「太陽を盗んだ男」
監督:長谷川和彦 出演: 沢田研二、菅原文太、池上季美子、風間杜夫、佐藤慶、北村和夫 「蘇える金狼」 監督:村川透 出演: 松田優作、風吹ジュン、佐藤慶、小池朝雄、成田三樹夫、岸田森 「太陽を盗んだ男」という日本映画をご存じだろうか? 一人の中学教師が原爆を作り国家を脅迫する....こんなストーリー をどこかで聞いたことはないだろうか。 通称ゴジこと、当時若手の巨匠と言われた長谷川和彦監督によって1979年に作られたこの奇想天外な映画は その後20年以上長谷川監督の作品が作られないこともあってカルト化し、公開時よりも現在の方が評価が上がっているほどの作品である。 そんな「太陽を盗んだ男」が2001年、21世紀初めの年に豪華な特典映像と共にDVD化されたのに伴い自分も発売直後購入、早速鑑賞してみた。 まず率直な感想としてはとにかく「凄い!凄い!」という感じだろうか。 話の展開も強引で、長谷川監督言うところのデタラメで破綻している箇所も多いが作品から醸し出されているパワーは半端じゃない。 皇居、首都高、メーデーのデモ隊に紛れてのゲリラ撮影。渋谷(銀座)の 東急デパートを使った大掛かりなロケと今も昔も到底不可能な 撮影スタイルにまず大きな驚きを感じてしまう。 それでいて主人公が原爆を楯に国家へ示した要求として 「TVでの野球中継を試合終了まですること」 「現金 5億円」 ![]() 「ローリングストーンズの来日公演!!」 と、この種の映画における要求としては意表を突き非常に面白い。 それにこの要求も場当たり的なもので主人公、城戸誠にとっては 本来、どうでも良いものとして位置づけられている点も興味深い。 普段の生活が全く閉塞的な城戸にとっては何かワクワクさせてくれる もの、そして”自分と闘ってくれる相手”探しの手段こそが 原爆であったと言える。ゆえに、本来映画のストーリーからは かなり逸脱したと言える延々と続く「原爆製作」のシーン(かなり 忠実に再現されている)は映画を見るこちら側にとっても何か 胸躍らずにはいられない。 また”自分と闘ってくれる相手”として菅原文太演じる刑事を 冒頭のバスジャック事件が縁で城戸誠は選んだが この刑事がかなりキテル。それもかなりデタラメと言ってもいいだろう。 (ラストのゾンビライクな文太は必見、ある意味「仁義なき戦い」の広能昌三を超えている!) ただ全編、デタラメとそれさえも凌駕するパワーで満ちあふれているが 被爆者(胎内被爆らしい)でもある長谷川監督には逆説的な反核のメッセージが 組み込まれているのは明白である。 城戸誠を原爆製造過程で被爆させ、頭髪が徐々に抜け落ちていくというシーンを象徴的に描く。 もはやそこには前半のハチャメチャ、デタラメさは無い。爆発音に被るようなストップモーションのラストシーンはいつまでも心に残るだろう。 「太陽を盗んだ男」が公開された同年(1979)同じクライム・ムービーとして名高い松田優作主演のアクション「蘇える金狼」も公開された。 この作品については今までも多くが語られてきた事でもあるので多くは語らないがリアルタイムに映画館で見た(同時上映は「金田一耕助の冒険」(大林宣彦監督))私は当時かなりの影響を受けたことを覚えている。 作品的には松田優作演じるスナイパー鳴海昌平の「遊戯シリーズ」の集大成的な意味合い(監督が同じ村川透ということもあり)だが大藪春彦の原作のイメージを非常にうまく踏襲していた。 ![]() このまま会社を勤め上げても夜間大学出ではせいぜい課長止まり。そんな朝倉が一発逆転で選んだのが非合法な出世の道だった....と簡単にストーリーを紹介すればこんな感じだが原作が 大藪春彦ということでサラリーマンの悲哀とかそんな女々しいものは映画ではもちろん表現されることはない。冒頭から原作通り、朝倉は現金運搬人を襲い現金を奪取。 運搬人を容赦なく殺害する。前半はこんな感じで非常にテンポ良い展開で見る者を 飽きさせない。 中盤あたりから千葉真一演ずる桜井が会社を食い物にする社長(佐藤慶)以下経営陣(成田三樹夫−怪演!、小池朝雄など)を脅迫、それを始末する為の関西の殺し屋(岸田森も開演!)と三つ巴になるあたりは中だるみはしてしまうのだが麻薬を取り仕切る県会議員磯川との丁々発止などは非常に面白く、離島での磯川子飼いのヤクザとの銃撃シーンはこの作品のクライマックスと言える。 松田優作13回忌でもある今年、本作品は東京国際映画祭でも記念上映されるほど有名であるが、翌年の「野獣死すべし」から生前最後の作品の「ブラックレイン」まで松田優作がアクションらしい作品と距離を置いたことを考えると この時期がアクション俳優としての絶頂期であったことは間違いない。 以上、1979年に奇しくも公開された2作品について自分なりに述べてみたがこれら作品の主人公”城戸誠”(「太陽を盗んだ男」)と”朝倉哲也”(「蘇える金狼」)は実は表裏一体な存在のように感じがしてならない。 静的で生きる意味さえ失っている男(城戸誠)と動的で欲望の塊と化しているかのうな男(朝倉哲也)。 まるで”ふたりでひとり”かのように互いを補っているかのようだ。だが、一見両極端な立場の二人の主人公達も元は同じなのではないだろうか。どちらも孤独で常に何かを求めている。 お金だったり地位だったり、闘う相手だったり。両作品ともエンディングが奇妙で、悲しみに満ちているのはそのせいかもしれないと私は感じぜずにはいられなかった。
|