・アレン)以下、番組に出演していたテレビ俳優たちも、新しい仕事の依頼と勘違い。脚本も心の準備もないまま本物の宇宙空間へ、しかも実戦の真っ只中にある宇宙船へ次々とテレポートしていくのだった もうおわかりでしょうが これはあの「スタートレック」シリーズのパロディです。 登場人物もティム・アレン扮する艦長役は あきらかにカーク船長役のウィリアム・シャートナーを、アラン・リックマン扮する宇宙人クルーはミスター・スポック役のレナード・ニモイを判り易く模倣しています。 (この模倣の仕方が カーク、ミスター・スポックのみならず素のウィリアム・シャートナー、レナード・ニモイを真似るという二重構造となっております) またシガニー・ウィーバーは誰の真似なのか「スタートレック」の登場人物からは判別しにくいが(唯一オリジナルキャラか?)あの「エイリアン」シリーズのリプリーとはかけ離れたSEXYキャラに男性諸氏は釘つけだろう(50歳近いとういうのにあの胸....(苦笑)それにしてもあんなに大きかったっけ?(笑)) しかし、この映画のテーマはそんな「スタートレック」真似の単なるパロディではなく、これは現実世界では負け犬達の勇気と再生の物語である....と言ったら大袈裟であろうか。 前述したようにこの映画には営業回り専門の仕事をこなす主人公達と放送終了後20年経っても彼らを神格化する熱狂的なファン ― ギャラクシー・クエスト・オタクが多く登場する。冒頭のシーンは正にギャラクシー・クエストのコンベンション(ファンの集いのようなもの)というオタクの集会である為、ある意味とっても”痛い”シーンの連続。それにファンには神格化された主人公達もドサ廻りの営業しか食い扶持を見つけられず こちらも現実社会では負け犬。唯一、コンベンション等でファンに囲まれた時のみヒーローとなり得たのである。 言わば負け犬しか登場しないようなこの映画も 本物の宇宙戦争に巻き込まれることで人生初めて命を賭けた闘いをし、それを地球のギャラクシー・クエスト・オタクがオタクならではの知恵と技術を使ってサポートするという展開は笑いの中にもはっきりとしたメッセージが感じられ感動的でもあった。 これまでオタクを焦点とした映画も少なくないわけではなかったが、どれも小馬鹿にしたものが多かった。 焦点にしてなくても、大体が笑いもの扱いが多い(特にアメリカ映画)。唯一メッセージ色を強く感じたのが「新世紀エヴァンゲリオン まごころを、君に」ぐらいだろうか。だがこの映画もあからさまなオタク批判と前作の映画を実際に見に来た客の実写映像を使っての”アニメに浸ってばかりせずに「現実に帰れ」”という痛烈なメッセージの発信だった。(同じように「スタートレック」でも 「サタデーナイトライヴ」という番組に出演したカーク船長役のウィリアム・シャートナーがスタートレックファンに向かって「現実に帰れ」と叫んだということも実際にあったそうです)だから この「ギャラクシークエスト」のように現実社会で負け犬であっても、例えウソや夢であっても それを信じて闘い続けていればいつかは現実になるというオタクに肯定的なメッセージを投げ掛けてくれたことはうれしいことであった。 (ちなみに この映画の製作がスピルバーグも経営に参加している「ドリームワークス」というのも納得できることです。)
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